fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

『繭の部屋』(牧康子)ー主婦の友社

2013年03月14日 | 本の紹介

                プロフィール 短編小説集

 都会のマンションに暮らす女性を描いた短編集。表題『繭の部屋』では、蚕が糸を吐き繭を作り出すように、主人公の女性は部屋の中で喜びや悲しみ、さまざまな思いを吐露し続けます。そのレトリックが鮮やかで、他の作品にもそれぞれの主人公もまあた繭の部屋にいるような、ダブルイメージのしかけに仕上がっています。

 牧康子さんは、牧やすこさん。漢字の方は小説家としてのペンネーム、ひらがなのほうは俳号です。「童子」同人で、句会吟行などでたびたびごいっしょするのですが、(恋の句のやすこ)とも言われています。例えば今月号では、

 散るのみの雲場の池の紅葉なり   やすこ

 という句を発表していますが、これ私が作ったとしたらふつうの情景としてしか読まれないところが、作者がやすこさんとなると、恋の終わりの句か? という読みができるというくらい。

 『繭の部屋』の短編それぞれも、女性は恋をし、終わりが訪れるというものがほとんど。いや、全部? プラトニックな恋もあれば妻子のある男性との恋もあり、上質な短編集となっています。やすこさんは、長く某出版社で女性向けのインテリア雑誌の編集をされていた方。なので作品の中の部屋のリアリティはさすがです。読んでいておしゃれな部屋がくっきりと目に浮かんできました。どこか都会のマンションの一室で、息づいている物語です。

やすこさんのHPは、 牧康子の部屋 。本は注文となります。


「童子」2013・3月号

2013年03月13日 | 俳句

 今年に入ってから句会に出られない状況が続いています。でも欠席投句というやり方で、東京や秋田の句会に参加。そしてその中から毎月5句を(やっと)選び、「童子」に投句、掲載していただいています。

   はらてふ古句集『月桃(さんにん)』

 今月号は、はらてふ古句集『月桃』の世界特集。私も「風土と対峙する力」として、鑑賞文を書かせていただきました。てふ古さんとは、数年前石垣島に旅行をし、一緒にダイビングをしました。(顛末を書くと長くなるので省略)あの旅行は、私の旅行(吟行、他を含めて)ベスト1の楽しさでした。鑑賞文、一部転載します。

 蟹かかへ蛸逃げること逃げること

 法螺貝の進みきし道ありにけり

 一度や二度沖縄を訪れただけ、ちょっとダイビングをかじっただけでは、このような場面には遭遇できない。遭遇しても「見る」ことはできない。海の底で集中力を維持しつつ、自分を解放しているからこその句だ。

 六十八才で、スキューバーダイビングのライセンスを取り(猛勉強されたそうだ)、二十年近く石垣の海に潜り続けた。東京の家にあっては、二人の息子さんご一家と完全同居の大家族を支えてらっしゃる。それがどれほどすごいことか! まさに豪傑だ。

 風土と対峙できる生半可ではない体力と精神力。てふ古さんのその力を認識したとき、『月桃』に納められた句が、誰でもそこに行けば詠める句ではないことがわかる。そして沖縄以外の句、〈残暑かな零れペンキに皺寄つて〉のようなどこにでもある景を読んだ句の数々の繊細さが、にわかに浮き立ち、輝いてくる。

 二人の息子さんご一家と書きましたが、つまり三家族完全同居。長男とお嫁さん、次男とお嫁さん。今はもう自立したけれどかつてはお孫さんたち。という大家族です。

 今月号、私は、

 一木の裸となつて吹かれけり  あぶみ

 を含む5句を発表。また注目の小学生俳人、田代もえちゃんは、

 にせ舞妓いつぱい通る紅葉がり

 折りづるが一匹逃げた年の暮    田代もえ

 など、今月も三尺の童っぷりを発揮しています。折り鶴の句はファンタジーだね。


原発について

2013年03月12日 | 日記

  被災地の復興は、少しずつですが進んでいると思います。(もちろんまだ行方不明の方も多く、家に戻れずにいる方も多く、運命が変わったままの方も多く、ですが)では、原発事故のほうはどうでしょう。見えないものは、本当にこわい。私はよく地元の温泉に行くのですが、そこでは椎茸やナメコなどキノコをよく袋入りで販売しています。以前は安くておいしいこのキノコ、よく買って食べていましたが、今は申し訳ないですが、買う気になれません。スーパーやJA関連の直売所で売られているものは、ちゃんと検査をしていると思うのですが、温泉のまわりで採って、そこで売っているものは……? 

