私が顕正会に入ったのは平成11年の4月。入学したばかりの短大の同級生による似非折伏を受けたのがきっかけである。その時、応援に来たのが、妙信講の家系であった当時、支隊副長のN氏。当時26歳だったから、今ではもう40歳近いだろう。同級生の体験とは比べ物にならないほどの体験発表をした。どう見ても運に救われたとしか言いようがないという体験である。本当は現・顕正会による福運ではなく、過去における妙信講の時に積み立てた功徳の切り崩しだったのだな。もちろん、そんなことド素人の自分に分かるわけもなく、見事に田舎者の私は騙されて入信したのである。とはいえ顕正会風に言うなら、「異流儀団体で信仰して身の持つはずがなく」旧妙信講員達は、どんどん脱落していった。私のような新規会員ならケガもある意味少ないのだが、破門された時に離れなかったという罪障もあるのかねぇ、旧妙信講員達が脱落する時は、そりゃもう見ていられないものだったねぇ。ま、私にはそんなこと知るかいって感じだけど。そういやN氏、今頃何してるのかね。同級生に聞いても知らんの一点張りだし。もっとも、顕正会員がこう言う時は【お察しください】。
しかし、だ。N氏の言っていたことは、あながち間違いではない。どんなに才能があろうと、どんなに努力を積もうと、最終的には運がモノを言う。これ、10年後には、かのAKB48の総合プロデューサーで有名な秋元康氏も同じことを言っていたくらいだ。N氏は、
「だから、顕正会で功徳を積んで運を良くしていきましょう」
と言っていた。因みによく顕正会員は功徳を、“もらうもの”と称しているが、本来は
“積むもの”である。その点、妙信講員は誤用していなかった。
顕正会でどれだけ罪障を積んだのか私には分からないが、受誡後は現世利益を追い求めることよりも、積み重ねた罪障を消滅させることを優先するような雰囲気だったので、これまたタブーだと思っていたのだ。確かに罪障が消滅される瞬間って、日常的な運は悪くなるからね。桜月氏が仰った、
「求めたものが違ったのでしょう」
とは、多分ここにある。
あ、そうそう。罪障消滅の際、却って運が悪くなると書いたが、最低限の運は守られるので念のため。少なくとも、自分の人生が左右されるほどのものではない。ただ、私の場合は周囲に迷惑が掛かるような感じだったんだけどね。他人の人生がブラックアウトされるほどの……おっと!ま、その話はおいおい……。
しかし、だ。N氏の言っていたことは、あながち間違いではない。どんなに才能があろうと、どんなに努力を積もうと、最終的には運がモノを言う。これ、10年後には、かのAKB48の総合プロデューサーで有名な秋元康氏も同じことを言っていたくらいだ。N氏は、
「だから、顕正会で功徳を積んで運を良くしていきましょう」
と言っていた。因みによく顕正会員は功徳を、“もらうもの”と称しているが、本来は
“積むもの”である。その点、妙信講員は誤用していなかった。
顕正会でどれだけ罪障を積んだのか私には分からないが、受誡後は現世利益を追い求めることよりも、積み重ねた罪障を消滅させることを優先するような雰囲気だったので、これまたタブーだと思っていたのだ。確かに罪障が消滅される瞬間って、日常的な運は悪くなるからね。桜月氏が仰った、
「求めたものが違ったのでしょう」
とは、多分ここにある。
あ、そうそう。罪障消滅の際、却って運が悪くなると書いたが、最低限の運は守られるので念のため。少なくとも、自分の人生が左右されるほどのものではない。ただ、私の場合は周囲に迷惑が掛かるような感じだったんだけどね。他人の人生がブラックアウトされるほどの……おっと!ま、その話はおいおい……。