2日目の当初の予定は、紅葉の焼石岳に登る予定だったが、台風15号が北上してきており、この日は東北への影響が大きくなり、残念ながら中止せざるを得なくなった。昨年も計画して流れてしまっていたので、是非とも行きたかったのだが、来年リベンジするしかなくなった。
2日目も観光に変更して、まずは、平泉の中尊寺に寄っていく事にした。中尊寺の長い上り坂の参道を進んで行くとまず出てきたのが、弁慶堂だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/fa/e18dad025b07eb51fea7ca3425b0fd9f.jpg)
由緒書きには、「この堂は通称弁慶堂という。文政九年(1826)の再建である。藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀愛宕宮と称した傍に義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治五年(1189)四月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり。更に宝物を陳列、国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。」と記されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/4d/4b1f5b44f0f648224f106a8381c76f4d.jpg)
中尊寺には、青い「世界遺産平泉ポスト」がある。初めて見た青いポストだ。ポスト全体は、中尊寺に伝わる国宝「紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)のデザインを基調とした紺色で、中尊寺金色堂の柱に螺鈿で書かれている「宝相華唐草(ほうそうげからくさ)紋様」が描かれている。郵便POSTの文字や、裏面には平泉の宝物に多く用いられる孔雀、側面には世界遺産平泉のロゴマークが金色で描かれている。平泉ならではの、きれいな色合いと紋様が素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/2c/8fe31eef67f4b881efe21503e4b36362.jpg)
中尊寺本堂に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3f/f8daefee5c48ceaf9544126192fca931.jpg)
本堂前の広場には、猫が悠々と昼寝をしている。周りに大勢の人がいるのに慣れているのか、平気の平左だ。なんでも、中尊寺の売店の看板猫でチビ太というそうだ。猫好きの人の絶好の被写体になっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b9/f8c71e7f7e40fa36b231f65bcac3ec5d.jpg)
本堂には御本尊の釈迦如来像が鎮座している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6c/a17a6c4b35efd2d285720783e1d90f92.jpg)
ご本尊の両側にある灯明は、かかげて以来、一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていることから「不滅の法灯」と呼ばれている。菜種油を燃料にして灯芯が浸り、火が点るという原始的な構造の灯篭内で現在も燃え続けていて、毎日、朝夕の2回、燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が菜種油を注ぎ足し続けている。気を抜くと燃料が断たれて火が消えることから「油断」の語源になったと言われているそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7f/70c1f266767de90813c6d0ae2b80a9c3.jpg)
本堂のさらに奥に進むと、有名な金色堂だ。およそ800年前に造られ、その後一度も焼失することなく当時の姿を今に伝える国宝建造物第一号である。建物は漆の上から金箔を張った阿弥陀堂で金銀・螺鈿(らでん)・蒔絵で装飾された堂内部の須弥壇の下には初代の清衡公、二代の基衡公、三代の秀衡公の棺と四代泰衡の首級が安置されている。まさに世界遺産となった平泉黄金文化を象徴する建物だ。ただ、金色堂自体は、撮影禁止で、覆堂の中に隠されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ae/6aea9f840a94760916de01c9cd7e4ffb.jpg)
この金色堂の脇に、ひっそりと建っているのが芭蕉翁句碑だ。松尾芭蕉は、この金色堂に立ち寄った際に「五月雨の 降り残してや 光堂」という句を詠んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0b/59185190c03e9184f02b6efbb3220e11.jpg)
松尾芭蕉の銅像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/96/f83d9d61e8169286903eb26c6c287c15.jpg)
金色堂旧覆堂。約500年もの間、金色堂を風雨から守ってきた堂で、鞘堂とも呼ばれていた。金色堂旧覆堂は室町中期頃のものと考えられている。1963年(昭和38年)、金色堂の解体修理とともに新たな覆堂が建築されたことに伴い、現在地へ移築された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/9a/d96e739b04949e0d0c29278cae55877a.jpg)
中尊寺を出ると、「石と賢治のミュージアム」に寄っていく。岩手県一関市東山町にある市立博物館である。「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造に邁進した技師宮沢賢治の心と生き方に触れるミュージアムで、「雨ニモマケズ」が生まれるまでの足跡を、手紙や写真で説明している。また、賢治が東山町を訪れるきっかけとなった旧東北砕石工場も併設されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/be/99ede56bdd2ee7ee3d8e7ff9146f35a8.jpg)
ただ、残念ながら午後から臨時休館になってしまい、展示室の中には入れず、屋外の施設だけを見学していく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f2/8333a70954ffcc891e91cd5bdd51b33d.jpg)
東北砕石工場の石を運ぶトロッコのレール道を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c3/2c3da0ca55d28550f237805d640ee693.jpg)
