父母が懐かしい。子は親に似る。第二弾。 第一弾はこちら。
立てば芍薬、座れば・・・ 『牡丹』
庭に咲いたあでやかな一輪。
牡丹の色紙の前に飾りました。
考えてみるに・・・
私が『牡丹』をこんなに大切に思うのは、
母が、春の父母の庭で咲く牡丹を大切にして、咲いた牡丹が痛まないように傘をかけてあげていたのを思い出すからかもしれない。
母は、毎年咲く花々を大切にしていた。美しく咲いた牡丹の命を破壊してしまうと、切り花にすることはなかった。
花好き父母に似た私。 懐かしい故郷も父母も私の心の中にある。
気品と風格を漂わせてる『牡丹』を見ながら、母の天性の品格を思い出した一日でした。
そして。
今日は4月18日。復活節第三水曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしの口は賛美に満たされ、昼も夜も神の栄光を歌う。
神に救われたわたしは、声高らかに喜びの歌を歌う。アレルヤ。』 詩篇71章8章&23節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは人々に言われた。
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためでなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えて下さった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
わたしの父の御心は、
子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。」』
ヨハネ福音書 6章35-40節
使徒パウロは、宣言しました。
『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。』
使徒パウロのフィリピの信徒への手紙 2章6-8節
キリストは、神の身でありながら・・・
『御父・神の御心=人類の救い』を実現するために、地上に降って来られたのです。
『イエスの降誕』
イエスの『神の御心』への従順は、十字架の死に至るまで従順でした。
更に。
使徒パウロは、宣言しました。
『イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、
民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。』
『聖家族のエジプト逃亡』
使徒パウロのヘブライ人への手紙 2章17&18節
キリストは、神の子であありながら・・・
『民の罪を償う』ために、この世に降ってきました。
しかも、当時、この世で一番身分の低い者の仕事人であるヨゼフの元に生まれたのです。
『大工の養父ヨセフとイエス』
イエスは、社会のどん底の生活を体験して、
試練を受けている人々の苦しみを理解し・・・助けることがおできになるのです。
どんな立場の人をも理解し・・・一人一人の人の立場でものを考えることがおできになるのです。
続けて。
使徒パウロは、宣言するのです。
『この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。』
使徒パウロのヘブライ人への手紙第 4章15&16節
キリストは、大祭司として・・・
あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、人々の苦しみをすべて理解することがおできになるのです。
人間の魂の痛み。弱さ。欠点。不安。・・・に同情することができるのです。
人間の苦しみ。悩み。理不尽。涙。・・・・に共感することができるのです。
だから今!
憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか!
自ら、試練と非常な苦しみを体験された主イエス様は、
試練にあえいでいる私たちの苦しみをよく理解して、実にみごとに助けてくださるのです!
『今日の拝領唱』
『主は、十字架の血によってわたしたちをあがない、復活して、新しい命を与えて下さった。アレルヤ。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
子は親に似る。似られても恥しくない親でいたいですね。頑張りましょう! お元気で!
立てば芍薬、座れば・・・ 『牡丹』
庭に咲いたあでやかな一輪。
牡丹の色紙の前に飾りました。
考えてみるに・・・
私が『牡丹』をこんなに大切に思うのは、
母が、春の父母の庭で咲く牡丹を大切にして、咲いた牡丹が痛まないように傘をかけてあげていたのを思い出すからかもしれない。
母は、毎年咲く花々を大切にしていた。美しく咲いた牡丹の命を破壊してしまうと、切り花にすることはなかった。
花好き父母に似た私。 懐かしい故郷も父母も私の心の中にある。
気品と風格を漂わせてる『牡丹』を見ながら、母の天性の品格を思い出した一日でした。
そして。
今日は4月18日。復活節第三水曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしの口は賛美に満たされ、昼も夜も神の栄光を歌う。
神に救われたわたしは、声高らかに喜びの歌を歌う。アレルヤ。』 詩篇71章8章&23節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは人々に言われた。
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためでなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えて下さった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
わたしの父の御心は、
子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。」』
ヨハネ福音書 6章35-40節
使徒パウロは、宣言しました。
『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。』
使徒パウロのフィリピの信徒への手紙 2章6-8節
キリストは、神の身でありながら・・・
『御父・神の御心=人類の救い』を実現するために、地上に降って来られたのです。
『イエスの降誕』
イエスの『神の御心』への従順は、十字架の死に至るまで従順でした。
更に。
使徒パウロは、宣言しました。
『イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、
民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。』
『聖家族のエジプト逃亡』
使徒パウロのヘブライ人への手紙 2章17&18節
キリストは、神の子であありながら・・・
『民の罪を償う』ために、この世に降ってきました。
しかも、当時、この世で一番身分の低い者の仕事人であるヨゼフの元に生まれたのです。
『大工の養父ヨセフとイエス』
イエスは、社会のどん底の生活を体験して、
試練を受けている人々の苦しみを理解し・・・助けることがおできになるのです。
どんな立場の人をも理解し・・・一人一人の人の立場でものを考えることがおできになるのです。
続けて。
使徒パウロは、宣言するのです。
『この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。』
使徒パウロのヘブライ人への手紙第 4章15&16節
キリストは、大祭司として・・・
あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、人々の苦しみをすべて理解することがおできになるのです。
人間の魂の痛み。弱さ。欠点。不安。・・・に同情することができるのです。
人間の苦しみ。悩み。理不尽。涙。・・・・に共感することができるのです。
だから今!
憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか!
自ら、試練と非常な苦しみを体験された主イエス様は、
試練にあえいでいる私たちの苦しみをよく理解して、実にみごとに助けてくださるのです!
『今日の拝領唱』
『主は、十字架の血によってわたしたちをあがない、復活して、新しい命を与えて下さった。アレルヤ。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
子は親に似る。似られても恥しくない親でいたいですね。頑張りましょう! お元気で!