5月になって、早起きしてブログをしてみようと、1日の朝に短い文章を書いたのですが、何度やっても投稿できませんでした。
それで、あきらめてカゴシマの旅に出ました。6日間のブランクの後、5月6日のお昼過ぎに帰ってきて、あっという間のゴールデンウィーク最終日です。
今日は投稿が可能か、半信半疑です。ダメだったら、どこか違うところに行かなくちゃいけないし、せっかくgooさんで慣れたところなんですけど、さてどうなることやら……。
この171文字で投稿してみます。
ああ、久しぶりにうまくいきました。よかった(ホッですね)。
さて、この6日間、ガゴシマへの旅に出ていました。お昼過ぎに帰って、うどんを作ってもらって、コーヒーも淹れてもらって、何から何までしてもらいました。こちらに到着してすぐに、カゴシマに滞在中の母にもうまく電話がつながり、あとは明日からの仕事の準備をするだけです。
私たち家族3人は、1日の夜から6日の昼までガコシマをフェリーで往復して旅をしてきました。
もう20年前に、宮崎カーフェリーというのを利用して、カゴシマの志布志までいくサンフラワーよりもいい感じだった記憶があったので、往復この船で、行き帰りしました。
旅の目的は、観光ではなくて、父のお骨を納めるためでした。親戚が何人か集まって、ささやかな儀式も行われるということなので、それがメインの旅でした。
けれども、折角カゴシマに行くのだから、納骨の行事の日以外は、お互いに好きなことをしようということで、弟家族も私の家族もカゴシマへ向かいましたが、うちの家族はあまり旅先であれこれ楽しもうというタイプではなくて、なるようになるさだから、あまり楽しめませんでした。
特に、うちの奥さんは、長男の嫁ということで、格式のある家ではないのに、うちの母などは妻にあれこれしてもらわねばならない、みたいな変な気持ちが起こったようで、良家のおかみさん風みたいなのを吹かせていました。妻は母の変な風に吹かれて、大変なストレスがあったようです。本当に申し訳ないことでした。
「わたしは頑張った」と、妻は帰りのクルマで語っていました。そこをもっと慰労し、ほめなきゃいけないのに、スルーしてしまって、帰りは何だかションボリでした。お互いに声を掛け合うこと、これが大切ですね。そして、自分のやれることは先を読んでやっていかなくてはならない。
すべて、私のできていないことです。反省して、明日といわず、今日から、家族にも、まわりの人々にも、気づいたら声をかけるようにしていこうと思います。
何か打ち込もうとしたら、すぐ反省ばかりになります。
ただ、船で、海から吹いてくる風に吹かれ、月になだめられ、太陽を拝みながら、島影より回転してくる灯台の明かりに胸をふるわせつつ、思ったことがありました。
今回の旅は、フェデリコ・フェリーニの「そして船は行く」と同じで、何となく悲しい旅なのだけれども、船の中では、人間たちの様々なドラマをあちらこちらに起こり、最後はみんなが大好きだったオペラ歌手の死を悼んで終わるという感じでした。映画の中の船は最後は沈没するんだったかどうだったかなんですけど、まあ、私たちは映画の主人公ではないので、無事生還できました。
映画のテーマは何だったんでしょうね。私は「女の都」で初めてフェリーニを知り、この人の新作なら、とにかく見たいと、北浜の三越劇場にでかけたんでしたっけ。……間違いでした。1986.2.21 金曜 梅田のコマシルバーという映画館で見たらしいです。
とにかく、映画は、タイトルの通り、それぞれの生活はあったのだし、また続いていくという感じだったのでしょうか。私たちの現実も、旅が終わって、また明日から続いていきます。とにかくある程度の期間までは、何事もないかのように淡々と、粛々と進んでいくのです。ある時パタッと終わるその時まで。
うまく説明できてないですね。「そして船は行く」と、自分たちの状況が同じだったというのが言いたいのでした。自分たちは、父の納骨という大目的のために、三重県からカゴシマまでの往復を船で旅をして、そして、疲れて帰ってきた。
特に何か成長したわけでもないし、何か業績を残したわけでもない。ただ旅をして、いろんな人たちを見かけ、親しい人々に再会し、お酒を飲み、あれこれしながら帰ってきた。
帰ってきたら、バラが二輪赤い花をつけていた。カロライナ・ジャスミンが真っ盛りで、自分たちのいない間にどんどん初夏がやってきていた……。
休みボケで明日から大変だけど、せいぜい頑張ります。
このあと、道具のことばもコピーして貼り付けます!
