仕事が終わり、
家路につく頃、
秋の太陽は、西の空で赤く燃えていた。
おはようございます。
私は夕焼けを眺める暇もなく、
ただひたすら、足早に家へと向かう。
きくは、騒がしく鳴いているだろうか?
近所迷惑になっていないだろうか?
私の家は、古いマンションの2階にある。
しかし、きくという猫は、
集合住宅で暮らすには、あまり向かない猫だ。
もともと、よく鳴く猫で、体は小さいくせに、声は大きい。
だから、出かける時は、窓は閉めておくのが決まりなのだが、
その日は、うっかり窓を閉め忘れた事に気付いた私は、
それが心配で、買い物にも寄らず、
今夜は、卵しかないから、
卵と白米だけの、やっつけ飯だと決め、とにかく急いだ。
そんな猫を飼っている私は、実は、犬が大好きだ。
中でも、大型犬に対しては、並々ならぬ憧れを抱いている。
大人になったら、大きな犬と暮らすのが、子供の頃の夢だったが、
どういう訳か、猫との縁が、なかなか切れない。
時々、拾っちゃうからだ。
きくは貰った。よねもだ。
拾ったり貰ったりしているものだから、
犬を迎える機会を、完全に失っている訳だが、
時々、ふっと、もういいじゃんっと開き直って、
大きな犬を迎えたい願望が、むくむく湧いてくる。
そんな時、きくの大声を聞くと、
「大型犬って、もっと大きな声で鳴くんだろうな」と気づき、
思いとどまれる。
そもそも、経済力も部屋のスペースも小振りなくせに、
大きな犬を迎えるなど、土台無理な話なのだが、
そこは時々飛んでしまう私なのに、
きくのおかげで、思いとどまれるのだから、
適材適所とは、このことか。
違うか・・・。
ようやく、マンションに近づいてきた。
ツカツカ、ツッカケを鳴らしながら急いでいた私は、
そこで、歩く速度を一気に緩めて、
足音を忍ばせ、耳を澄ませた。
ワオーーーン
ワオーーーン
やっぱりか・・・。
階段の踊り場に向かいながら、
私は、がっかりしたような、苛立つような、
ささくれた気持ちで、その鳴き声を聞いていた。
すると、もっと近くから、
ギャオーーーンという、猫らしき鳴き声がした。
これは、きくの声じゃない。
不思議に思い、もう一度、踊り場から出て、
マンションの各階の窓を見渡した。
ワオーーーン。
これは、2階のきくだ。
ちょっとだけ開いた窓から、こっちを見てる。
ギャオーーーン。
これは?と声の行方を追ってみたら、
1階の窓から、キジトラの猫が、こっちを見てる。
しばらく、そのまま様子を伺っていると、
ワオーンと鳴けば、ギャオーンが返し、
ニャーと鳴けば、ビャーが返す。
まるで、会話のように、成立していた。
窓を見上げなら、その会話を聞いていたら、
1階のご主人も帰って来たようで、
私を見つけるなり、ご主人は、
「まーた鳴いてる。よく鳴く子でね、
小さいくせに、声が大きくて、ごめんね。」と、
笑いながらも、そそくさと部屋へ帰って行った。
すると、1階からは、今度は甘ったれた声がして来て、
別の部屋からは、更に大きな声が響いて来た。
きっと、鳥だな。
南国系の、鳥だな。
どこかの部屋の住人が、鳥を飼い始めたんだな。
それにしても、けたたましいな。
そう驚きながら、私は、しばらくの間、
様々に響く声の中、夕焼けを眺めていたら、
赤く美しい空のおかげか、
雄たけび仲間の存在のおかげか、
いずれかは分からないが、
ささくれていた気持ちは、すっかり消えて、
私は、笑顔で家へと帰って行った。
きく「もっとだ、へっぽこな初老の男め」
きく「手を休めるなよ」
きく「おい、そこの一応メス?のブタゴリラ」
きく「あの視線をなんとかしろ。気になるわ」
うん、無言の圧も、けっこうな威力やね。