防備録的に書きます。
先日、童子句会で勉強したこと。
「軽み」に関する元禄3年の芭蕉の手紙と、没後弟子の去来が書いた論書から。
五百年来昔、西行の撰集抄(せんじゅうしょう)に多くの乞食(こつじき)をあげられ候。~
芭蕉が若い門人宛に書いた手紙。
菰を来て誰人います花の春 という句(乞食などという言葉の入った句)を歳旦帳(門人の句を集めて、お正月に出した本のようなものか?)の巻頭にしたことを、京の物達〈京都在住の俳人達)は、何事にやと批判しているが、「あさましく候」。
乞食という言葉、五百年前に西行だって、たくさん使ってるじゃないか。と言っているわけで。
いや、私がへえーと思ったのは、元禄の世に生きている芭蕉が、500年前の西行の書いたものを読んで学んでいるということ。不思議でもなんでもないのだけど、数百年の時間を経て、さらに我々が、それを学んでいるという事実。それが、いいなあ、嬉しいなあと、幼稚な感想なのですが、思ったわけでした。(いや、書かれている内容より、それ・・・)
京
にても京なつかしやほととぎす
木のもとに汁も膾(なます)も桜かな 芭蕉
辻桃子主宰は、芭蕉がわかってくると、西行がわかってくる、おもしろい。ともおっしゃっていました。
西行かあ・・・(遠い目)
私には、西行はまだ遠いなあ。
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ 西行
という歌だけは、しっかり覚えてますが。でもちょっと調べたら、なんと西行は、人骨を集めて人を作ろうとしたことがあったとか! ええー、そそられる。(人のようなものはできたけれど、心がなく、草笛を吹くようにヒューヒューという声しか出さず、失敗だったと高野山の奥へ捨てた。・・・で、で、できたんだ。そして、捨てたんだ! 反魂(はんごん)の術というものなのですね・・・そういうのが平安の頃にあったんだあ!! 安倍晴明とかがいた時代だしねえ)
葉山の牡蠣
軽(かるみ)を好むとも能く(よく)好まば何の悔にかあらん。只軽(かるみ)の軽(かるみ)たるを知らずして、みだりに此を好まば、卑薄(ひはく)に落ちん。薄と軽とは違い(たがい)あるべし。 (不玉宛去来論書)
表面を真似しているだけでは、ダメ。みだりに軽みに走ると、薄っぺらなだけで終わる。
一人で本を読んでもぜーったい、わからないこと。ありがたきかな。
*当日、そうだ句会へ行こう的に思い立って行ったところ、嬉しい出会いもありました。
『しゅるしゅるぱん』を読んでお手紙をくださっていた、いわきのMさんがいらしていたのです。(お会いしたことは一度もなく)しかも、偶然となりに座っていて。ご縁だ。