 さて。

 もともと社会的な意識の乏しい人間なので、どなたが見てくれているかわからないこのブログでも、社会的な発言はひかえています。っていうかできない……。ただ個人的な感想をちらっと述べるのはまあ許されるかなとも思うので、きょうはちょっと。

 原発は反対の立場です。利権だけではなく(多くの人がそうだとしても)、安全性をきちんと調べ、学び、電力や経済のしくみを理解し、その上で必要という人がいるとも思っています。ただそういう人たち(あくまで利権で原発を残そうとしている人は別。論外です)と自分との違いに、先日はっと気がつきました。

 私はとてもズボラな人間です。いい加減、まあいいや的な部分がとても多い。反省しなくてはいけない部分でもあるのですが、そうしないとストレスが溜まり、プチンと切れてしまいそうになります。そんな人間にとって、人間にはミスというものはつきもの。ミスをしたら、反省し直す。そして、次につなげていくものです。ともすると同じミスを繰り返すのは、ちょっと情けないですが、そういう人間もここにいます。そんな人間にとっては原発という一度のミスで大変なことになってしまうものは、脅威にしかほかなりません。世の中にはとてもとてもきちんとした人がいて、私などすごいなあと思います。原発推進する人は、きっとそういう人なんだ! 推進派の人たちも原発は、事故があるかもしれない。でも事故対応マニュアルがあり、そこをきちんとしたら、大きな事故は防げるとも言います。そこがちがう。私のような人間は、事故るとただうろたえる。マニュアルなんてふっとびます。人はミスをおかすもの。ミスがあってはならないものは、使わない。

 2年前のときも、民主党の処理が悪かったと責める向きもありますが。私にしたら、作った自民党が悪い。(すみません、大雑把な言い方。作ったのが自民党というのは違うかもですね)

 東京新聞が反原発の記事がおおく、頑張ってるなと思っていましたが、このごろはどうですか? 昨年くらいから一面の記事に(どうしてきょうはこの記事が一面?)と思うことがたびたびありました。ここのところ、岩手にいるので、読売しか読んでいませんが、このごろはどうかな。

  最初の部分に補足。被災地の目に見える復興は、少しずつ進んでいると思います。目に見えない部分。大事な人を亡くされた方、家を失ってしまった方、ふるさとに帰ることができずにいる方、そういう方たちの心の部分はどうなのか。張り詰めてものが切れてしまわないように、「わたしたちは忘れません」とお伝えしたいです。

          


二年目

2013年03月11日 | 日記

 あの日から二年目。去年の今日は、朝からくり返し流されるテレビの映像に、具合が悪くなってしまいました。今日はどうでしょうか、でも目を逸らさず見たいと思います。

 二年前の今日、岩手県の内陸部に私はいました。毎日盛岡の病院に通っていて、いつもなら帰りの電車の中くらいの時間。それがいつもよりは早く帰っていたのは、ストーブが壊れていて、修理の人が来る約束になっていたからです。それがなかったら、電車の中で立ち往生していたことでしょう。

 尋常じゃない揺れ方に、貴重品を持ち、家を出ました。立っていられずしゃがんで、地球が揺れているのをただただ眺めていました。古い家が倒れるか? と思うほどの揺れでしたが、案外被害は少なく、壁にかけていた額が落ちている程度。仏壇の線香立てが落ちてその辺が灰だらけになっていました。二階はテレビが床に落ちていたり、本が雪崩ていたりはありました。

 沿岸部、津波来るんじゃないかな? 片付けながら、思いましたが、まさかあんな惨状になるとは、そこまでは予想もつきませんでした。その後停電になり、テレビを観たのは、翌日の夕方。その日は、ろうそくと懐中電灯で、一晩一人で過ごしました。水が止まったので、翌日は庭の隅の方の雪をたらいに集めたり(←これは全く必要のないことでした……)

 翌日以降、沿岸部に行く警察や自衛隊の車が、うちの近くのバイパスをウオンウオンとサイレンを鳴らしながら、走り抜けていきます。それはもうただごとではない状況を明示していました。

