今日はまた別の日蓮正宗信徒さんに連れられて、また別の末寺に連れて行ってもらった。日曜日でそこの末寺では、何かの行事の準備の真っ最中で多忙にも関わらず、御住職にまで話をして頂き、真に感慨深いものだった。驚いたのは着く早々、婦人部のオバちゃん達に辛辣な辛口コメントを頂いたこと。もう既に年金を貰っているであろうに、真っ直ぐな意見を頂いた。是非とも顕正会員に見せたかった。「これのどこが墓檀家程度の信心なのか?折伏精神が無いのか?」と。因みにそれにプラス、「文証で示せ!」なんて言ったら負け。その場でのことなんだから、あるわけないじゃない。何でもかんでも「文証で示せ!」と恫喝(にしかどうしても見えないんだよなぁ)するごく一部のムカつく信徒に対して皮肉ったまでだ。これ、信仰中に言おうものなら、「怨嫉謗法だ!」と100%糾弾してくるから、信仰していない今のうちに言っとくね。
しかし、御僧侶の、それも老僧と言えるくらいの歳の方と話すと面白いね。何しろ、顕正会の妙信講時代のことを昨日のように知っていて、しかも若かりし頃の浅井会長の恥ずかしいネタ武勇伝の真相をご存知なんだから。これじゃ、櫻川忠氏の自伝に書いてある通りにするよね。法道院を飛び出して、ブランニュー妙信講を立ち上げた時、法道院時代の仲間を登用しなかったという。浅井会長の過去を知る人間を登用したくなかったとあったが、多分、それほどまでに恥ずかしいネタがあったのだろう。
最後に今すぐここで勧誡をと勧められたが(あ、だから“勧”誡なのね)、いやはや、なかなか決定(けつじょう)できないもので、逃げるようにしてお暇させて頂いた。
今年中の勧誡はムリっぽいなぁ……。じゃあせめて、今年度中に先延ばしにするか……と思ったら、先ほど多摩準急先生から電話を頂戴した。何でも、あれだけ傾倒していた台湾仏教会“慈済”のここ最近の活動内容に疑問を持ってきたという。実は多摩準急先生の体験発表が載った冊子を、昨日の信徒さんに見てもらったのだが、感想は、
「とどのつまり、何を目的としている団体か分からない」
とのことだった。
「仏教を標榜しているようだが、確かに僧侶らしいのが出て何か拝んでいるようだが、今1つ何がしたいのか分からない」
という。
「ボランティアがしたいんでしょう」
と、私は答えておいたが。多摩準急先生も、
「被災してすぐにわざわざ外国から来てくれて、日本国内での救援が乏しい中、一生懸命活動している姿に感動した。しかし、今はボランティアをして、結局その後どうしたいのか分からない」
とのことだった。私が宗教活動をしていたからだろうか、大抵宗教団体のボランティア活動にはウラがあることを先生は知らなかったのだろうか。先生が折に触れ機に触れ、母体の宗教団体から勧誘を受けていることは先述した。私は当然相想定内だったので、特に気にもしていなかった。仮に顕正会がボランティア活動を始めたら、間違いなく被災者に折伏という名の勧誘を掛けているだろう。先生もそれくらいは想定していただろうが、
「宗教団体を名乗るのなら、被災者の心のケアに乗り出すべきだと進言したが、受け入れてもらえなかった」
という。何でもキリスト教の牧師や、他の四箇格言の中に入っている宗派の僧侶が、仮設住宅を回ってそういうことをしているのだという。しかし、台湾仏教会ではそのようなことはしない。多分、活動方針なのだろうと私は思った。そもそも顕正会や日蓮正宗がボランティア活動をしない方針というのと同じだ。創価学会はしているが、その裏は創価学会としての布教活動並びに公明党の票集めだと思っている。多分、顕正会員や法華講員の方々は同意してくれると思う。そう、宗教団体のボランティア活動というのは、多分に布教活動も入っている。顕正会ではやっていなくても、そこは同じ信仰者だ。考えることはだいたい分かる。
話は逸れたが、私は先生にこう聞いた。
「もし日蓮正宗の御僧侶や法華講の人達が、仮設住宅を一軒一軒回って、悩み事を聞いたりなどをしたら、喜んでもらえますか?」
そしたら、こう答えた。
