甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「海鳴り」分子の仲間  HSD-07

2014年04月08日 20時48分54秒 | High School Days


 1学期のごく初めのころ、高校の勉強の恐ろしさにまだ気づいていない状況で、Kは生徒会デビューを果たした。そのいきさつは……。

 クラスの代表が集まった代議員会で、生徒会執行部の欠員をどうするかが話し合われていた。会長、副会長、会計の三人は決定していたが、書記がいまだ決まっていなかった。当然、そういう状況ではなかなかだれも出ようとしないものだ。

 シラケの時代と言われ、ぬるま湯体質の学校とさえ自嘲する生徒たちもいて、大半は自分のことで精一杯で、何も好きこのんで、生徒会役員を引き受ける愚か者? または野心のある人? あるいはお調子者? など出てきそうになかった。



 そうした気まずい雰囲気のまま、そこに集まった数十人の中からだれかを選出するかという案まで登場する。そうした低調な雰囲気に義憤を感じたお調子者! それがKだった。だれも手を挙げないのに、あえて火中の栗を拾おうというのである。これは魔が差したというか、自分は畑正憲(あのムツゴロウさんです! Kは半分その気でT大に行くつもりであった)になれる。生徒会活動は頑張るし、勉強も学校トップになるつもりだったのだ。

 数日後の昼休み、全校生徒がグランドに集まった。朝礼台の上に登壇した小柄な1年生。それがKだった。彼しか話す人はいないので、とにかく彼は中味はないけれども、「自分は生徒会書記をやります」と、決意表明だけを懸命に行う。

 するとあちらからもこちらからも「ガンバレ!」の声が上がる。
 全校生徒を見渡しながらそうした声を聞くと、何か急に偉そうな気分になったのか、お調子者はさらにいい気になって、
 「ハイ、ガンバリマス! よろしくお願いします!」
などと、まるで安物政治家気取りで挨拶をした。すっかり上気して降壇したKは、即日開票であっさりと当選する。


 それから任期の半年間まったく役に立たないまま過ごしてしまうのだが、ただ、生徒会室に入り浸ることがKの当たり前になり、おもしろい先輩たちに出会い、学校の様子やら、先生のうわさなどいろいろなお話を聞かせてもらう幸運を得た。そして、勉強の厳しさもおいおい理解していくのだった。こんなに知識も豊かで、楽しく話ができる先輩たちが、いろいろな教科で苦戦している話を聞けば、「いや、自分はそうではない」と思ってみても、実際に日々の学習において確実に落ちこぼれている実感が日々につのり、
 「ひょっとして、T大というのは、簡単に行ける学校ではないのではないか」
という気持ち・現実感覚がやっと生まれたのだった。

 1年生の秋、生徒会室に入り浸るウチに、ガリ版印刷に親しみ、ある程度身につけた技術でクラスの雑誌作りを始める。ガリ版印刷というのは、鉄筆という道具で、ヤスリのような下敷きの上で、ガリ版専用のうすくて強い原紙に文字を刻み、それを木のワクに固定して、その上からローラーでインクを押し込んで一枚完成させる。

 次には印刷が終わったものを一ページめくって、またワクを下げてローラーを動かす。これで二枚目、その次も同じ、でもローラーのインクが一定ではないので、印刷されたものはどれも微妙に濃淡・細さや太さが違い、ローラー作業が全行程の中では一番のワザの見せ所となるというものだった。昔、こんなのん気な印刷があったのである。パソコンが当たり前に存在する現代からすると、遠い昔の原始的な技術である。でも、これも極めれば版画に近いものがあったかもしれない。もちろんKにはローラー技術をきわめてやろうという芸術心はなかったが……。



 Kがクラスにおいて、クラスの雑誌を作ろうというということを提案すると、「よし、やろう!」と応じてくれた何人かがいた。みんな高校生活の中で何かクラスの連帯みたいなものを作りたいと思っていたのだろうか。放課後みんなで集まっておしゃべりやら、勉強の教え合いやら、何かをしたい人たちがいたのである。

 しばらくすると、このメンバーたちは「海鳴り分子」と呼ばれるようになった。化学が苦手であったKは、「分子」と聞くだけでギクッとしておびえたものではあるが、それぞれがスケジュールを調整して、夜遅くまで何かをするのは、妙に大人になれたような、変な達成感があったのかもしれぬ。

 編集長はいいだしっぺで、自称詩人のKだった。他には、仲間を軽妙に批評しつつ人情細やかな文章を書くISDくん、推理小説・ミステリーマニアで、歴史にやたら強い博覧強記のKIくん、Kと同じ中学出身で後に成人映画荒らしとなるNくん、熱血・がむしゃらで大柄なSくん、冷静クールで理論派のサンシロウくんなど、おもしろい人たちが集まった。みんな男どもであった。


 雑誌の名前は「海鳴り」と命名した。これはKにぜひ読みたい本のリストがあって、その中に堀田善衛の『海鳴りの底から』というのがあった。この島原の乱やキリスト教が禁止された時のことが書かれた小説をいつか読もうと思っていて、そのあこがれと、「海鳴り」ということばのイメージから何か次から次と新しいものが生まれてきそうで、そんな可能性のあることばを冠して、自分たちの文集をスタートさせようとしたものである。

 個人的にはKはそんな思いを持っていたが、あまり詳しくみんなに説明せず、題名は「海鳴り」でいこう! と決めて、多少の独断専行はあったが、メンバーの賛同はいつのまにか得てしまう。



 こうして、Kたちは、原稿集めをし、自作のエッセイ・詩・評論などを公開した。それは顔から火が出るような行為ではあったが、果敢に挑み、堂々と恥ずかしいところを見せてしまった。この調子はずれのおかしな集団ではあるが、クラスの女の子からも理解されたのか、「お調子者結構!」と支持も受け、これ以後もいろいろ変な提案をしても、サラリと受け入れてもらえるようになった。もっともっと彼女たちと深い交流ができればよかったのだが、そこは海鳴り分子の面々としては自分たち自身を知ることの方が忙しく、そこまでたどり着けなかったのである。


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