梅さんのかわら版.umelog

甲州市~甘草屋敷

”蓮子の悲しみ~わだつみの声”

2014-09-17 18:06:29 | 花子とアン

9_17_2 純平君は…811日、鹿児島で、爆撃を受けて、戦死しました。
なんということでしょう、終戦まであと4日でした。この生死を分けた4日とは何だったのでしょう。純平の死を信じられない蓮子さんはひたすら帰りを待っているのです

前回、義父の学徒動員について書きましたが、その当時の話を義父の友人に聞く事が出来ました。
 ~~昭和19年2月、海軍は人間を乗せた新型魚雷の開発に踏み切る。搭乗員が生存できる可能性を残すため脱出装置をつけることが条件だった。しかし戦局の悪化とともに、開発が難しい脱出装置は断念された。 搭乗員の命を犠牲にすることを前提とした兵器、人間魚雷の誕生である。~~学徒動員兵はこの魚雷のために集められたのですが、製造が間に合わず、これに載ったのは2つ先輩の人達で、義父たちは辛うじて生き残ったということです。

山口県の大津島にはこの魚雷の基地があり、400人もの学生が志願してきたそうです9_17_1_2

ここに、昭和18年10月学徒出陣し、人間魚雷の搭乗員になりウルシ沖で戦死した慶応大学学生の塚本さんの手記があります。純平君は鹿児島で戦死と言っていますがよく似ています。

~~~
「俺が待っていたのはこの兵器だ。どうしても俺はこれに乗る」。この兵器とは人間魚雷回天。その反面、自分の決意が揺らぐ気持ちも綴られている。訓練生活で塚本さんは、迷う心を断ち切ろうとする。「人間は弱い。自己を思うからだ。滅私、完全なる滅私生活へ。母を忘れよ」。

 昭和19年11月、塚本さんの出撃が決まる。出撃が決まると搭乗員たちは、最後の帰省が許された。しかし回天の任務を話すことは、固く禁じられた。家族水入らずの時間は、一年ぶりだった。

 戦後、塚本さんの遺品の中から、家族に当てた録音が見つかった。

 「母よ、妹よ、そして長い間育んでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。昔は懐かしいよ。秋になれば、お月見だといって、あの崖下にススキを取りに行ったね。あそこで転んだのは誰だっけ。こうやって、みな愉快にいつまでも暮らしたい」。
~~~~
蓮子ばかりでなく、多くの母親が悲しみを味わったのです。

 

 


”過剰な空想壁の赤毛のアンがやって来た!”

2014-09-16 17:57:11 | 花子とアン

9_16_3_2 8月6日、広島に原子爆弾投下。次いで9日、長崎に原子爆弾投下。
8月15日(
 玉音放送) 「朕深く、世界の大勢と、帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て、時局を、収拾せむと欲し、茲(ここ)に、忠良なる、爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして、米英支蘇(べいえいしそ)四国に対し、其の共同宣言を、受諾する旨、通告せしめたり」。
終戦を迎えました。

9_16_2_2 そして、スコット先生から『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』を手渡されてから約6年。命がけで続けてきた翻訳が、ようやく完成しました。
しかし、花子も言っているように、翻訳は終えても果たしてこの本がいつ出版されるかはどうかは分からないのです。

戦後間もないこの時期に、翻訳本を売り出す出版社はいるでしょうか。
さて、きのう花子とアンは似ているという話をしましたが、その続きを…。

アンの家から果樹園を隔てた隣家には、黒い髪のダイアナがいて、アンは永遠の友情を誓います。(これが腹心の友である蓮子さんですね。)アンは過剰な空想壁がありますが、恵まれない生い立ちにもかかわらず、明るい前向きさを失わない魅力がありました。しかし、同級生のギルバートに最大のコンプレックスである赤毛を「にんじん」と言われた時はさすがに傷つき石板で頭を一撃します。(これが「朝市の石版叩き事件」です。本当は武が意地悪をしたのですが朝市と間違えたのですね。)そして、腹心の友ダイアナを家に招待したとき、いちご水と間違ってぶどう酒を飲ませてしまいます。(ドラマの中では、花子が蓮子さんに間違っていや故意にぶどう酒を飲まされていまうのですが。)

