皆さん こんばんは。
やっと 普通のリズムの1日に戻りました。
ひさしぶりに お城を歩くこともできたし
自宅で 食事を作ることもできました。
29日に 母が脳梗塞で 倒れて いろいろな事がありすぎて
どう表現すべきかと 考えていました。
そして その間に起きたことすべてを とりまとめる言葉と
して 「表現」というテーマにしていました。
母は 28日の夜 珍しく 歌番組を見て
「今日の歌は よかったねえ」と 超ご機嫌で
寝て そのまま ・・・・。
母は 自分の人生の終わり 最高の表現をしたかったようです。
苦労の多い 人生 最後ぐらい楽させてもらうよ・・と
今ごろ 涼しい顔だと思います。
ブログに 表現する事が どうなのかと思いも 少しは
あるのですが 母は やはり私の原点ですから
私を 表現する意味でも 書くことにしました。
母の 名前は ○○○ ○○○
実は その名前を カタカタにすると なんと
苗字と 名前が 同じ響きになります。
珍しい名前なのです。お骨を拾う時に 気がついたのですが
母は 父の 亡くなった お母さんの 生まれ代わりではなかったかと思います。
父のお母さんは 父が 産まれて数ヶ月で
父の名前を叫びながら 亡くなったそうです。
同じ妻という立場で 考えた時 どうしてあれほどまで
夫である父の世話ができたのかと 不思議でなりません。
そんな時代だといえば それまでですが
父のお母さんの生まれかわりだと思えば
すべてが 納得できます。 どうしても
息子の事が気になって 母の体を借りて 父の世話をしたかったのではと
思います。
寂しがりやの 父の為に 私達 4人の子供を産んだのでは・・・。
母の人生は 母性本能の表現ではなかったかと思います。
母は いつも 自分は 食べなくても・・・
子供達には・・・。 それが 私の母性本能の基盤です。
次に 今回のような事態になると 家族が皆それぞれに
追い詰められる状況になります。
そこで 感じたのは 身近な人になればなるほど
自分の辛さ痛みを ついそのまま 表現してしまうという事です。
まったくの他人には 出せない心を 出してしまいます。
私が 以前から 興味を持つのは その表現は どこからくるのかな?と
思うのです。 今の時代 女性は 表現の方法をある程度 上手に
するところがあります。でも 男性の場合は
ぶっきら棒に ついつい 自己表現してしまいます。
その表現が すべて その人の本音かというと
どうも そうでも ないようです。
父のように 母親の愛情表現を知らずに 育った場合は
知らないわけですから 単に 自分の不快感だけを
伝えてしまうのでは と思います。
男の人のほうが 自分の一番大切に感じている人に対して
表現が 下手なのかも しれません。
(そう思うと 主人との夫婦喧嘩も ・・・笑)
例えば ある保険商品があるとします。
①「・・・・あなたと 一生一緒だから。
いつも 見守っています。」
② 終身医療保険
③ 保険料 お支払い総額 328万円 他社より2万円安い!
商品は 同じでも 3つの方向からの表現があります。
表現方法を 変えれば まだまだ多く表現できるわけです。
①の表現方法を 知らなければ ②と③だけで ずいぶん味気ないものに
なってしまいます。
次に 医師の表現方法について
母の場合 30歳ぐらいの若い男性の主治医でした。
その方の表現は 単に 医師としての知識ではなく
人間としての 心のあり方を 一番大切にした話を してくれました。
手術をするのか どうか 人工呼吸器をつける事を
どう考えるのかどうか・・・元気だった頃の母の考え方を
丁寧に 父に確認してくれました。感情的になっている
父の態度も 充分に受け入れて お話をしてくれて
まさに 人間力を 感じました。
その医師の方は いつ休まれるのだろう?と父が心配するぐらい
状況の変化に伴い ICUに 来てくれました。
医師の表現方法 ひとつにとっても
家族の その後心の痛みが まったく違ってきます。
本当に 有難かったと思います。
今日の朝は ひさしぶりに 茂木さんの ブログを
読みました。10年も ブログを続けていらっしゃるそうです。
茂木さんの表現を 借りると ブログは
少しでもいいものを 残したいという 倫理感だそうです。
私の場合は まだまだ そこまで至っていませんが
できるだけ 自分を表現し 自分を冷静に見る事が
できればと思います。
お金 インターネット 携帯
時代は どんどん変化していきます。
時間の 速度は 早まるばかりで 心の表現が
少なくなってきたように思います。
書いている自分自身が とても苦手なのです。
(まずは 文章で 練習して その次は 言葉にだせるといいかなと思います)
この 一週間 自分の行動
8月1日 なぜ香川に戻ったのか・・と少し後悔しました。
でも 出棺の前 棺の蓋がしまる前に
声に出して
「ありがとうございました。」が言えた事で
後悔を消す事ができました。
この点については まわりを気にせずに
表現できた事 この1年のブログの成果かもしれません。
人生 いつかは 終わります。
何年生きたかでは なく どれだけ 自分を
表現したか?・・・でありたいと思います。
もちろん 私の家族を含め 周りの人々 お客様にも
伝染させる事ができたら 最高かもしれません。
ブログを書く事で バランスがとれなくなった私の心が少し
元にもどるような 気がします。
今日も 1日 有り難うございました。
