報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

余震(?)が再発している

2012-11-24 19:36:36 | 日記
 まあ多分、東北地方太平洋沖地震の余震であることは疑いの余地は無い。多摩準急先生が予想した、
「今年中にまた大きな地震が来るかもしれない。それが東北なのか関東なのかは分からないが……」
 というのが的中しようとしているのか。1番怪しいのは、顕正会の浅井会長が地震についての予言、何も言わなくなったこと。それまでの予言が外れたから懲りたとも捉えられるが、偽本尊疑惑と同様、この人が言わないことは逆に当たることが多いようだが。東日本大震災についても、何も予言せずに起こったわけだし。顕正会の歌に、“両眼滝のその日まで”というのがある。今ではもう歌われなくなったようで、黒歴史化されているようだが、今でも私の手元にはそのCDがあるし、iPodにも入っているんだな、これが。何故か、“妙観講の歌”と“今日も元気で”に挟まれて(笑)。で、その中に、
「諸天も怒り 地も震う」
 という歌詞がある。ところがこれ、日蓮正宗の歌の中にもあるのですよ。昔の歌らしいのだが、あいにくと肝心の曲名を忘れた。こちらは、
「諸天は怒り 地も震う」
 と、歌っている。あまり覇気を感じられない“広布の青嵐”よりも、私個人的にはこちらの勇ましい系の歌がいいのだが、今の宗門ではもう歌っていないのだろうか。で、学会は、
「信じる者は 常に勝つ」
 という文が好きらしく、“学会健児の歌”と“東洋広布の歌”の中に入っている。

 とにかく、諸天のことについてはとやかくできるものではない。首都圏直下型地震が来ても、油断が無いようにしたい。緊急地震速報が鳴らないうちが、まだ華なのかもしれない。
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冨士参詣深夜便 4

2012-11-24 02:56:39 | 日記
 ポテンヒット氏より、今年のジャパンカップについてのレスを頂戴した。この時期はGⅠが目白押しである。競走馬は寒冷地仕様なので、夏場は重賞レースが開催されない。その代わり、最終レースを遅らせる通称“薄暮”が行われていたのだが、東日本大震災以降、中止となっている。帰るのが遅くなるので、警備員には不評であった。
 さて、東京・銀座には2つの場外馬券場(ウインズ)が存在する。昭和通り寄りにある「ウインズ銀座」と銀座中央通り沿いにある「ウインズ銀座通り」である。前者は本館としての扱いであり、掛け金は100円単位であるのに対し、後者は別館扱いの掛け金1000円単位となっている。故に「銀座通り」は通常空いており、尚且つ喫煙可であるため、常連の来場者からは好評であった。しかし、それが災いしたのかもしれない。来年3月を以て、閉鎖が決定した。他に来場者減を理由に閉鎖が決定しているのが、北海道の「室蘭」と「静内」であるだけに、何故首都圏の、それも「銀座通り」だけ?という疑問が出ている。「経費削減の折、本館たる『銀座』と統合する」との説明がされているが、つまりはこちらも赤字だったのだろうという予想ができるのだ。

 話は変わるが、この前、法事で福島県郡山市に向かった際、片道は新越谷駅から出ている高速バス“あだたら”号に乗った。新越谷駅はJR南越谷駅に隣接されているため、久しぶりに武蔵野線に乗った。武蔵野線と言えば、オレンジ色の103系が抵抗制御のモーター音をがなり立てて、トンネル内では車内放送がほとんど聞こえないというイメージがあり、それがかの鉄道テクノバンド“スーパーベルズ”の楽曲において再現されている。今はポテンヒット氏のコメントにあった通り、山手線や京浜東北線から転属してきた205系や209系に取って代わり、今は昔の話になっている(と、言いたいところだが、りんかい線内トンネルにおける205系の響きも相当なものだから、もしかすると……)。この武蔵野線、西は東京競馬場のある府中本町、東は中山競馬場のある船橋法典を通る為、中央競馬とは縁深い路線である(因みに東川口駅は、川口オートレースのアクセス駅にもなっているので、これも入れれば、正にギャンブル線だ)。
 京葉線直通、快速、東京行きに乗れば、TDRにも行けるので、休日は確かに運転室からのかぶり付きは難しいかもしれない。しかし、ややもすると展望窓すら無かった103系や、小窓しか無かった201系と比べると格段に展望は良くなっているので、諦めないで頂きたいところである。
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運について

2012-11-22 15:26:45 | 日記
 私が顕正会に入ったのは平成11年の4月。入学したばかりの短大の同級生による似非折伏を受けたのがきっかけである。その時、応援に来たのが、妙信講の家系であった当時、支隊副長のN氏。当時26歳だったから、今ではもう40歳近いだろう。同級生の体験とは比べ物にならないほどの体験発表をした。どう見ても運に救われたとしか言いようがないという体験である。本当は現・顕正会による福運ではなく、過去における妙信講の時に積み立てた功徳の切り崩しだったのだな。もちろん、そんなことド素人の自分に分かるわけもなく、見事に田舎者の私は騙されて入信したのである。とはいえ顕正会風に言うなら、「異流儀団体で信仰して身の持つはずがなく」旧妙信講員達は、どんどん脱落していった。私のような新規会員ならケガもある意味少ないのだが、破門された時に離れなかったという罪障もあるのかねぇ、旧妙信講員達が脱落する時は、そりゃもう見ていられないものだったねぇ。ま、私にはそんなこと知るかいって感じだけど。そういやN氏、今頃何してるのかね。同級生に聞いても知らんの一点張りだし。もっとも、顕正会員がこう言う時は【お察しください】。
 しかし、だ。N氏の言っていたことは、あながち間違いではない。どんなに才能があろうと、どんなに努力を積もうと、最終的には運がモノを言う。これ、10年後には、かのAKB48の総合プロデューサーで有名な秋元康氏も同じことを言っていたくらいだ。N氏は、
「だから、顕正会で功徳を積んで運を良くしていきましょう」
 と言っていた。因みによく顕正会員は功徳を、“もらうもの”と称しているが、本来は
“積むもの”である。その点、妙信講員は誤用していなかった。