想像の翼を広げすぎて、自分の思いつきやおっちょこちょいで思わぬハプニングを招くアンですが、マリラやマシュウに温かく見守られ、グリーン・ゲイブルスで成長していく…こんな風に物語は展開していきます。


”曲がり角の先にあるもの…”

2014-09-15 22:02:56 | 花子とアン

9_15_1_2  東京を襲った大空襲により、せっかく翻訳した原稿が燃えてしまいます。
しかし、心配する英治の言葉に花子はこう言うのです。

「原稿はまた書き直せばいいのよ。]
「この原書と辞書がある限り、大丈夫。何十回爆弾を落とされようと、私、この翻訳を完成させるわ。私に出来る事はこれだけだから。」
泣けてきますねこの言葉…。

9_15_2てっ!小さいはなじゃん。いつ来たでぇ。
ほうか、このはなが苦労して修和女学校で勉強したから今の花子があるわけで、
"Anne of Green Gables”も世の中に出せるちゅうこんだね。
ふんじゃあ、 小さい花子に、この本がどんな話かおせえてやってくれちゃあ!

(話し出す花子) 主人公は赤毛で、そばかすだらけの女の子、アン・シャーリー。生まれて間もなく両親を亡くして、孤児院へ預けられたアンは、ふとした間違いで、男の子を欲しがっていた、マシュウと、マリラという兄妹のおうちへやってくるの。マシュウは、働き者で、無口なおじいさんなんだけれど、アンの事がとっても気に入ってしまって、マリラにこう言われるの。「マシュウ。きっと、あの子に魔法でもかけられたんだね。あんたがあの子をこのうちに置きたがっているって事が、ちゃ~んと顔に書いてありますよ」。「そうさな。あの子は、ほんに面白い子供だよ」って。
~~~~
こうしてこの物語は始まります。貰われた家のマシュウは、お爺やんによく似ていました。「この他にも花子とアンは似ているのよ」と、大きいは花子は小さいはなに話して聞かせます。

(花子) あなたとアンは、似ているところがたくさんあるの。アンは、11歳の時に、一人でプリン ス・エドワード島にやって来るんだけど…。
(小さいはな) おらが修和女学校にへえった時みてえに?
花子) そう。その日から、アンの運命は、大きく変わっていくの。
(小さいはな) てっ。アンって、 ふんとにおらにそっくりじゃん。
(花子) 本当に私たちにそっくりなの。
(小さいはな) 花子! この話はいつ本になるでえ?
(花子) それは…分からないの。本に出来るどうかも分からないわ。
(小さいはな) ほれなのに、 花子はどうして翻訳なんしてるでえ?
(花子) それはね、私の中にアンが住み着いていて、絶えず私を励ましてくれるから。先の見えない不安な時でも、アンは決して希望を見失わず にこう言うの。
「曲がり角をまがった先に、何があるかは分からないの。でも、きっと一番よい ものに違いないと思うの」って。
こうして、花子は希望を失わず、曲がり角の先にあるものに希望を託すのです。


”戦争の爪痕”

2014-09-14 23:44:01 | 花子とアン

9_13_1  9_13_2_2
息子のために精一杯のもてなしをする蓮子さん。これが最後の晩餐か…と覚悟もしていたでしょうね。戦争には反対していた蓮子さんですから、本当は戦地になんかに行かせたくなかったのです。行かないで…という言葉を必死にこらえ、再び任地へと送り出します。本当に切ない別れです。

9_13_3_2 東京は、1944年(昭和19年)1114日以降に106回の空襲を受けました。
1945年(昭和20年)226,228日特に1945年(昭和20年)310日、413日、415日、524日未明、525-26日の5回は大規模だったようです。

 花子の住む大森区・蒲田区(現在の大田区)も4月15日に空襲・機銃掃射が襲います。
 
その時の被害は、死傷者4004人、約22万戸もの家屋を焼失したそうです。

焼夷弾の降るなか、花子は必死に逃げるのですが、その手にはしっかりあの原本と辞書がありました。これだけは守りたいという必死な思いが、花子と原書を生かしたのでしょうね。この原書が焼失していたら、"Anne of Green Gables”は世の中に出なかったのです。


 


”ようやく翻訳に着手”

2014-09-13 00:08:01 | 花子とアン

 

9_12_2_2  9_12_4

雪乃とかよが熱心に活動している大日本婦人会とは、愛国婦人会(明治34年創設)・大日本国防婦人会(昭和7年結成)・大日本連合婦人会などすべての婦人団体を統合して昭和十七年に発足しました。
白エプロン(割烹着)にタスキがけの姿で、スローガン「国防は台所から」。
「高度国防国家体制に即応するため、皇国伝統の婦道に則り、修身斉家の実を挙ぐる」目的で、20歳未満の未婚者を除くすべての婦人は強制加入させられました。
軍部・政府の指導下に大政翼賛会の一翼を担い、貯蓄増強・廃品回収・国防訓練・兵士の送迎や慰問・遺族の援護など、銃後活動の国家奉仕に動員されています。

・・・・・・
能天気な甲府のお父うやんと違い、かよも吉太郎も、戦争に勝つために必死です。もはや、親だろうが兄弟だろうが容赦がありません。かよが冷たいように見えますが、国全体が戦争に勝つために動いていたのですから、当然なことでしょう。洋書は焼き払われてしまいます。しかし、英治から言われた一言で、翻訳に着手した"Anne of Green Gables”と辞書だけは残しました。あぁよかった!
・・・・・・

9_12_31945年(昭和20年1月)学徒出陣し訓練をしていた純平君が休暇を取り帰ってきました。
りりしいですね。この姿に蓮子さんも泣けることでしょう。

さて、さて、ドラマもあと2週間で終わりです。そして、8月のあの忌まわしい長崎、広島の日も迫ってきました。胸が痛い日々です。

 


”ブドウは兵器だ…”

2014-09-11 16:02:12 | 花子とアン

9_11_1_3   9_10_2_2
1944年、昭和19年夏。戦況はますます悪化し、花子は子供達を甲府へ疎開させる事にしました。チーム山梨の出番ですね。あれから何年もたっているのに安東家の暮らしは何一つ変わっていませんね。でも変わっていることが一つあります。
どうやら、お父やんが、葡萄酒を作っているらしいこと…。これは以前、リンさんに「何を婿殿は夢みていなこと言ってるでぇ」と却下されたもので長年の夢だったのです。野菜と米しか作っていなかった安東家にとっては画期的なことでしたね。多分、徳丸家がいち早く葡萄酒を作っているので、村の人達に栽培を奨励し、武が醸造の指導したものでしょう。
この日、
徳丸甚之助さんと武が安東家にやってきて、チーム山梨の全員集合ですが、どうやらお父やんがかくしている葡萄酒を探しに来たのです。
「敵の潜水艦を探すのに、葡萄酒の成分が必要なんだと」と言っていますね。
~~~~

