マリアテレジアの独り言

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『賢い人』  そして 『愚かな人』

2014-06-26 23:32:49 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『愚かな人』 はいやですよね。 『賢い人』 になりたい。 誰もの願いです。
   『賢い人』になる方法がある。 とイエスは断言します。

6月26日。木曜日。  『今日の御言葉』

   『イエスは弟子たちに言われた。
の上に自分の家を建てた賢い人
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。 岩を土台としていたからである。
の上に家を建てた愚かな人
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」』
                                    マタイ福音書 7章24~27節

      『岩』の上に家を建てると 『賢い人』 になれる。 ようです


ネットで探したイエス。  一生懸命に語っています
『岩の上に自分の家を建てた賢い人』  そして  『砂の上に家を建てた愚かな人』 

   家を建てる時には、その土台をしっかりと据えることが 大事ですよ~。
       土台はしっかりとしたものですか?  
    土台が、その家の本当の価値を決めるのですよ。  
  『岩』の土台の上に家を建てると、『賢い人』になれますよ~! と。


   イエスは、たとえを用いて、何が言いたかったのでしょうか?

私は、御言葉を読んで、すぐに思いました。
   イエスは、私たちに 問うているのです。 

  自分の人生を、どのように築いていくのか。 どう生きていくのか。
  人生の土台を、何に置くのか。 何の上に据えるのか。 と。

     『家』 とは、『自分の人生』。『自分の生き方』。 です。
    『土台』 とは、『自分の信念』。『自分の価値観』。 です。


『賢い人』は・・・
『岩』のように、しっかりした強固な土台の上に、人生を築く。
で・・・
人生の雨風、様々な苦しみが襲ってきても…『土台』がしっかりしているので…倒されてしまうことはないのです。
一方
『愚かな人』は・・・
『砂』のように、もろい土台の上に、人生を築く。
で・・・
大事がないときは良いかもしれないが、一旦雨風が起こってくると…『土台』がもろいので…耐えることができず、倒れてしまうのです。

本当に、『土台』となる『岩』とは、何なのでしょう?
       『岩』 の言葉から、『御言葉』 を思い出します。

 イエスの弟子のシモンが、イエスに、『あなたはペトロ(岩)』(ギリシャ語の岩)、と言われましたよね。

『イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはわたしを何者だというのか。」
     シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答えた。
   するとイエスはお答えになった。「わたしも言っておく。あなたはペトロ(岩)
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」』
                                      マタイ福音書 16章15&16&18節

  ・・・『キリストの御言葉』通りに、『岩』と呼ばれた『ペトロ』は、全キリスト教会の不動の『土台』 となりました。
      イエスは、ご自分が人々に勧めておっしゃるとおりに、『岩(ペトロ)の上に家(教会)を建てました。』
             教会を、何が襲ってきても、揺るぎないものにしました。
     ペトロが『岩』なのです。『教会』は、信者には、『岩の上に建てた家』なのです。
              理解が難しい。 でもよく分かりました。

もう一つ。

 モーゼは、イスラエルの民と、荒れ野の旅をする途中で、『岩』から出る水 を飲みましたね。

    「主はモーゼに仰せになった。
「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で『岩』に向かって、水を出せと命じなさい。
あなたはその『岩』から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」』
                                              民数記 20章7&8節
・・・パウロは、
     出エジプトの際に、『岩』から出る水によって民が養われたことから、
       キリストは、生命の水の源として、『岩』である。 と言うのです。
     キリストが『岩』なのです。 キリストは、生命の水を湧き出す、『岩』なのです。
             こちらも理解が難しい。 でもよく分かりました。

    『兄弟たち、次のことをぜひ知っておいてほしい。
 わたしたちの先祖は皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な水を飲みました。
彼らが飲んだのは、自分たちを離れずについて来た霊的な岩からでしたが、
         このこそキリストだったのです。』
                                  コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章1&3&4節
           

聖書は、何回も、語ります。
      『賢い人』の、人生という家造りの『土台』は、 『イエス・キリスト』 です。

   『おのおのどのように家を建てるかに注意すべきです。
 イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。』
                                  コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章10&11節

改めて考えると・・・

    人生の土台となるべき 『岩』 とは何なのでしょうか。
      そして
    その『岩の上に自分の人生を築く』 とはどういうことなのでしょうか。

   
     『今日の御言葉』 に付け足しがあります。

  『わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。』
     また
  『わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。」
     つまり
   父なる神様は、私たちがどんな者であろうとも、父として私たちを愛して下さる。
          イエスのこの 『わたしのこれらの言葉』 を、聞いて信じて、『人生の土台』 とする。 人生を送る。 家を建てる。
       これで・・・『賢い人』 になれる。 と。イエスは断言するのです。

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