 顕正会でどれだけ罪障を積んだのか私には分からないが、受誡後は現世利益を追い求めることよりも、積み重ねた罪障を消滅させることを優先するような雰囲気だったので、これまたタブーだと思っていたのだ。確かに罪障が消滅される瞬間って、日常的な運は悪くなるからね。桜月氏が仰った、
「求めたものが違ったのでしょう」
 とは、多分ここにある。 
 あ、そうそう。罪障消滅の際、却って運が悪くなると書いたが、最低限の運は守られるので念のため。少なくとも、自分の人生が左右されるほどのものではない。ただ、私の場合は周囲に迷惑が掛かるような感じだったんだけどね。他人の人生がブラックアウトされるほどの……おっと!ま、その話はおいおい……。
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冨士参詣深夜便 3

2012-11-22 00:28:35 | 日記
 桜月氏より、懇切丁寧なコメントを頂戴している。なかなかお見通しのようで、ハテ?私とどこかでお会いしただろうかと一瞬思ってしまった。
 コメントの中で、私は日蓮正宗とて白蓮華ではないと書いたが、補足をすれば、そのように見えたということである。だから、「何だと!?どこが白蓮華ではないというのだ!?文証でもって示せ!」と、本気にならないように……。文証でもって断言できるのなら、とっくにそうしている。そして、理由も分かっていると書いたが、答えは簡単。桜月氏がほとんど解答をコメントなさっておられるし、閉鎖する前のブログに、図らずも書いた記憶がある。今、私を勧誡させようと水面上で動いて下さっているのは【自主規制】。そして、その中で、元顕正会員でない人は【自主規制】。

 現世利益を求めることをタブーにしてしまったのは顕正会員の悪い癖で、それを知っただけでもありがたいことだ。この場にて恐縮だが、御礼申し上げたい。
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現世利益最優先

2012-11-20 22:20:27 | 日記
 かつて私が打ち立てていた理念である。まあ、信心の道から外れていますな。顕正会なら、これでもいいのかもしれな……くないんですな。むしろ、死んでからのことを考えているようで、その為なら今の人生を犠牲にしてもいいと考えている節が多々見受けられる。元顕正会員の法華講員さんなら、わざわざ例示しなくても分かりますね。元顕正会員さんじゃなくても、現役顕正会員を相手にしたことのある信徒さんならお分かり頂けるかと。
 ところが、である。これまた例外が存在するのですよ。かつて当ブログに登場して頂いた、新潟で活動しておられる顕正会組長さん。確か、ポテンヒットさんから、「要領のいい人」と評価を受けたと思いますね。班長に出世したようですが、まあ、法華講で信心していた頃の私より幸せな生活を送っておられる。無論、確固たる信心があれば、そんなこと気にもしないのでしょうが、私は大いにヘコんだのでありますな。うーむ……こんな時、やっぱりお寺が遠いと不便かもしれない。で、この班長さん、今でも現役でありながら、まだまだ幸せな生活を送っておられるようでありますよ。同じ、顕正会女子部員と結婚されたようです。よほど、過去世での行いが良かったのでありましょうな。

 まあ、人生の後輩への僻み羨望はここまでにしておいて……。ああ、そうそう。ちゃんと御祝儀とお祝いメッセージは送っておいたので悪しからず。……あれ、待てよ?確かこのパターン、前にもあったような……?何だったかな……。まあ、いい。いずれ思い出すだろう。ここで顕正会に戻って来ませんか?というあからさまな嫌味あふれる慈愛に満ちたメッセージを送ってこないところが、この班長のいいところだ。
 ああ、思い出した。この後輩、確か家系が元妙信講だったはず。前に1度聞いたことがある。それで、その時の功徳がまだ有効なんだ。それでか……。いや、私を折伏という名の勧誘に来た顕正会員(の応援に来た上長)も、元妙信講の家系で、その過去の功徳を今の顕正会の功徳と偽って(本人に悪気は無いのだろうが)、私も騙されたのだ。いやいや、ある意味もっとも悪質だね。その親分が、正に浅井会長だったりするのだ。ほら、言うまでもなく、この御仁も元妙信講でしょう。

 あとは……そうだな。乞食信心は良くないと私も思うが、どうしても現世に利益を求めてしまうのは……分かっちゃいるけどやめられなさそうだ。日曜日に訪れた末寺の婦人部員さんより、「お寺漫遊しちゃダメよ」なんて言われたが、痛い所を突かれた感じだ。これ正に、私が成仏よりも、むしろ現世利益を求めていることへの現れだろう。そもそも顕正会に騙されて入信したのも、現世における日常的な運に恵まれなかったことへの不満の表れに他ならない。多分それを日蓮正宗に求めても、バッサリ切られるだけであろう。どういう言葉が返ってくるのか、もう既に想像できてるからだ。確か、信心していた頃に言われたことがあるからだと思う。つまり、全然反省していないってことですな。すいまそん。
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