この徳丸さんの言う「潜水艦を探すのに必要な成分」とは、酒石酸のことです。酒石酸は、ろ過されていない葡萄酒に含まれています。
圧力が加わると微量だけれども電気を発する性質を持っているので、敵方の潜水艦のわずかなプロペラ音やエンジン音の音波をキャッチする水中聴音機の素材として、たいへん重宝されたそうです。
「ブドウは兵器だ」
というスローガンまで生まれ、醸造所にはワインづくりに必要な砂糖が、特別に配給されていたそうです。
~~~~

てっ!「ブドウは兵器」 ふんとにびっりするずら。戦況が悪化する中、ありとあらゆるものが兵器として利用されたのですね。お父やんは、この兵器をがぶ飲みしていたというわけですか…。グッドアフタヌーンと(敵国語)いい、これを知ったら特高の吉太郎はどう思うでしょう。やっぱりこの親子は一生相容れないでしょうね。

9_11_2 9_11_3


昭和19年11月、東京ではいよいよ東京大空襲が始まります。
 
「これからの飛行機の進歩は、世界を平和に導くか、戦争をもっと悲惨なものにするかのどちらかです。我々人類はこの飛行機をどのように使おうとしてるのか?平和か、戦争か?」
ブラックバーン校長の言った、その試される日が来てしまいました。

花子が片時も離さず持っている、辞書と"Anne of Green Gables”はいつになったら世の中に出るのでしょう。



”戦況は悪化するばかり~学徒動員”

2014-09-09 18:20:56 | 花子とアン

9_9_3  9_9_1
開戦から2年後
1943年(昭和18年)秋、戦況は坂を転げ落ちるように悪化していきました。
そして、ラヂオから流れるニュースは…。

有馬) 「本日、東条首相による、国政運営革新に関する重要発表で述べられましたように、政府は、学徒をして、直接戦争遂行に、参与せしむる事に方針を決定。これにより、全国の大学、高等学校、高等専門学校在学中の、理工、医系以外の、学生の徴兵猶予は、停止せられる事となりました」。”

いわゆる学徒動員ですね。戦地に行きたくてうずうずしていた宮本家の純平は、これに目を輝かせます。
この純平の一途な思いを蓮子さんには止められないでしょうね。肝心な時に家にいない龍一。「戦争にやるためにお前を育てたのではない」と親父ずらを見せていたのですが、こんなに放ったらかされていたら、

 (純平)ようやく僕も、お国のために戦えるんです! お母様たちを守るために、戦えるんです!安心して下さい。必ず命を懸けて、日本を守りますから。

純平だって自分が家族を守るんだと考えるのも当然でしょう。まったく龍一は口ばっかで、言うこととやることがいつも中途半端。こうして、昭和1812月、大勢の大学生が本を捨て、学徒出陣していきました。

余談ですが、我が家の義父も学徒出陣し、あと半年戦争が長引けば特攻隊として海の藻屑と消えるところでした。
 因みに、戦没学徒兵の手記「きけわだつみのこえ」編者の中村克郎さんが集めた資料を展示する「わだつみ平和文庫」が甲州市塩山にあります。今、開館されているか分かりませんので、市役所で尋ねてみて下さい。
~~~~