「大喜びだろう。今は義援金を渡したり、炊き出しをやる時期じゃない。皆、将来のことをどうするかで悩んでいる。つまり、心のケアを今は必要としている。それなのに、あいつらと来たら、それをやろうとしないんだ」
とのことだった。おっと!顕正会員の皆さん……いや、これ以上は言うまい。臨終後の堕獄より、今正に地獄界の相に苦しんでいる人達を助けてくれるのなら、顕正会でもいいだろう。そう、臨終後の成仏をどうするかという余裕など向こうには無いのだという。今現在の地獄界を何とかしたいという被災者がほとんどらしい。東北地方の日蓮正宗の皆さん、何とかしてやってください。“慧妙”で『突撃!隣の晩ご飯アポ無し折伏』やってる場合じゃないですよ。
しかし、御僧侶の、それも老僧と言えるくらいの歳の方と話すと面白いね。何しろ、顕正会の妙信講時代のことを昨日のように知っていて、しかも若かりし頃の浅井会長の
最後に今すぐここで勧誡をと勧められたが(あ、だから“勧”誡なのね)、いやはや、なかなか決定(けつじょう)できないもので、逃げるようにしてお暇させて頂いた。
今年中の勧誡はムリっぽいなぁ……。じゃあせめて、今年度中に先延ばしにするか……と思ったら、先ほど多摩準急先生から電話を頂戴した。何でも、あれだけ傾倒していた台湾仏教会“慈済”のここ最近の活動内容に疑問を持ってきたという。実は多摩準急先生の体験発表が載った冊子を、昨日の信徒さんに見てもらったのだが、感想は、
「とどのつまり、何を目的としている団体か分からない」
とのことだった。
「仏教を標榜しているようだが、確かに僧侶らしいのが出て何か拝んでいるようだが、今1つ何がしたいのか分からない」
という。
「ボランティアがしたいんでしょう」
と、私は答えておいたが。多摩準急先生も、
「被災してすぐにわざわざ外国から来てくれて、日本国内での救援が乏しい中、一生懸命活動している姿に感動した。しかし、今はボランティアをして、結局その後どうしたいのか分からない」
とのことだった。私が宗教活動をしていたからだろうか、大抵宗教団体のボランティア活動にはウラがあることを先生は知らなかったのだろうか。先生が折に触れ機に触れ、母体の宗教団体から勧誘を受けていることは先述した。私は当然相想定内だったので、特に気にもしていなかった。仮に顕正会がボランティア活動を始めたら、間違いなく被災者に折伏という名の勧誘を掛けているだろう。先生もそれくらいは想定していただろうが、
「宗教団体を名乗るのなら、被災者の心のケアに乗り出すべきだと進言したが、受け入れてもらえなかった」
という。何でもキリスト教の牧師や、他の四箇格言の中に入っている宗派の僧侶が、仮設住宅を回ってそういうことをしているのだという。しかし、台湾仏教会ではそのようなことはしない。多分、活動方針なのだろうと私は思った。そもそも顕正会や日蓮正宗がボランティア活動をしない方針というのと同じだ。創価学会はしているが、その裏は創価学会としての布教活動並びに公明党の票集めだと思っている。多分、顕正会員や法華講員の方々は同意してくれると思う。そう、宗教団体のボランティア活動というのは、多分に布教活動も入っている。顕正会ではやっていなくても、そこは同じ信仰者だ。考えることはだいたい分かる。
話は逸れたが、私は先生にこう聞いた。
「もし日蓮正宗の御僧侶や法華講の人達が、仮設住宅を一軒一軒回って、悩み事を聞いたりなどをしたら、喜んでもらえますか?」
そしたら、こう答えた。
「大喜びだろう。今は義援金を渡したり、炊き出しをやる時期じゃない。皆、将来のことをどうするかで悩んでいる。つまり、心のケアを今は必要としている。それなのに、あいつらと来たら、それをやろうとしないんだ」
とのことだった。おっと!顕正会員の皆さん……いや、これ以上は言うまい。臨終後の堕獄より、今正に地獄界の相に苦しんでいる人達を助けてくれるのなら、顕正会でもいいだろう。そう、臨終後の成仏をどうするかという余裕など向こうには無いのだという。今現在の地獄界を何とかしたいという被災者がほとんどらしい。東北地方の日蓮正宗の皆さん、何とかしてやってください。“慧妙”で『突撃!