こちらが本来の入り口らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f0/ab21da3c69ba10003893b339e1cd873d.jpg)
トロッコがあったので、実際に乗って動かしてみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/5e/e95af96860d91672804c10fe703099d6.jpg)
旧東北砕石工場は、地元で産出された石灰岩の砕石を行い、酸性土壌を中和する石灰石粉を製造する施設として、大正13年に建設された。その後、機械の増設に併せて工場自体も拡張され、現在の形状となった。この石灰石粉は、後に宮沢賢治によって「肥料用炭酸石灰(タンカル)」と命名され、ここで製造された製品は当時の雫石町の小岩井農場に輸送され、土壌改良剤として使用されたという。平成8年に国の登録有形文化財に登録されたこの建物は、晩年の宮沢賢治が技師として働いたことでも知られる砕石工場の遺構で、石と賢治のミュージアム(太陽と風の家)として公開されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/db/892ba1a983200eb5d820010c38f6df99.jpg)
東北砕石工場技師となった宮沢賢治が1931年3月26日に工場を訪れたとき、鈴木東蔵や工場の人々と記念写真を撮った。「群像のひろば」には、そのときの写真をもとにした群像がつくられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/31/b327fdca5d3b8f324b078928cd57ebca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/99/10e64e275057c68c10f65201b06e741f.jpg)
その後、仙台方面に向かうが、途中で石巻市の石ノ森萬画館に立ち寄る。石ノ森萬画館は、石巻市中瀬に立地する、宮城県出身の漫画家・石ノ森章太郎の記念館だ。宮城県登米郡石森町で生まれ育った石ノ森章太郎は、中高生時代、自転車で2~3時間かけて石巻市の映画館「岡田劇場」へ通ったことから、石ノ森は石巻市を第2の故郷としていたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/fc/f7d1445b74889f9aa40fb77646da9671.jpg)
石ノ森萬画館の入り口では、サイボーグ戦士や仮面ライダーの像が迎えてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/84/71509b3ba99ad6b184d291ab650d326e.jpg)
石ノ森章太郎の実寸大の手と握手する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d5/4b9d0d98ee3c2ecdac5ece1e5b04c2f5.jpg)
石ノ森章太郎が若手漫画家時代に入居していたトキワ荘の模型。他にも多くの漫画家が居住していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/35/f4a535442dc65894ff9e3d590e2fd7d8.jpg)
サイボーグ戦士たちのコーナー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/51/43cf94ba536e3bf05d27adea5aa80af0.jpg)
仮面ライダーのコーナー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/fc/56f0408df6d5ac7276991f0b6c40c498.jpg)
人造人間キカイダー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/05/778aa1b3fb3e3e6e65e15db907411f22.jpg)
「HOTEL」のお馴染みキャラクターが出迎えてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/fa/0ab956d6161105486a7c43d8f48da681.jpg)
17時の閉館の音楽と共に、石ノ森作品のお馴染みキャラクターが宇宙船の中から登場してお別れだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/75/dfd48b98f7f4461d59c557659d3d5151.jpg)
仙台に着くと、駅前の東横インに泊まる。3日目は天気が良く、山にも登れそうだ。
「2022東北紅葉登山ツアー:3日目泉ヶ岳登山」に続く。
2日目も観光に変更して、まずは、平泉の中尊寺に寄っていく事にした。中尊寺の長い上り坂の参道を進んで行くとまず出てきたのが、弁慶堂だ。
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由緒書きには、「この堂は通称弁慶堂という。文政九年(1826)の再建である。藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀愛宕宮と称した傍に義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治五年(1189)四月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり。更に宝物を陳列、国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。」と記されている。
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中尊寺には、青い「世界遺産平泉ポスト」がある。初めて見た青いポストだ。ポスト全体は、中尊寺に伝わる国宝「紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)のデザインを基調とした紺色で、中尊寺金色堂の柱に螺鈿で書かれている「宝相華唐草(ほうそうげからくさ)紋様」が描かれている。郵便POSTの文字や、裏面には平泉の宝物に多く用いられる孔雀、側面には世界遺産平泉のロゴマークが金色で描かれている。平泉ならではの、きれいな色合いと紋様が素晴らしい。
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中尊寺本堂に入る。
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本堂前の広場には、猫が悠々と昼寝をしている。周りに大勢の人がいるのに慣れているのか、平気の平左だ。なんでも、中尊寺の売店の看板猫でチビ太というそうだ。猫好きの人の絶好の被写体になっていた。
