梅さんのかわら版.umelog

笛吹川フルーツ公園の紅葉

"大正時代のダンス”

2014-05-07 18:17:24 | 梅本ダンスチーム

ゴールデンウィークもあっという間に終わってしまいましたね。フルーツ王国山梨はいよいよ繁忙期となります。
さて、今日はダンスの話題ですが、世の中のこういった動きに関係なく日本全国で一年中競技会は開催されます。そしてダンスパーティーも開かれます。仕事は仕事、趣味は趣味として皆さんストレス解消や息抜きにダンスを楽しんでいるんですね。今週末のパーティーには梅本ダンスチームの一員もフォーメーションに参加することになっているのでumeさんも行ってきます。

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_1 左の写真は、大正時代のダンスの風景です。先日タイムスクープハンターという番組を見ていたら大正時代の社交ダンスブームを追っていました。

この衣装なんだか変ですね。
日本で最初にダンスが踊られたのは鹿鳴館だと言われています。その時の衣装は、西洋から入って来た裾の膨らんだきらびやかなドレスです。(下の写真)

その後、明治後期から大正時代にかけて庶民の間にダンスブームが起きますが、その当時のダンス風景がこれです。阿波踊りを踊るような格好で、履物は草履です。踊りも今のものとは違いフォークダンスのようなものでした。これをどう見たらいいのか?空想の世界なのか…

Rokumeikan 社交ダンスは男女が組んで踊るということで、その当時はダンスを毛嫌いする人も多く、その流れで風営法という規制で縛られていました。
しかし、どの時代にあっても、今の若者がEXILEの踊りに夢中になるように、西洋から入ってきたこのダンスに夢中になったのです。
そして事件は起きるのです。大正天皇崩御の号外がでた日、大阪の舞踏場はクリスマスパーティの真っ最中。混雑していたためこれに気づかずに踊ったため、一斉禁止となり、大阪では第二次大戦終結までそれが続いたのです。
ダンスが今のように子供から高齢者まで広がり、スポーツとして踊れるようになるまでにはこの後、紆余曲折あるのですが、以前のブログが消えてしまいましたので又、おいおいと書いていくことにしましょう。


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