1月に続いて、2月もウォーキングに参加してきた。今回は、JRと天竜浜名湖鉄道の共催で天浜線桜木駅からJR袋井駅までの約13キロのコースだ。パンフレットを見ると、体力に自信のある方向けの健脚向けコースとなっていた。
まずは自宅から遠州鉄道西鹿島駅まで向かい、天浜線に乗り換え桜木駅で降りる。桜木駅は、周辺に大手企業があり、結構通勤客の乗降が多いそうだ。桜木の由来は近隣にある雨桜神社とこの周辺の地区名である垂木のそれぞれから一文字ずつとって桜木という地名が生まれたという。桜木駅本屋及び上りプラットホームは国の登録有形文化財に登録されており、レトロな雰囲気がなかなかいい。
駅前で、JRさわやかウォーキングの受付があり、コースマップを貰ってスタートする。
住宅地を抜けると、直ぐに田園地帯となり、青空のもと、サクサクと歩いていく。
1時間ほどで、油山寺に到着する。遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺だ。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来している。
油山寺は、行基大徳による開山から1300年あまり、目や足腰にご利益があると、親しまれ、目の霊山として知られている。
「瑠璃の滝」。孝謙天皇が御眼の病気を患った折、境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したといわれている
瑠璃の滝前にある滝堂の天井には見事な「白龍の画」が描かれている。
三重塔。建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として建立された。その後、戦国時代の兵火にさらされ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて再建したといわれている。滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられている。塔の高さはおよそ23メートル。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔だ。
一番上まで上がって行くと、薬師本堂がある。本堂には本尊の薬師如来と油山寺の守護神である軍善坊大権現が祀られている。
本堂の内部を見ると、目の霊山という事で「め」という文字が目立つ。絵馬には、目の病が治るようにと書かれたものがほとんどだ。
油山寺からさらに1時間ほど歩くと、可睡斎に到着する。東海道一の禅の修行道場である可睡斎は悠久六百年の歴史を刻む徳川家康公が名づけた古刹。現在は、曹洞宗・専門僧堂として多くの雲水(修行僧)が修行をしているそうだ。
可睡斎には何度も来たことがあるのだが、国登録有形文化財に登録された瑞龍閣にはまだ入ったことがなかった。今回は、目玉である「ひなまつり」のイベントが開催されているという事で、入場料を払って初めて中に入る。ウォーキング参加者には、入場料の割引がある。迷路のように張り巡らされた会場の中には、あちらこちらにお雛様が飾られている。
庭園前の廊下にも、お雛様がずらっと飾られている。
瑞龍閣のなかにあるトイレは「日本一の東司(とうす)」と呼ばれ、炎の神「宇烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られている。炎の神様は「烈火で不浄を清浄とする」とされ、本来清浄なる自己に目覚めさせる徳をもつといわれている。その効力なのか、とても清潔で綺麗なトイレだ。
さて、油山寺の「ひなまつり」イベントのメイン会場に入る。2階の「菊の間」と「牡丹の間」は各50畳もあり、木造建築物としては日本有数の規模だ。そして「牡丹の間」には、高さ3.5メートル・重さ50キロの巨大な「傘福」と、可愛らしい「2,000体さるぼぼ」が展示されている。
圧巻なのは、「菊の間」に飾られた"日本最大級のひな飾り"だ。きれいに並べられた32段・約1,200体のおひな様は、今にも天井に届きそうである。ひな壇は、幅9メートル・高さ3メートルにも及び、凄い迫力を感じる。
1階では室内ぼたん園も開園しており、展示・グルメ・体験など、ひなまつりに関連したいろんなイベントが開催されていた。
可睡斎では、寺院に参拝する事より「ひなまつり」イベントで十分満足してしまった。かなり見学で時間もかかり、ゴールの締切り時間も考えると、次に行かなければならない。その後も、せっせと歩き、タイトルにもある城跡に着いた。場所は、久野城址だ。久野城は袋井市鷲巣に所在する平山城で、東海道を見渡せる位置にあり、明応年間(1492~1501)に久野宗隆によって造られたと伝わっている。
久野城址は、「袋井メロンマラソン」のコースとして、いつもこの横を通り過ぎていたのだが、一度も意識したことがなく、今回初めて城址だったことを知った。整備された階段を登っていくと、“北の丸”の場所に出た。枯草が生い茂り、城址らしきものはない。
さらに上に上がって行くと、“本丸”があった場所に出た。“北の丸”よりもかなり広い。
南側は見晴らしがよく、袋井市内が良く見える。ベンチの横には、大きな看板が立っている。
何が書かれているのかと、回って前を見てみると「久野城址」と書かれていた。これだけ大きければ、市内からよく見えるのだろう。
久野城址を出ると、14時を回っていた。ゴールの15時には1時間もない。東海道どまん中茶屋に着いたのは14:45。お茶を頂いて、いそいで袋井駅に向かう。
最後は、小走りや速足で14:57くらいにゴールに到着。ぎりぎりセーフで完歩のスタンプを頂くことが出来た。
袋井駅からは、JR掛川駅まで戻り、天浜線の西鹿島から遠州鉄道経由で帰宅する。さすが健脚コースというだけあって、自宅に着くと歩数は3万歩にも達していた。このところ良く歩いているので、ちょうどいい足慣らしになった。