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本堂には御本尊の釈迦如来像が鎮座している。
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ご本尊の両側にある灯明は、かかげて以来、一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていることから「不滅の法灯」と呼ばれている。菜種油を燃料にして灯芯が浸り、火が点るという原始的な構造の灯篭内で現在も燃え続けていて、毎日、朝夕の2回、燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が菜種油を注ぎ足し続けている。気を抜くと燃料が断たれて火が消えることから「油断」の語源になったと言われているそうだ。
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本堂のさらに奥に進むと、有名な金色堂だ。およそ800年前に造られ、その後一度も焼失することなく当時の姿を今に伝える国宝建造物第一号である。建物は漆の上から金箔を張った阿弥陀堂で金銀・螺鈿(らでん)・蒔絵で装飾された堂内部の須弥壇の下には初代の清衡公、二代の基衡公、三代の秀衡公の棺と四代泰衡の首級が安置されている。まさに世界遺産となった平泉黄金文化を象徴する建物だ。ただ、金色堂自体は、撮影禁止で、覆堂の中に隠されている。
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この金色堂の脇に、ひっそりと建っているのが芭蕉翁句碑だ。松尾芭蕉は、この金色堂に立ち寄った際に「五月雨の 降り残してや 光堂」という句を詠んだ。
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松尾芭蕉の銅像。
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金色堂旧覆堂。約500年もの間、金色堂を風雨から守ってきた堂で、鞘堂とも呼ばれていた。金色堂旧覆堂は室町中期頃のものと考えられている。1963年(昭和38年)、金色堂の解体修理とともに新たな覆堂が建築されたことに伴い、現在地へ移築された。
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中尊寺を出ると、「石と賢治のミュージアム」に寄っていく。岩手県一関市東山町にある市立博物館である。「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造に邁進した技師宮沢賢治の心と生き方に触れるミュージアムで、「雨ニモマケズ」が生まれるまでの足跡を、手紙や写真で説明している。また、賢治が東山町を訪れるきっかけとなった旧東北砕石工場も併設されている。
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ただ、残念ながら午後から臨時休館になってしまい、展示室の中には入れず、屋外の施設だけを見学していく。
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東北砕石工場の石を運ぶトロッコのレール道を歩く。
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こちらが本来の入り口らしい。
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トロッコがあったので、実際に乗って動かしてみる。
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旧東北砕石工場は、地元で産出された石灰岩の砕石を行い、酸性土壌を中和する石灰石粉を製造する施設として、大正13年に建設された。その後、機械の増設に併せて工場自体も拡張され、現在の形状となった。この石灰石粉は、後に宮沢賢治によって「肥料用炭酸石灰(タンカル)」と命名され、ここで製造された製品は当時の雫石町の小岩井農場に輸送され、土壌改良剤として使用されたという。平成8年に国の登録有形文化財に登録されたこの建物は、晩年の宮沢賢治が技師として働いたことでも知られる砕石工場の遺構で、石と賢治のミュージアム(太陽と風の家)として公開されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/db/892ba1a983200eb5d820010c38f6df99.jpg)
東北砕石工場技師となった宮沢賢治が1931年3月26日に工場を訪れたとき、鈴木東蔵や工場の人々と記念写真を撮った。「群像のひろば」には、そのときの写真をもとにした群像がつくられている。
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その後、仙台方面に向かうが、途中で石巻市の石ノ森萬画館に立ち寄る。石ノ森萬画館は、石巻市中瀬に立地する、宮城県出身の漫画家・石ノ森章太郎の記念館だ。宮城県登米郡石森町で生まれ育った石ノ森章太郎は、中高生時代、自転車で2~3時間かけて石巻市の映画館「岡田劇場」へ通ったことから、石ノ森は石巻市を第2の故郷としていたという。
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石ノ森萬画館の入り口では、サイボーグ戦士や仮面ライダーの像が迎えてくれる。
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石ノ森章太郎の実寸大の手と握手する。
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石ノ森章太郎が若手漫画家時代に入居していたトキワ荘の模型。他にも多くの漫画家が居住していた。
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サイボーグ戦士たちのコーナー。
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仮面ライダーのコーナー。
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人造人間キカイダー。
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「HOTEL」のお馴染みキャラクターが出迎えてくれる。
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17時の閉館の音楽と共に、石ノ森作品のお馴染みキャラクターが宇宙船の中から登場してお別れだ。
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仙台に着くと、駅前の東横インに泊まる。3日目は天気が良く、山にも登れそうだ。
「2022東北紅葉登山ツアー:3日目泉ヶ岳登山」に続く。