梅さんのかわら版.umelog

我が家の琉球朝顔~オーシャンブルー

”無心な脳の使い方”

2014-09-19 17:18:38 | 市民講座

9_18_sanma1引き続き、9月の講座は秋刀魚です。

本当に毎回毎回いろいろ考えて下さって感心します。
毎回題材は持ち帰りですから、今日のこの秋刀魚は夕飯のおかずとなりますね。

この秋刀魚、よく見ると台の上に載っています。これは、題材がよく見えるようにとわざわざ段ボールで作ってくれたんです。全員に…。
至れり尽くせりとはこう言うことをいうのですね。

9_18_sanma2今回は細長いので、短冊に描きます。下書きはしません。いきなりクレヨンで描きます。 色を重ねていろいろな色が複雑に絡み合い、深いいろを出すのが特徴です。

今回の作品は、脳の活性化が足りなかったようで、魚を生き生きと描けませんでした。もっと、ぴちぴちして魚が飛び出してきそうな絵が描きたかったのですが、残念!下手に脳を使ったようです。


”丸めて、ちぎって、貼って”

2014-09-19 17:03:47 | 市民講座

8_21__28月の絵画講座の記事がアップされていませんでした。

8月は、南瓜です。描くのではなくて、作ります。今までと違い立体ですね。
見本の南瓜は全員に配られましたが、先生がこの日のために栽培したそうです。
南瓜って、いろいろ種類がありますが、南瓜の特徴を出しやすくて、大きさも手ごろな種類を選んで作ったのでしょうね。準備にそれだけかけて下さって有難いことです。

8_21__2_2 南瓜の中身は新聞紙。如何にごつごつ感を出すかで決まりですね。

形が出来上がると、周りに和紙を貼ります。その和紙の選び方でまたそれぞれ個性が出ます。

みんな違ってみんないい…。かねこみすずではないですが、千差万別です。
とっても楽しい時間でした。


”おまんは俺の誇りじゃん~和解”

2014-09-19 16:33:35 | 花子とアン

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山紫水明の地~山梨。
ドラマも佳境に入り、安東家の兄弟がこの故郷に集合です。
もうこの素晴らしい富士山や美しい滴のような葡萄が見られないと思うと淋しいですね。
安東家は米造りからブドウ栽培へと変わりましたが、相変わらず質素な暮らしのようです。唯一のごちそうが「おほうとう」。でもみんなで囲炉裏を囲めばこんなに美味しいもはありません。
終戦がもたらした家族団らんです。

9_19_2 まだ、あの翻訳本は海のものとも山のものとも分かりませんが、この甲府には平安が訪れました。
子供の頃からのお父うと吉太郎の確執…。お互い酸いも甘いも味わい、苦労の末の和解です。
 「俺は、おまんにうちの仕事をさして、上の学校にも、行かしてやれなんだこん、ず~っと悔やんできた。」
この言葉を吉太郎はどれだけ待っていたかわかりません。きっと、長い間のわだかまりが解けてなくなった瞬間でしょう。そして、生きる気力を失ってしまった吉太郎には、お父やんのこの言葉は心に沁みたでしょうね。

 「必死で生きてさえいりゃあ、人生に無駄なこんなんて、これっぽっちもねえだ。おまんの選んだ道は、間違ごうちゃいん。世間が何と言おうと、おまんは俺の誇りじゃん。これまでも、これっからも。」

甲府に戻り、葡萄酒造りをする覚悟を決める吉太郎ですが、この頃はまだ葡萄酒は日本人にはなじみがありませんでした。昭和39年の東京オリンピックや大阪万博等の国際交流を通じてようやくその認知度が高まったようです。吉太郎の葡萄酒つくりも軌道に乗るにはまだまだ時間がかかるでしょう。
この頃、こぴっとがあまりでてきませんが、みんな年を取り、こぴっとすることがなくなってしまったのでしょうか…。吉太郎には敢えて言います。こぴっと葡萄酒を作ってくりょう!


