
『園の中央に生えている木の果実だけは、食べては生けない、と神様はおっしゃいました。』
『女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。』
『女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。』
どなたもが知っている、聖書創世記、イブとアダムが木の果実(りんご?)を食べる話。
神が、”食べるな”と命じたタブー。 アダムとイブが、『タブーを破る』。て話。
今日のクラスの一場面・・・
アウグスチヌスの諸本(主に「告白」)から、彼の思想の査証。
更に進んで・・『聖書』と『告白』とフランクルの『夜と霧』を比較しながら・・人間の精神の成長について。
自己愛(エロス)→他者への愛(フィリア)→隣人愛(アガペ)→贈与の関係(ハヤトロギア)。へと。愛の上昇の種々の段階。について。
アウグスティヌスは、りんごでなく梨を食べる。 『告白』より

『私は、悪友たちと他人の畑に忍び込み、その梨の木をゆすって実を盗り、しかもほとんど食べずに豚に与えた。
その時、空腹で梨の実で空腹を満たそうという欲求に駆られて盗んだのではなく、ただタブーを犯して盗む行為そのものを楽しんだ』
世間の常識は、”盗んで食べるな”とタブーを命じます。 アウグスティヌスが、『タブーを破る』。て話。
難しい話はさておき・・
クラスメートが発した『問い』で・・クラスがそれていった。充実した時間になった。
「イブとアダムによる善悪の木の実の盗食」 と 「アウグスティヌスの梨の実の盗食」の共通点は?・・て『問い』
一生徒の答
りんごを食べ梨を食べるてこと。『タブーを破る』行為は・・「人の成長」そして「人類の始まり」の必要不可欠プロセスだ。
一生徒の説明が続きました。
「タブーが与えられる」ということは・・
上に立つ人から下の存在の人への命令である。話合いのない関係である。
神から人間へ。世間から個人へ(世間常識てこと)。親から子へ。という風に。
『タブーを破る』ということは・・
上に立つ人と下の存在の人が対等の対場になっていくということ。両者が話合えるる立場に変わっていくということ。下の立場の人が自由を確保したてこと。
「物申す・・。」て状態の確立。
りんごを食べたからこそ・・
人間は自由を獲得・・良しにつけ悪しきにつけ・・人間は神と話が出来るようになった。
人間の最善権利である「自由」を確保・・本当の意味で・・『人類の始まりの時』が来た。
善悪の判断を自ら下すことが出来る。下さなければならなくなった。人類の発生。というか誕生。 なのだとの説明。
梨を食べたからこそ・・
アウグスチヌスは、より善悪の判断を迫られる大人に成長した。
アウグスチヌスは、やっと、大人と話が出来るほどの成長を見せた。 のだとも説明。
だからこそ・・『タブーを破る』ことは、人間の成長には不可欠なことなのです。という生徒の説明。
『決して』死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる。』
創世記で、蛇が女に言った通りになりました。
りんごを食べ神のように善悪を知る者となり。自由を獲得し。神に者申すようになり。・・・真の人類の出現。。
タブーを破り大人のように善悪を知る者となり。自由を獲得し。責任を負う身となって。・・・真の人間になれたアウグスティヌス。
神は・・出来上がった人類を・・『エデンの園から追い出し、土を耕させることとした。』(創世記3章)・・自立させました。
アウグスティヌスは・・親掛かりの放蕩三昧の生活から自立し・・わが道を探すために住まいを変え勉強を始めます。
聖書の、そして、告白の、云わんとしているところは・・・
人類の起源も人間の成長も・・自由を獲得し自立し責任を取る人になった時から・・本物が始まる。
人類の始まりも、人間の成長も・・
『タブー破り』がきっかけとなり、庇護の下から追い出されたり離れたりして、
・・初めて始まる。 脱線授業で一生徒が語ったことです。
私には新鮮な説明でした。目からうろこ。”若者にしてやられた!”という感じ。
若者との種々の交流の場








私には・・新たな学びの場であり。 刺激の場です。 楽しい

