今日は4月4日。 東京3日目。
穏やかな一日…今日は、葉桜になった桜街道を孫息子と走ってみた
ほっとします・・・ 『変わらぬ日常』
『心をいやす風景』 日々の練習 。
人の幸せとは何だろう。
喧騒から静寂に戻る時、心に平安が戻る。そんな『日常』が確保されていることが『幸せ』ではなかろうか?
派手さもない。大きな変化もない。それらに代わって、『笑い』と『安心』がある。
都心の中…変化し続ける世界情勢を映し出す喧噪の町とは正反対の、変わらぬ『人の営み』が繰り返される『家庭』がありました。
そして。
今日は、復活の水曜日。
『今日の集会祈願』
『聖なる父よ、あなたは、御子キリストによって新しい希望を世にお与えになりました。
主の復活を祝うわたしたちが、永遠の喜びへの道を力強く進むことができますように。』
『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』
『ペテロとヨハネが、午後三時のお祈りの時に神殿へ上って行った。
すると、
生まれながらに足の不自由な男が、神殿の境内に入る人に施しを乞うために、運ばれてきた。
彼はペテロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
『跛者の治癒』 マゾリーノ作品
ペテロは、ヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペテロは言った。
「わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。
ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。
すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊り上がってたち、歩き出した。』
使徒言行録 3章1-10節
『跛者の治癒』 は 『イエス・キリストの名によって』、起こったことです。
聖霊の働きが、イエスの使徒を通じて、驚くべき『わざ』 となったことです。
イエスの生涯の中で、
弟子を育てることは、『収穫は多いが働き手が少ない』と言われ、最も重要な仕事のうちのひとつでした。
『イエスの弟子たちの養成』マルコ福音書 3章13-15節
まず。これと思う十二人を呼び寄せ、任命し、使徒と名付けられた。
次に。使徒の養成です。
①ご自分のそばに置く。
・・・ご自分が病気を直したり悪霊を追い出したりする『お手本』を見せて学ばせました
②悪霊を追い出し、あらゆる患いをいやす追い出す、権能を授ける。
③宣教のため派遣する。
養成後。
イエスさまは、
必要な力を与えた弟子たちを、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えるように、派遣されたのです。
では・・・
私たちキリスト者も、イエスの弟子の一人です。
イエス様を必要とされている方の元に、イエス様から派遣されていくのです。
そのために・・・私たちも養成されねばなりません。
まず、 ①『聖書』を読み、イエスのおそばを離れることなく、イエスから学びます。
次に、 ②『祈り』を続け、神の権能を頂くのです。
そして、③『愛』を持って、『神の国』を証ししながら、宣教するのです。
『自分の力』を見つめるのではなく、『イエスの力』を信じる時・・・
私たちも、使徒ペテロと同様に、イエスの協力者となれるのです。 ならねばならないのです。
頑張りましょう! ファイト!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小2年の孫息子が、『幸せは足るを知ること』と習ってきました。そうですね。 お元気で!
穏やかな一日…今日は、葉桜になった桜街道を孫息子と走ってみた
ほっとします・・・ 『変わらぬ日常』
『心をいやす風景』 日々の練習 。
人の幸せとは何だろう。
喧騒から静寂に戻る時、心に平安が戻る。そんな『日常』が確保されていることが『幸せ』ではなかろうか?
派手さもない。大きな変化もない。それらに代わって、『笑い』と『安心』がある。
都心の中…変化し続ける世界情勢を映し出す喧噪の町とは正反対の、変わらぬ『人の営み』が繰り返される『家庭』がありました。
そして。
今日は、復活の水曜日。
『今日の集会祈願』
『聖なる父よ、あなたは、御子キリストによって新しい希望を世にお与えになりました。
主の復活を祝うわたしたちが、永遠の喜びへの道を力強く進むことができますように。』
『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』
『ペテロとヨハネが、午後三時のお祈りの時に神殿へ上って行った。
すると、
生まれながらに足の不自由な男が、神殿の境内に入る人に施しを乞うために、運ばれてきた。
彼はペテロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
『跛者の治癒』 マゾリーノ作品
ペテロは、ヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペテロは言った。
「わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。
ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。
すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊り上がってたち、歩き出した。』
使徒言行録 3章1-10節
『跛者の治癒』 は 『イエス・キリストの名によって』、起こったことです。
聖霊の働きが、イエスの使徒を通じて、驚くべき『わざ』 となったことです。
イエスの生涯の中で、
弟子を育てることは、『収穫は多いが働き手が少ない』と言われ、最も重要な仕事のうちのひとつでした。
『イエスの弟子たちの養成』マルコ福音書 3章13-15節
まず。これと思う十二人を呼び寄せ、任命し、使徒と名付けられた。
次に。使徒の養成です。
①ご自分のそばに置く。
・・・ご自分が病気を直したり悪霊を追い出したりする『お手本』を見せて学ばせました
②悪霊を追い出し、あらゆる患いをいやす追い出す、権能を授ける。
③宣教のため派遣する。
養成後。
イエスさまは、
必要な力を与えた弟子たちを、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えるように、派遣されたのです。
では・・・
私たちキリスト者も、イエスの弟子の一人です。
イエス様を必要とされている方の元に、イエス様から派遣されていくのです。
そのために・・・私たちも養成されねばなりません。
まず、 ①『聖書』を読み、イエスのおそばを離れることなく、イエスから学びます。
次に、 ②『祈り』を続け、神の権能を頂くのです。
そして、③『愛』を持って、『神の国』を証ししながら、宣教するのです。
『自分の力』を見つめるのではなく、『イエスの力』を信じる時・・・
私たちも、使徒ペテロと同様に、イエスの協力者となれるのです。 ならねばならないのです。
頑張りましょう! ファイト!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小2年の孫息子が、『幸せは足るを知ること』と習ってきました。そうですね。 お元気で!