鞦韆(しゅうせん)とは、ブランコのこと。先日春節のニュースを観ていて、そういえばブランコの中国の呼称である鞦韆は、春の季語だなあと思い出し、でもなんで春なのかと、改めて調べました。
古代中国北方民族のあいだには、冬至後105日に火を使わないでものを食べる寒食が行われ、そのおり、鞦韆にのって遊ぶ風俗があった。これが後に中国に伝わり、唐の玄宗皇帝によって半仙戯と命名された。鞦韆を漕ぐと、羽化登仙の感を味わえるとの意味。「鞦韆院落夜沈沈」と詩に読まれ、後宮の美女たちが裳裾を翻して漕いだ鞦韆が夜更けて動かないさまに、春が逝くことへの感傷を重ねている。このように鞦韆には、春と女性の艶めいたイメージが付されている。(つまり、春は春でも、晩春なのですね)
と、歳時記にあります。そこで、
鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし 三橋鷹女
の句。なるほど、これは鞦韆の本意を踏まえた句なのだと、わかるわけです。それにしてもついでに鷹女の代表句を読むと、
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (向日葵)
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (魚の鰭)
白露や死んでゆく日も帯締めて
老いながら椿となって踊りけり (白骨)
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み (羊歯地獄) (括弧内は、句集)
すごいです! 数日前に芸術の付加価値ということをちらりと書きましたが、彼女はどういう女性だったのかと思いますね。実は、私橋本多佳子とか、同時代に生きた女性俳人とどこか混同している部分があり……。ちょっとネットで調べても、夫も俳人だったとか、山口誓子に師事したとかくらいしか出てきません。でも熱情のある方だったに違いない。改めて鷹女の句、すごいと思いました。顧みれば、私の句は、普通すぎる。
*三橋鷹女(一八九九~一九七二・明治三二年~-昭和四七年)
一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である/四十代に入って初めてこの事を識った/五十
の坂を登りながら気付いたことは/剥脱した鱗の跡が 新しい鱗の茅生えによって補はれ
てゐる事であった/だが然し 六十歳のこの期に及んでは/失せた鱗の跡はもはや永遠に
赤禿の儘である/今ここに その見苦しい傷痕を眺め/わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数を
かぞへながら/独り 呟く……/一句を書くことは一 片の鱗の剥脱である/一片の鱗の
剥脱は 生きていることの証だと思ふ/一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の
為に/「生きて 書け----」と心を励ます(羊歯地獄自序)
鞦韆の句は、鷹女51歳のときの句ということです。
梅と氷柱と地蔵さん