”ルーシー・モード・モンゴメリ”

2014-09-18 17:07:48 | 花子とアン

9_18_2 花子とアンで忘れてはならいのが"Anne of Green Gables”の産みの親、ルーシー・モード・モンゴメリです。
この人がいなければ村岡花子はただの平凡なラヂオのおばさんで終わったでしょう。今日、満を持してこの名前が出てきましたね。

・・・・・・
ルーシー・モード・モンゴメリは、カナダのプリンスエドワード島のクリフトンで誕生しました。

母親はモンゴメリが生まれて、わずか2才で亡くなってしまい、母親の両親の手で育てられます。
大学を卒業し、教員をしながら作家を目指します。

新聞社等で働きながら雑誌に短編小説を投稿していましたが、徐々に長編を書きたいという気持ちが高まり、そして出版されたのが『赤毛のアン』です。

 しかし、花子とモンゴメリはよく似ているのですが、すぐにこの本が出版出来たわけではありません。

いくつか出版社に送った原稿は、採用されず戻ってきてしまいます。
それで諦めるモンゴメリではありません。最後に送ったボストンのL・C・ページ社で出版が決まったのです。「捨てる神あれば拾う神ありです。」
 

花子も小鳩書房に持ち込まれた原稿は、"Anne of Green Gables”だけ戻ってきてしまいますよね。その理由がルーシー・モード・モンゴメリの知名度がなかったから…。売れるかどうか賭けだったんですね。


モンゴメリのこの著書は世界的に大ヒットしました。このページ社では 「アンの青春」「アンの友だち」、「アンの愛情」までを出版しています。

 

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英治も言っていますよね、「あれだけの空襲をくぐり抜けてきたんだ。花子さんの思いを乗せて、このアンの物語が必ず、日本中の少女たちの手に届く日が来るさ。」そうです、曲がり角をまがった先には、きっといちばんよいものが待ってるに違いないのです。
もうすぐそこですね!!

 


”蓮子の悲しみ~わだつみの声”

2014-09-17 18:06:29 | 花子とアン

9_17_2 純平君は…811日、鹿児島で、爆撃を受けて、戦死しました。
なんということでしょう、終戦まであと4日でした。この生死を分けた4日とは何だったのでしょう。純平の死を信じられない蓮子さんはひたすら帰りを待っているのです

前回、義父の学徒動員について書きましたが、その当時の話を義父の友人に聞く事が出来ました。
 ~~昭和19年2月、海軍は人間を乗せた新型魚雷の開発に踏み切る。搭乗員が生存できる可能性を残すため脱出装置をつけることが条件だった。しかし戦局の悪化とともに、開発が難しい脱出装置は断念された。 搭乗員の命を犠牲にすることを前提とした兵器、人間魚雷の誕生である。~~学徒動員兵はこの魚雷のために集められたのですが、製造が間に合わず、これに載ったのは2つ先輩の人達で、義父たちは辛うじて生き残ったということです。

山口県の大津島にはこの魚雷の基地があり、400人もの学生が志願してきたそうです9_17_1_2

ここに、昭和18年10月学徒出陣し、人間魚雷の搭乗員になりウルシ沖で戦死した慶応大学学生の塚本さんの手記があります。純平君は鹿児島で戦死と言っていますがよく似ています。

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「俺が待っていたのはこの兵器だ。どうしても俺はこれに乗る」。この兵器とは人間魚雷回天。その反面、自分の決意が揺らぐ気持ちも綴られている。訓練生活で塚本さんは、迷う心を断ち切ろうとする。「人間は弱い。自己を思うからだ。滅私、完全なる滅私生活へ。母を忘れよ」。

 昭和19年11月、塚本さんの出撃が決まる。出撃が決まると搭乗員たちは、最後の帰省が許された。しかし回天の任務を話すことは、固く禁じられた。家族水入らずの時間は、一年ぶりだった。

 戦後、塚本さんの遺品の中から、家族に当てた録音が見つかった。

 「母よ、妹よ、そして長い間育んでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。昔は懐かしいよ。秋になれば、お月見だといって、あの崖下にススキを取りに行ったね。あそこで転んだのは誰だっけ。こうやって、みな愉快にいつまでも暮らしたい」。
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蓮子ばかりでなく、多くの母親が悲しみを味わったのです。

 

 


”過剰な空想壁の赤毛のアンがやって来た!”

