今年も100冊読破目指します。
読み始めはどの本にしようか、迷いましたが石牟礼道子さんの「無常の使い」に決めました。
50年位前まで私の村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立って貰った。
必ず二人組で、衣服を改め、死者の縁者の家へ歩いて行ったものである。
「今日は水俣から無常のお使いにあがりました。お宅の親戚の誰それさんが、今朝がた、お果てになりました。
お葬式は何時ころでございます」
口上の言葉はおろそかにしてはならず、死んだとはいわない。
「お果てになりましたとか」「仏様になられました」という。
無常の使者は一組ではなくて、何組も出発させねばならない。その人たちが帰ってきて、
行った先の人たちが何時ごろ来るかを確かめて、葬儀の準備を整えていた。(「無常の使いー序にかえて」より)
本著は、作者が生前交流のあった方々の御霊に捧げる悼詞
荒畑寒村・白川静・鶴見和子・橋川文三・上野栄信・谷川雁・多田富雄・木村栄文各氏 ほか
ほとんどの方が、「チッソ水俣病」の訴訟運動にかかわって、交流のあった人たちです。
記録映画作家・土本典昭さんの「水俣―患者さんとその世界」の中で
名人といわれる人が、タコ採りをする場面がある。場所はチッソの真裏にあたる水俣湾である。
映像であらためて観ると、この海ベがいかに生命感あふれる漁場であったかと胸うたれる。
タコ採り名人の全身的な愛嬌と、生きて動き回るタコの愛嬌とが、軽妙で重層性のある背景音楽に
のって画面いっぱいにひろがるところなど、観る者たちを至福といってよい気分にさせる。
水俣病以前、この地方にはおおらかで上代的な、神遊びに近い漁法がさまざまであった。
今は、考え方も労働も、暮らしの中身も、田舎なりに近代化されたわけだが、
私どもは大切な何かを失った、何を失ったのかさえ、思い出せないかもしれない。(以上文中より)
作者から汲み出される言葉に心打たれました。作者の原点である「苦海浄土」をもう一度読もうと思いました。
注・写真「蠟梅」はM氏提供 Mさん何時も写真ありがとうございます。
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