★ 1年経過して、今年の連休は、何もしませんでした。近場をくるくる回っただけでした。カゴシマまでは大旅行で、スッカラカンになったんだろうなあ。
自分のお金という感覚が無くて、私はダメですね。もっとガツガツしたいんですけど、貯金できてないです。
それで、あきらめてカゴシマの旅に出ました。6日間のブランクの後、5月6日のお昼過ぎに帰ってきて、あっという間のゴールデンウィーク最終日です。
今日は投稿が可能か、半信半疑です。ダメだったら、どこか違うところに行かなくちゃいけないし、せっかくgooさんで慣れたところなんですけど、さてどうなることやら……。
この171文字で投稿してみます。
ああ、久しぶりにうまくいきました。よかった(ホッですね)。
さて、この6日間、ガゴシマへの旅に出ていました。お昼過ぎに帰って、うどんを作ってもらって、コーヒーも淹れてもらって、何から何までしてもらいました。こちらに到着してすぐに、カゴシマに滞在中の母にもうまく電話がつながり、あとは明日からの仕事の準備をするだけです。
私たち家族3人は、1日の夜から6日の昼までガコシマをフェリーで往復して旅をしてきました。
もう20年前に、宮崎カーフェリーというのを利用して、カゴシマの志布志までいくサンフラワーよりもいい感じだった記憶があったので、往復この船で、行き帰りしました。
旅の目的は、観光ではなくて、父のお骨を納めるためでした。親戚が何人か集まって、ささやかな儀式も行われるということなので、それがメインの旅でした。
けれども、折角カゴシマに行くのだから、納骨の行事の日以外は、お互いに好きなことをしようということで、弟家族も私の家族もカゴシマへ向かいましたが、うちの家族はあまり旅先であれこれ楽しもうというタイプではなくて、なるようになるさだから、あまり楽しめませんでした。
特に、うちの奥さんは、長男の嫁ということで、格式のある家ではないのに、うちの母などは妻にあれこれしてもらわねばならない、みたいな変な気持ちが起こったようで、良家のおかみさん風みたいなのを吹かせていました。妻は母の変な風に吹かれて、大変なストレスがあったようです。本当に申し訳ないことでした。
「わたしは頑張った」と、妻は帰りのクルマで語っていました。そこをもっと慰労し、ほめなきゃいけないのに、スルーしてしまって、帰りは何だかションボリでした。お互いに声を掛け合うこと、これが大切ですね。そして、自分のやれることは先を読んでやっていかなくてはならない。
すべて、私のできていないことです。反省して、明日といわず、今日から、家族にも、まわりの人々にも、気づいたら声をかけるようにしていこうと思います。
何か打ち込もうとしたら、すぐ反省ばかりになります。
ただ、船で、海から吹いてくる風に吹かれ、月になだめられ、太陽を拝みながら、島影より回転してくる灯台の明かりに胸をふるわせつつ、思ったことがありました。
今回の旅は、フェデリコ・フェリーニの「そして船は行く」と同じで、何となく悲しい旅なのだけれども、船の中では、人間たちの様々なドラマをあちらこちらに起こり、最後はみんなが大好きだったオペラ歌手の死を悼んで終わるという感じでした。映画の中の船は最後は沈没するんだったかどうだったかなんですけど、まあ、私たちは映画の主人公ではないので、無事生還できました。
映画のテーマは何だったんでしょうね。私は「女の都」で初めてフェリーニを知り、この人の新作なら、とにかく見たいと、北浜の三越劇場にでかけたんでしたっけ。……間違いでした。1986.2.21 金曜 梅田のコマシルバーという映画館で見たらしいです。
とにかく、映画は、タイトルの通り、それぞれの生活はあったのだし、また続いていくという感じだったのでしょうか。私たちの現実も、旅が終わって、また明日から続いていきます。とにかくある程度の期間までは、何事もないかのように淡々と、粛々と進んでいくのです。ある時パタッと終わるその時まで。
うまく説明できてないですね。「そして船は行く」と、自分たちの状況が同じだったというのが言いたいのでした。自分たちは、父の納骨という大目的のために、三重県からカゴシマまでの往復を船で旅をして、そして、疲れて帰ってきた。
特に何か成長したわけでもないし、何か業績を残したわけでもない。ただ旅をして、いろんな人たちを見かけ、親しい人々に再会し、お酒を飲み、あれこれしながら帰ってきた。
帰ってきたら、バラが二輪赤い花をつけていた。カロライナ・ジャスミンが真っ盛りで、自分たちのいない間にどんどん初夏がやってきていた……。
休みボケで明日から大変だけど、せいぜい頑張ります。
このあと、道具のことばもコピーして貼り付けます!
★ 1年経過して、今年の連休は、何もしませんでした。近場をくるくる回っただけでした。カゴシマまでは大旅行で、スッカラカンになったんだろうなあ。
自分のお金という感覚が無くて、私はダメですね。もっとガツガツしたいんですけど、貯金できてないです。