物語の中で、主人公があるものを交番に届ける。
そのときのおまわりさんの年齢や容姿をどう設定しようかで、あれこれ長い時間を迷った。
今のところ、物語の中で、そのおまわりさんは、その後登場する予定はない。だからといって、ぼやかしてスルーするわけにもいかず、さりげなく読者はちらっとその姿を思い浮かべる程度の描写にしないといけないところ。でも、年配のおまわりさんにするか、若い人にするか、やはりそこには必然性がほしいとも思ったり。
それから、
去年書いたもの。会話のあとに、「~と言った」がやたら多い。主語も多い。どっちも初心者っぽい文章で、自分で読んでいて霹靂(へきれき)、直しています。今さらすぎる・・・。
改めて、世に出ている本をそういう目で読むと、ないよねえ。「~と言った」も主語も。ないというか、最低限しか使っていない。それから登場人物の容姿をどう描写しているかってことも。
自分、文章ヘタじゃん。ダメじゃん。
白子網(これで、句を作ったのですが、イマイチでした。でも作り直すので、ここにはあげない)
で、おまわりさんですが、つまり一度登場させた人物は、なんらかの形で物語に関わってもらうようにすればいいのでは? と思ったりもしています。(と言うと、そうじゃない。必然性があるかどうかだ、という声が聞こえてもきますが)
ずーっと前に講座を受講したときに、ある先生がおっしゃっていました。これがお芝居やドラマだったら、役者さんにお金を払うのだから、その役者さんにちゃんと演技してもらう、と。エキストラとはまた違うんですものね。
全く今更ばかり。
最近、小説のハウツウ的なツイッターを見つけて読んでいるのですが、こういうのって、一度に頭には入りませんね。聞くより書く、だな。書いていれば、聞いたことがあるときぱっとわかることがある。でも分量的には、書くが9割くらい必要。(あくまで当社比です)
で。
面白くするために枝葉末節ばかりいじりまわしても無駄だ。面白さにしても本格的なものは、「問題の核心」からつかみ出して来る以外にない。技巧的に幼稚でも、この点がしっかりしているものは、二稿三稿のねばりがきく。(黒沢明)出
うーん。どれも、二校三校どころじゃないんですが。