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あさのあつこ(著)
弥勒にも夜叉にもなれるのが、人という生き物なのだ。
ときに弥勒、ときに夜叉。
いや・・・仏と鬼との真ん中に人はいる。
それはまた、仏でもなく、鬼でもなく、
仏にもなれず、鬼にもなれず、
人は人としてこの世に生きねばならぬということなのかもしれない。
読み始めて、あ、しまった
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彼女の作品を読むには、心構えが甘かった。
そう、作者の文体には勢いがある、棘がある、意地がある。
心構え無くして安穏と作品に向かうと、痛い目に会う。
そのことは「バッテリー」で重々承知のはずだったのに。
そして、必ずしも主人公は善人で品行方正ではないという事実も。
「バッテリー」の巧も、この信次郎も。
初対面であるならば、私ははっきり言って嫌いだ、彼らは。
そして嫌いなまま、小説は終わってしまうのだ。
あさの氏にとって、ヒーローは孤高な存在であらねばならない。
彼らの心情を、たかが読者の分際で知られてたまるか、の如く。
そしてそのヒーローの側近が、これまた実にいい人なのだ。
信次郎に伊佐治がいるように、巧に剛がいるように。
「弥勒の月」を先に読めばよかったのかもしれない。
それはそれで後の日のお楽しみとして取っておこう
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私ね、本を選ぶのは何も考えてないのよ(笑)
菜々子さんと同じで、評判だとかイメージだとかから入ります。
失敗も多いです
ただ、一冊でも良い本にめぐり合えたら、
次ぎもまた読んでしまいたくなります。
しつこい性格ですからね
著者の性格も読み取れる何冊かよんでると
捕らえ方も一過性があるんですよね。
私はどちらかと言うとわからない人のの本はあまり
読もうとはしない。
ただ周りから聞こえてくるイメージで取り組んだり
すんですがそれが失敗が多い。
途中で読みたくなくなる。
何冊もあるんですよ。いつかまたページめくってみようと思ってはいるがどうかな?(笑)
トマピーさんは読む前に色々考えていてやはり私とは違うようです。
きっと読むって事の価値観見たいな物が違うと思う。
尊敬します(^^)v