走ることについて語るときに僕の語ること | |
村上 春樹 | |
文藝春秋 |
村上春樹氏が、走る人らしいというのは知っていたが、この本を読んで本格的マラソンランナーだったと知って、大いに親しみを感じる作家になった。村上氏は、フルマラソンには数十回の完走経験を持ち、100キロウルトラマラソンの経験もあるバリバリのランナーであったのだ。しかも、トライアスロンも何度も経験しており、まさに走る小説家であった。
この本では、読者に走ることを勧めているわけではなく、村上氏が走ることについて自分はこんなふうに考えているよというエッセイである。世界に注目を浴びるような作家が、ここまで、自分の気持ちを表したエッセイ集を出していることは珍しいことかもしれない。テレビや雑誌とかあまり素顔をさらさないような人らしいが、この本では、走っている写真が何枚も掲載され、初めて素顔を知ることも出来た。
内容は、ランナーであれば、「そうだそうだ」と共感することばかりだ。前書きにはこんなことが書かれている。
「Pain is inevitable. Suffering is optional」
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」(和訳)という言葉について
たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようにない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
これは、ある外国人ランナーが走りながら呟いていた言葉らしいが、この言葉に共感できるなんてまさしくランナーである。私もまったく同じ思いになる。もう駄目だと思えば何時でもやめられるし、行こうと思えば何とかなってしまう。それがマラソンの奥深いところだ。決めるのは全て自分なのだ。
普段の練習も、毎日10キロを走り週70キロを目標に走っていたという。月間300キロ前後をコンスタントに走っていたというから、走ることにも半端じゃないことが良くわかった。初めて出場した100キロマラソンは、1996年のサロマ湖ウルトラマラソンだったそうだが、驚くことにこの年の大会は私が初めて参加した100キロマラソンでもあった。タイムこそ違えど、同じ日に同じコースを同じような思いで走っていたのだ。村上氏と同じ舞台を走っていたことを知り、不思議な気持ちになった。
最後のあとがきには、
これまで世界中の路上ですれ違い、レースの中で抜いたり抜かれたりしてきたすべてのランナーにこの本を捧げたい。もしあなた方がいなかったら、僕もたぶんこんなに走り続けられなかったはずだ。
と書かれていた。ランナー目線で書かれた「走ることについての語り」は、一流の小説家が書くとこんなにもうまく表現できるのかと感心する。ランナーには、お勧めしたい1冊だ。
なんだか 面白そう~。
小説ではなくて エッセーなのですね。
村上春樹 私はいまいちなのですが
あら 読んでみたい、
文庫では出てないでしょうかしらね。
ブックオフで やすかったら 買ってみます、
村上春樹は人気があるので ブックオフに出にくくて 出てても105円とかいう廉価ではありません。
それでも 本屋さんの新本の半額で買えます。
買わなくても、地元の公立図書館で借りたほうが早いでしょう。
たぶんほとんど予約は入ってないと思います。