 と、いろいろと思い出します。合掌。

 うちの前の白鳥


震災関連本

2013年03月10日 | 本の紹介

           

 明日は二年目のあの日。

 あらためて、これらの本をめくっています。今暖かいストーブのある部屋の明るい電気の下にいられることがどんなに幸せなことか。家族がみな元気なことが、どんなに幸せなことか。

 上の本は、震災後一度に購入したものです。当時は本屋の一角に平積みになっていました。今は? それにしても、ひどい惨状。 二年後の今、この二年を被災者がどう過ごしたかという本が出ていることでしょう。(あまりチェックしていません)


雪ちらし

2013年03月09日 | 日記

            

 なんていう季語はないけれど、こうして雪かきをして脇に寄せていた雪をヒマを見ては道路に散らします。すると早く解ける。畑の雪もこうして早く解かすと、早く畑仕事ができるというわけらしい。(←人ごと発言)


白鳥

2013年03月08日 | 日記

            

 きのうの記事。白鳥の足跡でした。いつもこの3羽が来ます。一羽は灰色っぽいので、親子なのでしょうが、白鳥ってつがい+子ども一羽の一家族が普通なのでしょうか。 もっと雪がなかったら落ち穂がエサになるのに、今どうして来ているのだろうと思っていたら、お隣のご主人がエサをあげていました。そろそろ北へ帰る準備しないとね。

  仙台に行くバスからも、白鳥が飛んでいるのが見えました。仙台、風は強かったけど、雪がなく暖かでした。そして近い! こちら10時少し前に出て、夕方5時前には家にもどっていました。(バスだと2時間、新幹線だと1時間。料金は時間と反比例)

 仙台にいたのは数時間でしたが、体の空気、入れ替わりました。またがんばります。

 


クイズ足跡

2013年03月07日 | 日記

           

   

 うちの前の田んぼです。何の足跡でしょうか? 答えは明日。(また……、そしてまた当たっても賞品もなく、すみません)

  きょうは仙台へ日帰りしてきます。行きはけんじライナー(高速バス)、帰りは新幹線の予定。


『次郎物語』(下村湖人)

2013年03月06日 | 日記

 先日、下村湖人ゆかりの建物が火災で全焼したというニュースがありました。東京都小金井市の小金井公園近くのようです。小金井公園には何度も行っているのですが、近くにそういう建物があることを知りませんでした。

 『次郎物語』は、小学校のときに読んでいます。子どものときに読んだ本を大人になって再読すると新たな発見があるものですが、『次郎物語』はその最たるもの。次郎は赤ん坊のときから乳母に預けられ、実母からはうとまれ、兄からはいじめられていたかわいそうな子。そういうイメージが残っていたのです。ところがところが、もう一度読んでみるとこれが全然違う。驚きました。次郎の両親も兄も、母の実家の人達も、皆次郎を愛しているのです。次郎はきちんとした人達のなかでしっかりと育った子どもでした。

 でも次郎視点で書かれているから、読んでいて次郎の孤独感が最もせまってきたのでしょう。それはいたしかたないのかなとは思いますし、子どもが読む物語を書いているものとしては、こちらが書いたものを全てくみ取ってもらえなくても、それは当然と心するところです。何か一点心に残るものがあるといいと思います。

      雪の上の足跡。

 左側の穴はなんなんだろう。


石神様に残る雪 

2013年03月05日 | 日記

             

 この辺は馬頭観音が多いのですが、これは違う。(馬頭観音はこういった注連縄はない)私は「石神様」と呼んでいます。

 残雪の句では、

 一枚の餅のごとくに雪残る  川端茅舎  

 が好きです。


木の影 on the snow

2013年03月04日 | 日記

             

 春の日射しを受け、木は雪の上に影を落としています。(たぶん胡桃)

 先日『林業少年』(堀米薫)の紹介で、私が木が好きと書きましたが、こういう自然の形の美しさに惹かれるというのも、その理由の一つです。

   この木は? わかりません。


装丁とブックデザイン

2013年03月03日 | 日記

 先日『林業少年』(堀米薫)の紹介で、ブックデザインについて、ベスト3に入ると述べましたが、自分でいっておいて、じゃあ他の2冊は? と考えました。ぱっと思い浮かんだのが、

