衆議院選挙、都知事選まであと3日。
自分たちの暮らしをどう考えるのか、どうしたいのか、原発は、平和は、と重要な課題への意思表示の大事な機会だ。
自分たちの未来を人任せにできないと、切実に思う。
ちなみに優さんは公務員だったとか
田中優さんのコラムから*******************************
『 明日を変えるのは君のたった今 』(GAKU-MC「昨日のNo、明日のYes」より)
▼ かつての職場で
ぼくが入社一年目のときの話だ。
ぼくは新たな職場に就くと、まずは徹底的に仕事に関する本を読むようにしていた。
最初は足手まといになるのであれば、その先に役立つ知識をきっちり入れておいた方がいい。
そう思って特別な分野を除けば、関わりのある本には全部目を通していた。
最初の職場は福祉の現場だった。
同じケースワーカー全員の会議が毎月行われる。
相手のある仕事のせいか、とても真剣に論議する。
しかしそのときは、いいかげんなところで話が落ち着きそうになっていた。
福祉の現場は厳しいので、なかなか原則通りには進まない。
しかし『それにしても』と感じた。
入ったばかりの新人だが、それでもこれではちょっとまずいと思って発言した。
周囲は無言になった。
誰かが『…原則通りに考えればそうだが』とつぶやいた。
そして他の職員が発言した。
「田中くんは新人だからね、きみの考える通りにはならないよ」という趣旨の発言だった。
しかしぼくはさらに発言した。
「ぼくは新人ですが、ということはこの席に並んでいる誰よりも最後までいることになります。
責任を取って最後まで仕事をするのはぼくなのですから、いいかげんな結論では困るんです」と。
もちろん生意気な発言だと思うし、今からすると恥ずかしいが、それでも発言して良かったと思う。
そして会議は福祉受給者の権利側に立った結論になった。
▼ 誰の未来を決めるのか
選挙のこともよく似たことではないかと思う。
わずか20歳で投票権を得ても、ほとんど社会の右も左もわからない。
だから先人や社会の先輩たちの言い分に従っておくのが便利だとは思う。
しかしそれでいいのだろうか。
その社会に最後までいなければならないのは、常に新人の側なのだ。
そうした心理のせいか、日本の若者たちはあまり選挙に行かない。
その結果、きちんと投票に行く年寄りばかりが政治家を選択してしまう。
その年寄りたちが若者たちの将来を考えて選択してくれているのならいいが、どうも自分の年金額や自分の貯蓄の安全ばかり考えて選択する人も多いのだ。
そうでない人もいるが、残念ながら少数派に見える。
たとえば「戦争で解決だ」と威勢のいいことを言う政治家がいる。
しかし彼自身は自分が戦場に行くことはない。
そしてその政治家を選ぶのも、戦争に徴兵されない世代の人たちだ。
その人たちに使われるコマとして生きるだけでいいのだろうか。
この社会に一番最後までいなければならないのは若い世代の人なのだ。
責任を取らされる/取らなければならない人たちこそ、社会の主人公になるべきではないか。
▼ 自分の選択を
ぼくは他人に影響を与えたくない。
その人がその人自身で選択すればいいことだと思うからだ。
万が一、ぼくの影響を受けたといわれても拒否する。
なぜならそれはその人の選択で決めたことであるからだ。
だから誰が何を選択してもいい。
しかし選択した責任は取る必要がある。
人は誰かのアドバイスに従ってはならない。
もし正しければ「誰かの功績」になってしまって自分の自信につながらなくなる。
もし正しくなければ、「誰かを恨む」ことで自分の責任を回避してしまうからだ。
あくまで自分で決めなければならない。
特に今回の選挙では原発や増税、軍事や貿易条件が決まる。
とても重大な選挙だ。
どれを選択するのでもいい。
しかし自分の未来から逃げることはできない。
「明日を決めるのは君のたった今」なのだ。
引用おわり*******************************
ホントだね。
老人の政治家の言いなりになってちゃいけないね。
勇ましいことを言っているが、ちゃんと責任をとれるのだろうかと思う。