2014-09-16 17:57:11 | 花子とアン

9_16_3_2 8月6日、広島に原子爆弾投下。次いで9日、長崎に原子爆弾投下。
8月15日(
 玉音放送) 「朕深く、世界の大勢と、帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て、時局を、収拾せむと欲し、茲(ここ)に、忠良なる、爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして、米英支蘇(べいえいしそ)四国に対し、其の共同宣言を、受諾する旨、通告せしめたり」。
終戦を迎えました。

9_16_2_2 そして、スコット先生から『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』を手渡されてから約6年。命がけで続けてきた翻訳が、ようやく完成しました。
しかし、花子も言っているように、翻訳は終えても果たしてこの本がいつ出版されるかはどうかは分からないのです。

戦後間もないこの時期に、翻訳本を売り出す出版社はいるでしょうか。
さて、きのう花子とアンは似ているという話をしましたが、その続きを…。

アンの家から果樹園を隔てた隣家には、黒い髪のダイアナがいて、アンは永遠の友情を誓います。(これが腹心の友である蓮子さんですね。)アンは過剰な空想壁がありますが、恵まれない生い立ちにもかかわらず、明るい前向きさを失わない魅力がありました。しかし、同級生のギルバートに最大のコンプレックスである赤毛を「にんじん」と言われた時はさすがに傷つき石板で頭を一撃します。(これが「朝市の石版叩き事件」です。本当は武が意地悪をしたのですが朝市と間違えたのですね。)そして、腹心の友ダイアナを家に招待したとき、いちご水と間違ってぶどう酒を飲ませてしまいます。(ドラマの中では、花子が蓮子さんに間違っていや故意にぶどう酒を飲まされていまうのですが。)

想像の翼を広げすぎて、自分の思いつきやおっちょこちょいで思わぬハプニングを招くアンですが、マリラやマシュウに温かく見守られ、グリーン・ゲイブルスで成長していく…こんな風に物語は展開していきます。


”曲がり角の先にあるもの…”

2014-09-15 22:02:56 | 花子とアン

9_15_1_2  東京を襲った大空襲により、せっかく翻訳した原稿が燃えてしまいます。
しかし、心配する英治の言葉に花子はこう言うのです。

「原稿はまた書き直せばいいのよ。]
「この原書と辞書がある限り、大丈夫。何十回爆弾を落とされようと、私、この翻訳を完成させるわ。私に出来る事はこれだけだから。」
泣けてきますねこの言葉…。

9_15_2てっ!小さいはなじゃん。いつ来たでぇ。
ほうか、このはなが苦労して修和女学校で勉強したから今の花子があるわけで、
"Anne of Green Gables”も世の中に出せるちゅうこんだね。
ふんじゃあ、 小さい花子に、この本がどんな話かおせえてやってくれちゃあ!

(話し出す花子) 主人公は赤毛で、そばかすだらけの女の子、アン・シャーリー。生まれて間もなく両親を亡くして、孤児院へ預けられたアンは、ふとした間違いで、男の子を欲しがっていた、マシュウと、マリラという兄妹のおうちへやってくるの。マシュウは、働き者で、無口なおじいさんなんだけれど、アンの事がとっても気に入ってしまって、マリラにこう言われるの。「マシュウ。きっと、あの子に魔法でもかけられたんだね。あんたがあの子をこのうちに置きたがっているって事が、ちゃ~んと顔に書いてありますよ」。「そうさな。あの子は、ほんに面白い子供だよ」って。
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こうしてこの物語は始まります。貰われた家のマシュウは、お爺やんによく似ていました。「この他にも花子とアンは似ているのよ」と、大きいは花子は小さいはなに話して聞かせます。