参考.今回のコースマップ
まずは自宅から遠州鉄道西鹿島駅まで向かい、天浜線に乗り換え桜木駅で降りる。桜木駅は、周辺に大手企業があり、結構通勤客の乗降が多いそうだ。桜木の由来は近隣にある雨桜神社とこの周辺の地区名である垂木のそれぞれから一文字ずつとって桜木という地名が生まれたという。桜木駅本屋及び上りプラットホームは国の登録有形文化財に登録されており、レトロな雰囲気がなかなかいい。
駅前で、JRさわやかウォーキングの受付があり、コースマップを貰ってスタートする。
住宅地を抜けると、直ぐに田園地帯となり、青空のもと、サクサクと歩いていく。
1時間ほどで、油山寺に到着する。遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺だ。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来している。
油山寺は、行基大徳による開山から1300年あまり、目や足腰にご利益があると、親しまれ、目の霊山として知られている。
「瑠璃の滝」。孝謙天皇が御眼の病気を患った折、境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したといわれている
瑠璃の滝前にある滝堂の天井には見事な「白龍の画」が描かれている。
三重塔。建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として建立された。その後、戦国時代の兵火にさらされ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて再建したといわれている。滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられている。塔の高さはおよそ23メートル。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔だ。
一番上まで上がって行くと、薬師本堂がある。本堂には本尊の薬師如来と油山寺の守護神である軍善坊大権現が祀られている。
本堂の内部を見ると、目の霊山という事で「め」という文字が目立つ。絵馬には、目の病が治るようにと書かれたものがほとんどだ。
油山寺からさらに1時間ほど歩くと、可睡斎に到着する。東海道一の禅の修行道場である可睡斎は悠久六百年の歴史を刻む徳川家康公が名づけた古刹。現在は、曹洞宗・専門僧堂として多くの雲水(修行僧)が修行をしているそうだ。
可睡斎には何度も来たことがあるのだが、国登録有形文化財に登録された瑞龍閣にはまだ入ったことがなかった。今回は、目玉である「ひなまつり」のイベントが開催されているという事で、入場料を払って初めて中に入る。ウォーキング参加者には、入場料の割引がある。迷路のように張り巡らされた会場の中には、あちらこちらにお雛様が飾られている。
庭園前の廊下にも、お雛様がずらっと飾られている。
瑞龍閣のなかにあるトイレは「日本一の東司(とうす)」と呼ばれ、炎の神「宇烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られている。炎の神様は「烈火で不浄を清浄とする」とされ、本来清浄なる自己に目覚めさせる徳をもつといわれている。その効力なのか、とても清潔で綺麗なトイレだ。
さて、油山寺の「ひなまつり」イベントのメイン会場に入る。2階の「菊の間」と「牡丹の間」は各50畳もあり、木造建築物としては日本有数の規模だ。そして「牡丹の間」には、高さ3.5メートル・重さ50キロの巨大な「傘福」と、可愛らしい「2,000体さるぼぼ」が展示されている。
圧巻なのは、「菊の間」に飾られた"日本最大級のひな飾り"だ。きれいに並べられた32段・約1,200体のおひな様は、今にも天井に届きそうである。ひな壇は、幅9メートル・高さ3メートルにも及び、凄い迫力を感じる。
1階では室内ぼたん園も開園しており、展示・グルメ・体験など、ひなまつりに関連したいろんなイベントが開催されていた。
可睡斎では、寺院に参拝する事より「ひなまつり」イベントで十分満足してしまった。かなり見学で時間もかかり、ゴールの締切り時間も考えると、次に行かなければならない。その後も、せっせと歩き、タイトルにもある城跡に着いた。場所は、久野城址だ。久野城は袋井市鷲巣に所在する平山城で、東海道を見渡せる位置にあり、明応年間(1492~1501)に久野宗隆によって造られたと伝わっている。
久野城址は、「袋井メロンマラソン」のコースとして、いつもこの横を通り過ぎていたのだが、一度も意識したことがなく、今回初めて城址だったことを知った。整備された階段を登っていくと、“北の丸”の場所に出た。枯草が生い茂り、城址らしきものはない。
さらに上に上がって行くと、“本丸”があった場所に出た。“北の丸”よりもかなり広い。
南側は見晴らしがよく、袋井市内が良く見える。ベンチの横には、大きな看板が立っている。
何が書かれているのかと、回って前を見てみると「久野城址」と書かれていた。これだけ大きければ、市内からよく見えるのだろう。
久野城址を出ると、14時を回っていた。ゴールの15時には1時間もない。東海道どまん中茶屋に着いたのは14:45。お茶を頂いて、いそいで袋井駅に向かう。
最後は、小走りや速足で14:57くらいにゴールに到着。ぎりぎりセーフで完歩のスタンプを頂くことが出来た。
袋井駅からは、JR掛川駅まで戻り、天浜線の西鹿島から遠州鉄道経由で帰宅する。さすが健脚コースというだけあって、自宅に着くと歩数は3万歩にも達していた。このところ良く歩いているので、ちょうどいい足慣らしになった。
参考.今回のコースマップ