自分たちの暮らしをどう考えるのか、どうしたいのか、原発は、平和は、と重要な課題への意思表示の大事な機会だ。
自分たちの未来を人任せにできないと、切実に思う。
ちなみに優さんは公務員だったとか
田中優さんのコラムから*******************************
『 明日を変えるのは君のたった今 』(GAKU-MC「昨日のNo、明日のYes」より)
▼ かつての職場で
ぼくが入社一年目のときの話だ。
ぼくは新たな職場に就くと、まずは徹底的に仕事に関する本を読むようにしていた。
最初は足手まといになるのであれば、その先に役立つ知識をきっちり入れておいた方がいい。
そう思って特別な分野を除けば、関わりのある本には全部目を通していた。
最初の職場は福祉の現場だった。
同じケースワーカー全員の会議が毎月行われる。
相手のある仕事のせいか、とても真剣に論議する。
しかしそのときは、いいかげんなところで話が落ち着きそうになっていた。
福祉の現場は厳しいので、なかなか原則通りには進まない。
しかし『それにしても』と感じた。
入ったばかりの新人だが、それでもこれではちょっとまずいと思って発言した。
周囲は無言になった。
誰かが『…原則通りに考えればそうだが』とつぶやいた。
そして他の職員が発言した。
「田中くんは新人だからね、きみの考える通りにはならないよ」という趣旨の発言だった。
しかしぼくはさらに発言した。
「ぼくは新人ですが、ということはこの席に並んでいる誰よりも最後までいることになります。
責任を取って最後まで仕事をするのはぼくなのですから、いいかげんな結論では困るんです」と。
もちろん生意気な発言だと思うし、今からすると恥ずかしいが、それでも発言して良かったと思う。
そして会議は福祉受給者の権利側に立った結論になった。
▼ 誰の未来を決めるのか
選挙のこともよく似たことではないかと思う。
わずか20歳で投票権を得ても、ほとんど社会の右も左もわからない。
だから先人や社会の先輩たちの言い分に従っておくのが便利だとは思う。
しかしそれでいいのだろうか。
その社会に最後までいなければならないのは、常に新人の側なのだ。
そうした心理のせいか、日本の若者たちはあまり選挙に行かない。
その結果、きちんと投票に行く年寄りばかりが政治家を選択してしまう。
その年寄りたちが若者たちの将来を考えて選択してくれているのならいいが、どうも自分の年金額や自分の貯蓄の安全ばかり考えて選択する人も多いのだ。
そうでない人もいるが、残念ながら少数派に見える。
たとえば「戦争で解決だ」と威勢のいいことを言う政治家がいる。
しかし彼自身は自分が戦場に行くことはない。
そしてその政治家を選ぶのも、戦争に徴兵されない世代の人たちだ。
その人たちに使われるコマとして生きるだけでいいのだろうか。
この社会に一番最後までいなければならないのは若い世代の人なのだ。
責任を取らされる/取らなければならない人たちこそ、社会の主人公になるべきではないか。
▼ 自分の選択を
ぼくは他人に影響を与えたくない。
その人がその人自身で選択すればいいことだと思うからだ。
万が一、ぼくの影響を受けたといわれても拒否する。
なぜならそれはその人の選択で決めたことであるからだ。
だから誰が何を選択してもいい。
しかし選択した責任は取る必要がある。
人は誰かのアドバイスに従ってはならない。
もし正しければ「誰かの功績」になってしまって自分の自信につながらなくなる。
もし正しくなければ、「誰かを恨む」ことで自分の責任を回避してしまうからだ。
あくまで自分で決めなければならない。
特に今回の選挙では原発や増税、軍事や貿易条件が決まる。
とても重大な選挙だ。
どれを選択するのでもいい。
しかし自分の未来から逃げることはできない。
「明日を決めるのは君のたった今」なのだ。
引用おわり*******************************
ホントだね。
老人の政治家の言いなりになってちゃいけないね。
勇ましいことを言っているが、ちゃんと責任をとれるのだろうかと思う。