甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

新緑や 夕暮れ 松阪 大仏さん 

2014年05月08日 21時06分31秒 | 松阪探検メモ
 毎日の生活は単調だったりしますが、たまに仕事が一段落する時があります。

 昨夜は21時から3時間半しっかりお仕事をして、そこから4時半まで仮眠して、起きたらすぐに仕事して、珍しく家で仕事漬けでした(その前に少しだけウルトラマン展のことを書きましたけど)。
おかげさまで、今日の会議が乗り切れて、夕方には少しホッと気が抜けていました。



 だから、さっさと帰ることにしました。まだ日が残っていたので、夕陽を浴びた新緑のものすごいこと! 深い緑の中に黄色い花なのか、葉っぱなのか、ムクムクと盛り上がっている樹木があります。もう山の緑バランスをひっくり返すような緑の氾濫(はんらん)でした。私のウデではどうもがいても、そのすばらしさを切り取ることもできないので、せいぜい心の中でシャッターを切ったつもりで、目に焼き付けて帰りました。



 もう遊びたい気分が盛り上がって、普通の大人ならパチンコに行くとか、飲みに行くとか、友人を訪ねるとか、お買い物をするとかするのでしょう。でも、私は変なオッサンだから、美濃田大仏に行くことにしました。夕陽が木立を照らしていて、今ならまだ間に合うという、春にしてはシャープな夕陽が白米城(正式な山の名前はわかりませんが、堀坂山・ホッサカサンの連なりの一番端っこの山です!)からこぼれていました。今しかないと、クルマを横道にそらして、一度来たことのある神社を通って大仏殿をめざしました。



 時間の関係で神社はスルーして、とにかく大仏殿の前に立ちました。まだ明るさは残っていました。でも、うすぐらい中の大仏様を撮れるかどうか、それが心配で、信仰よりも野次馬根性を優先して、大仏さんのお姿を撮りました。すきまのある窓から光がさしこんで、どうにかお姿を撮らせてもらって、そのあと、江戸時代後期、18世紀なかごろに作成された阿弥陀如来様だそうで、神仏混淆をしていて、神様が仏の世界に現れたお姿ということでした。何でもありの神仏混淆ですけど、このいい加減さはなかなか、私のようなオッサンには楽しい考え方で、仏教も神道もごっちゃになっていて、おおらかでいいなあと思います。



 明治に入ってからの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐の時代があったそうで、そのころたくさんの仏像が破壊され、仏教芸術が二束三文で売り払われたことがあったと聞いていますが、あれは神道原理主義だったのですね。だから、やむみやたらにうるさいし、不寛容で、ゆとりがありません。宗教というものは、極めればそれは厳しいものだとは思いますが、本来はそうした極めた人たちが、自分たちが苦労したことなど一切表に出さず、アホウのようにニコニコして、私たちのようなもっともっとアホウな人間を救ってくださるべきものだと思います。だからこそ、私たちは信心を起こすのです。そんな無理矢理で強引で、心の狭い、文句ばかり並べる、偶像崇拝を許さない原理主義はキライです。一緒に信心しようという気持ちが起こりません。



 というわけで、大仏様を拝みました。玄関には鍵がかけられているので、中に入って足下で拝むことはできなかったのですが、私のようなのんきな日常の旅人をすきまごしに迎えてくださいました。

 ありがたい気持ちになって、神社にもお参りして、どこにも神社の名前がなかったので、さっき地図で調べてみると、敏太神社(みぬだじんじゃ)ということも知ることができました。夕方から得した気分で、帰りは柴咲コウさんはやめにして、やはり広末涼子さんのCDを中くらいのボリュームで鳴らして、窓は少しだけ開けて、ニコニコして帰ってきました。


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