(花子) あなたとアンは、似ているところがたくさんあるの。アンは、11歳の時に、一人でプリン ス・エドワード島にやって来るんだけど…。
(小さいはな) おらが修和女学校にへえった時みてえに?
花子) そう。その日から、アンの運命は、大きく変わっていくの。
(小さいはな) てっ。アンって、 ふんとにおらにそっくりじゃん。
(花子) 本当に私たちにそっくりなの。
(小さいはな) 花子! この話はいつ本になるでえ?
(花子) それは…分からないの。本に出来るどうかも分からないわ。
(小さいはな) ほれなのに、 花子はどうして翻訳なんしてるでえ?
(花子) それはね、私の中にアンが住み着いていて、絶えず私を励ましてくれるから。先の見えない不安な時でも、アンは決して希望を見失わず にこう言うの。
「曲がり角をまがった先に、何があるかは分からないの。でも、きっと一番よい ものに違いないと思うの」って。
こうして、花子は希望を失わず、曲がり角の先にあるものに希望を託すのです。


”体育祭り”

2014-09-15 00:44:55 | ダンスの競技会

2014_taikumaturi2014年の体育祭り。

山梨県下の体育・スポーツの普及と発展に貢献したということで、体育協会から家族が表彰されたので、授与式に一緒に行ってきました。
式の様子を二階の一般席で見ていたのですが、授与式は音楽隊の生演奏です。とても厳かでしたね。祝辞も6名もの国会議員さんが述べたんですよ。

これは今回初めて分かったのですが、表彰が新聞に発表された日に、滅多に無いというか、冠婚葬祭以外縁のない電報が何通も届いたのです。
みんな、受賞を祝う内容で、電話やメールも届き本当にびっくり、本人も恐縮することしきりです


”戦争の爪痕”

2014-09-14 23:44:01 | 花子とアン

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息子のために精一杯のもてなしをする蓮子さん。これが最後の晩餐か…と覚悟もしていたでしょうね。戦争には反対していた蓮子さんですから、本当は戦地になんかに行かせたくなかったのです。行かないで…という言葉を必死にこらえ、再び任地へと送り出します。本当に切ない別れです。

9_13_3_2 東京は、1944年(昭和19年)1114日以降に106回の空襲を受けました。
1945年(昭和20年)226,228日特に1945年(昭和20年)310日、413日、415日、524日未明、525-26日の5回は大規模だったようです。

 花子の住む大森区・蒲田区(現在の大田区)も4月15日に空襲・機銃掃射が襲います。
 
その時の被害は、死傷者4004人、約22万戸もの家屋を焼失したそうです。

焼夷弾の降るなか、花子は必死に逃げるのですが、その手にはしっかりあの原本と辞書がありました。これだけは守りたいという必死な思いが、花子と原書を生かしたのでしょうね。この原書が焼失していたら、"Anne of Green Gables”は世の中に出なかったのです。


 


”ようやく翻訳に着手”

2014-09-13 00:08:01 | 花子とアン

 

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雪乃とかよが熱心に活動している大日本婦人会とは、愛国婦人会(明治34年創設)・大日本国防婦人会(昭和7年結成)・大日本連合婦人会などすべての婦人団体を統合して昭和十七年に発足しました。
白エプロン(割烹着)にタスキがけの姿で、スローガン「国防は台所から」。
「高度国防国家体制に即応するため、皇国伝統の婦道に則り、修身斉家の実を挙ぐる」目的で、20歳未満の未婚者を除くすべての婦人は強制加入させられました。
軍部・政府の指導下に大政翼賛会の一翼を担い、貯蓄増強・廃品回収・国防訓練・兵士の送迎や慰問・遺族の援護など、銃後活動の国家奉仕に動員されています。

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能天気な甲府のお父うやんと違い、かよも吉太郎も、戦争に勝つために必死です。もはや、親だろうが兄弟だろうが容赦がありません。かよが冷たいように見えますが、国全体が戦争に勝つために動いていたのですから、当然なことでしょう。洋書は焼き払われてしまいます。しかし、英治から言われた一言で、翻訳に着手した"Anne of Green Gables”と辞書だけは残しました。あぁよかった!
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9_12_31945年(昭和20年1月)学徒出陣し訓練をしていた純平君が休暇を取り帰ってきました。
りりしいですね。この姿に蓮子さんも泣けることでしょう。

さて、さて、ドラマもあと2週間で終わりです。そして、8月のあの忌まわしい長崎、広島の日も迫ってきました。胸が痛い日々です。