ああ、苦しい。
最高に、苦しいぜ。
おはようございます。
88歳の父と、アルツハイマーの母が暮らす実家に、
ヨレヨレのハンディを持った猫を置いてみた。
無謀なチャレンジだと我ながら思う。
かずこは、春のせいか、症状が不安定で、とても攻撃的だ。
それだけでも持て余すのに、そんな所に罪のない猫を連れて来てしまったら、
そりゃ、問題点は山積みだ。
私は今、最高潮に苦しい。
毎日、べそかきながら七転八倒している。
ただ、そんなことは当たり前のことだ。
一つの命の行く末を、どうしてやればいいのか?
そんな重いテーマを、楽観的に考えることは、私にはできない。
子猫を拾った時も、死にゆく猫を見送った時も、
年老いていく両親のことも、
いやもはや、命の云々関わらず、
片思いしていた時も、浮気された時も、別れを予感した時も、
友達と喧嘩した時、転職するか悩んだ時、
知らぬ間に5~6キロ太っちゃった時だって、
いつだって、その時は死ぬほど苦しいものだ。
そして、いつだって、苦しむわけは、
今より良くなりたい。
諦めたくない。
もっと幸せになりたいから、だから、足掻いて苦しむのだ。
苦しむのを諦めてしまったら、事はこれ以上動かない。
その先にどんなことが待ち受けていようと、
今に満足できないのなら、足掻くしかない。
動け、動け。
すっ転んで、立ち上がって、またすっ転んだら、
寝たままゴロゴロ転がってでも、行け!
目指すは、諦めざるを得ない、『結末』だ。
さあ、動け!
のん太よ、動け!
あやが、熱い視線を送る中で、動いてみろ!
もう、泣きそうじゃないか?!
あや「うん、可愛い!」
あやの熱さに敵うもの無し!!