9_9_5 9_9_6

英治さん”お手をどうぞ”   ” ねえ、英治さん。踊って下さらない?”

嬉しいじゃありませんか。靑凜社を閉めて、軍事工場に働きに出ると決めた英治にダンスを申し込む花子。
もう外国のダンス音楽を流すことは出来ません。
しかし、あらゆる事を禁止されたとしても、想像の翼までは、誰も奪う事はできませんものね。何処だってダンスは踊ることができるのです。目をしっかり閉じてダンスを踊る英治と花子。二人はどんな想像の翼をひろげているのでしょうか。



”それぞれの戦争”

2014-09-08 23:47:27 | 花子とアン

9_8_1_2   9_8_2
 

昭和十六年十二月八日、ハワイ真珠湾攻撃で幕を開けた太平洋戦争は予想以上の成功のうちに進められました。

海軍はアメリカ太平洋艦隊、イギリス東洋艦隊を撃破し、新聞には連日のように「撃沈」、「轟沈」といった威勢のいい活字が躍りました。陸軍もフィリピンのバターン半島攻略に手間取ったくらいで、香港、マニラ、シンガポールの要衝を相次いで占領しましたし、戦争には欠かせない石油も、落下傘部隊の奇襲攻撃でボルネオ、スマトラの油田地帯をほとんど破壊されることもなく確保出来ました。

何しろ半年足らずの間に、西はビルマからマレー半島、ジャワ、スマトラを経て、ニューギニア東方のソロモン諸島に至る広大な地域を占領下に収めたのです。連合軍の捕虜二十五万人、撃沈した軍艦は百五隻を数え大中破九十一隻。日本の損害は戦死約七千人、艦船二十七隻でしたが、巡洋艦以上の大型艦は一隻もありません。