やっと 普通のリズムの1日に戻りました。
ひさしぶりに お城を歩くこともできたし
自宅で 食事を作ることもできました。
29日に 母が脳梗塞で 倒れて いろいろな事がありすぎて
どう表現すべきかと 考えていました。
そして その間に起きたことすべてを とりまとめる言葉と
して 「表現」というテーマにしていました。
母は 28日の夜 珍しく 歌番組を見て
「今日の歌は よかったねえ」と 超ご機嫌で
寝て そのまま ・・・・。
母は 自分の人生の終わり 最高の表現をしたかったようです。
苦労の多い 人生 最後ぐらい楽させてもらうよ・・と
今ごろ 涼しい顔だと思います。
ブログに 表現する事が どうなのかと思いも 少しは
あるのですが 母は やはり私の原点ですから
私を 表現する意味でも 書くことにしました。
母の 名前は ○○○ ○○○
実は その名前を カタカタにすると なんと
苗字と 名前が 同じ響きになります。
珍しい名前なのです。お骨を拾う時に 気がついたのですが
母は 父の 亡くなった お母さんの 生まれ代わりではなかったかと思います。
父のお母さんは 父が 産まれて数ヶ月で
父の名前を叫びながら 亡くなったそうです。
同じ妻という立場で 考えた時 どうしてあれほどまで
夫である父の世話ができたのかと 不思議でなりません。
そんな時代だといえば それまでですが
父のお母さんの生まれかわりだと思えば
すべてが 納得できます。 どうしても
息子の事が気になって 母の体を借りて 父の世話をしたかったのではと
思います。
寂しがりやの 父の為に 私達 4人の子供を産んだのでは・・・。
母の人生は 母性本能の表現ではなかったかと思います。
母は いつも 自分は 食べなくても・・・
子供達には・・・。 それが 私の母性本能の基盤です。
次に 今回のような事態になると 家族が皆それぞれに
追い詰められる状況になります。
そこで 感じたのは 身近な人になればなるほど
自分の辛さ痛みを ついそのまま 表現してしまうという事です。
まったくの他人には 出せない心を 出してしまいます。
私が 以前から 興味を持つのは その表現は どこからくるのかな?と
思うのです。 今の時代 女性は 表現の方法をある程度 上手に
するところがあります。でも 男性の場合は
ぶっきら棒に ついつい 自己表現してしまいます。
その表現が すべて その人の本音かというと
どうも そうでも ないようです。
父のように 母親の愛情表現を知らずに 育った場合は
知らないわけですから 単に 自分の不快感だけを
伝えてしまうのでは と思います。
男の人のほうが 自分の一番大切に感じている人に対して
表現が 下手なのかも しれません。
(そう思うと 主人との夫婦喧嘩も ・・・笑)
例えば ある保険商品があるとします。
①「・・・・あなたと 一生一緒だから。
いつも 見守っています。」
② 終身医療保険
③ 保険料 お支払い総額 328万円 他社より2万円安い!
商品は 同じでも 3つの方向からの表現があります。
表現方法を 変えれば まだまだ多く表現できるわけです。
①の表現方法を 知らなければ ②と③だけで ずいぶん味気ないものに
なってしまいます。
次に 医師の表現方法について
母の場合 30歳ぐらいの若い男性の主治医でした。
その方の表現は 単に 医師としての知識ではなく
人間としての 心のあり方を 一番大切にした話を してくれました。
手術をするのか どうか 人工呼吸器をつける事を
どう考えるのかどうか・・・元気だった頃の母の考え方を
丁寧に 父に確認してくれました。感情的になっている
父の態度も 充分に受け入れて お話をしてくれて
まさに 人間力を 感じました。
その医師の方は いつ休まれるのだろう?と父が心配するぐらい
状況の変化に伴い ICUに 来てくれました。
医師の表現方法 ひとつにとっても
家族の その後心の痛みが まったく違ってきます。
本当に 有難かったと思います。
今日の朝は ひさしぶりに 茂木さんの ブログを
読みました。10年も ブログを続けていらっしゃるそうです。
茂木さんの表現を 借りると ブログは
少しでもいいものを 残したいという 倫理感だそうです。
私の場合は まだまだ そこまで至っていませんが
できるだけ 自分を表現し 自分を冷静に見る事が
できればと思います。
お金 インターネット 携帯
時代は どんどん変化していきます。
時間の 速度は 早まるばかりで 心の表現が
少なくなってきたように思います。
書いている自分自身が とても苦手なのです。
(まずは 文章で 練習して その次は 言葉にだせるといいかなと思います)
この 一週間 自分の行動
8月1日 なぜ香川に戻ったのか・・と少し後悔しました。
でも 出棺の前 棺の蓋がしまる前に
声に出して
「ありがとうございました。」が言えた事で
後悔を消す事ができました。
この点については まわりを気にせずに
表現できた事 この1年のブログの成果かもしれません。
人生 いつかは 終わります。
何年生きたかでは なく どれだけ 自分を
表現したか?・・・でありたいと思います。
もちろん 私の家族を含め 周りの人々 お客様にも
伝染させる事ができたら 最高かもしれません。
ブログを書く事で バランスがとれなくなった私の心が少し
元にもどるような 気がします。
今日も 1日 有り難うございました。