  『トーキョークロスロード』(濱野京子)ポプラ社、そして『引き出しの中の家』(朽木祥)ポプラ社でした。奇しくも両方ポプラ社ですね。デザイナーはどなたかはわかりません。『引き出しの中の家』は、カバーをめくったときの目を見はる美しさ。『トーキョークロスロード』は、物語を読んでみたくなるイラスト。それから、くもん出版の『龍の腹』(中川なをみ)と『魔の海に炎立つ』(岡崎ひでたか)も揚げておきたいです。この2冊は本文中のイラストの入れ方にうっとりします。 画像

 トーキョー・クロスロード  

 この二冊はとても「おしゃれ」でもあります。だったらみんなこんなふうなおしゃれなのがいいかというと、そうはいかない。内容とのバランスも大事。だからデザイナーさんは、きちんと原稿も読んだ上でデザインをされているはずです。すごいなあ。「トーキョークロスロード』、タイトル文字と作者名の入り方、普通と違うことに今気づきました。文字デザインも、書体、色、位置で随分印象が変わります。

 装丁とブックデザインの違いは、装丁はカバーや帯などのデザインで、ブックデザインとなると、本文部分の紙や、文字の大きさなど全て含む……のかな? というのが私のイメージ。違うでしょうか?

 カバーを開いた本体の表紙は、以前まではカバーの絵と同じ、あるいは無地というのがほとんどでしたが、この頃上の『引き出しの中の家』のように、カバーを開くとあっと驚くという別の絵があり、楽しめるものが増えているようです。『林業少年』(堀米薫)がそうだったし、『糸子の体重計』(いとうみく)童心社もそうでした。これ、図書館だとカバーを貼り付けてしまうので、楽しめないのですよね。

 ブックデザイナーで思う浮かぶのは、名久井直子さん、大御所では祖父江さん、菊地さんという方もいますね。(下の名前が思い出せない)目立てばいいというものでもなく、手にした人が気づかないところまでデザインされているはず。職人ですね♪

 「童子」のお仲間、三島ひさのさんの句集『長女』の表紙もいいです。いただいたときには、「うわあ」と声を上げました。これは、辻桃子主宰の絵。書き下ろしです。

 画像が小さいなあ。大胆な色彩感覚。本物はもっときれいです。

 


林檎の木

2013年03月02日 | 日記

  朝からすごい吹雪です‥‥。午前中ファミレスにこもって原稿読みをしようと思っていたけど、あきらめました。家でするより、何倍も集中できるんですが、家でも集中できるようにならないとね。 

           

 写真は良いお天気だった日の林檎畑。冬の間は、こっち方面は寒すぎてほとんど散歩もしませんでした。というか、散歩するときは、あぜ道経由だったので、無理でした。どこが畦なのかわからない状態。

 湿った春の雪に囲まれていました。


流動食

2013年03月01日 | 日記

 この一月ほど、毎食流動食的な食事を作っています。ニ○イさんから出ている「介護ヘルパー」という冷凍の「ほうれんそうの胡麻和え(のとろとろ版)」的なものも使いつつ、キュー○ーさんが出している「ニンジンペースト」なども使いつつ、ストーブで焼いた焼き芋をバーミックスでとろとろにして団子にし、とろみをつけたり…。サンマのつみれを作ったり(骨抜きサンマを買ってきて)。でも、すっごくワンパターン。食べる本人が一番辛いでしょうが、仕方ないかなあとも。おかゆを作り、ミキサー使いで、毎回大量の洗い物も出ます。

 普通に食べられるって、幸せなことです。

  

 雪があるのは、田んぼ。道路手前のうち(我が家も含め)の雪を捨てているのですが、用水のところ、お隣のご主人さんがこうして、きれいに溝にしてくれています。

 

 手前までは、毎日お隣が雪かきをして、田んぼに雪をよけてくれている部分。雪が残っている向こうはあまりこまめにされていない道路。こまめに雪かきをしていると、日中太陽が出ると、このように道路の姿が現れるということ。お隣さん、いつもありがとうございます。雪が残るのは悪くないのですが、中途半端に解けてまた凍るということが、歩きづらい、(車の轍のまま凍って)走りづらい。