国内は連戦連勝に沸き立ち、何となくもう戦争が終わってしまったような、そんな安堵感に包まれた半年間だったのです。 (歴史講座より引用)
~~~~

 1942年(昭和17年)冬になりました。凄いですね、この快進撃。

連日のように「撃沈」、「轟沈」と国民全体が沸きたっていたのですから、水商売?の雪乃だって黙ってなんかいられなかったでしょう。戦地にいけない女性たちは、銃後の守りと言って、後方支援に回ったのです。かよもしっかり婦人会の仕事をしていましたね。それにしても婦人会同士の小競り合いには笑ってしまいました。今も昔も変わらないな…。

9_8_4_2 9_8_3
こんな中、醍醐さんは、それでは満足できなかったようです。宇田川先生にすっかり感化され、戦地に赴くというのです。戦地がどんなに悲惨なものか、想像できなかったでしょうね、この時点では。
戦争とは人が人を殺すこと…。お嬢様の醍醐さんに勤まるのでしょうか。
そして、皆とは全く反対の方向を向いている宮本龍一も、ひっそりと旅立っていきます。戦争を早く終わらせるための行動とは、いったい何を企てているのでしょう。

今が昭和17年、終戦まで後3年です。スコットさんが残していってくれた"Anne of Green Gables”はどのような運命を辿るのでしょうか…。

 

 


"ラヂオのおばさん、ごきげんよう、さようなら"

2014-09-07 00:00:24 | 花子とアン

9_6_1_2

1941年12月(昭和16年)日本は太平洋戦争へと突入しました。そして花子はついにラヂオのおばさんをや辞める決意をします。

(花子) 今日限りで、「コドモの新聞」を辞めさせて頂きます。
 
(黒沢) なぜですか?
 
(花子) 私の口から戦争のニュースを、子供たちに放送する事はできません。

戦時中であっても何とか子どもたちに夢を与えるようなニュースを送ろうと思っていた花子でしたが、その花子に辞める決意をさせたのは情報局情報課長のこの一言でした。 

(進藤) 国論統一のために、今後一層ラジオ放送は重要になります。放送を通じて、子供たちを、よき、少国民へと導く事を、期待します。


子供たちをどう導くというのか、原稿は一字一句検閲され、自分の言葉ではもう伝えられなくなっています。国民を扇動することなどしたくない…そう思ったのでしょうね。もう、黒沢が引き留めても花子の気持ちは変わりません。

(黒沢)村岡先生。これ、持っていらして下さい。
 
    村岡先生宛てに届いた、子供たちからの手紙です。お考えは、変わりませんか?
 
(花子) 申し訳ありません。9年間、お世話になりました。
~~~~

花子は9年もの間、ラヂオのおばさんをしたのですね。よく、漆原部長のパワハラに耐えたものです。それもこれも子供たちが自分を待っていてくれるという気持ちがあったからでしょうね。

”おもしろかったです。また、あしたもききたいです。”
ファンレターにはこんなことがかいてありました。この言葉が支えとなっていたのでしょう。

~~~~

9_6_4 久しぶりに登場したチーム山梨の面々。
みんな、ふんとうにふけちまったじゃんね。
徳丸さんのひげに白いものが混り、武がお父様と同じように口髭をはやしるじゃん。若いおなごしが、一人もいんということは、武はまだ嫁を貰っていんずら。朝市の嫁もいんじゃんね。
てっ!りんさんがえらくふけっちまってびっくりしたずら。朝市が嫁さん貰って少しは楽をしていると思ってたけんど。朝市家の暮らしも見てみたいじゃんね。


”スコット先生の願い”

2014-09-05 23:56:24 | 花子とアン

9_5_2 9_5_3
 

1939年(昭和14年)スコット先生は、再び平和な時代が訪れた時に、この物語を日本の少女たちに紹介してほしいと花子につげます。スコット先生の願いを花子が約束したのを聞いて、スコット先生は祖国カナダへと帰っていきます。
花子は本当に運命の本に出合えたようですね。

 

9_5_4_2 その後、時代は一気に飛んで1941年(昭和16年)早朝にこの臨時ニュースが流れます。
 

大本営陸海軍部128日午前6時発表。

帝国陸海軍は、本日8日未明、太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
帝国陸海軍は、本日8日未明、菱太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。

日本軍は戦闘状態に入ってしまいました。せっかく出あった"Anne of Green Gables”ですが、この本が世の中にでるのは平和な時代になってから…。まだまだ時間がかりそうです。