台風で、朝のランニングと教会への外出だけ。
台風接近で、ミサ参加者は、いつも(2~300人位)の、1/3?
司祭は、『ミサ参加は、信徒の都合によるものではない、神の御心である。』と言われた。
家に閉じこもっている。アトリエ(兼書斎)で、読書をしながら、ゆったりした時間を過ごした。
アトリエの友人たち・3人。
理知的な女性でした。
私の描いた『友人たち』が、私を見つめている。 話しかけてくる。
モデルの人たちを描いた時に、互いに交わしたおしゃべりが、よみがえってくる。思い出す。
美しい人でした。
美しさも、それぞれの年代の美しさがある。としみじみ思ったものです。 年代らしく美しくありたいものです。
また画いてみようかな? 『肖像画』
美しさにも、絵を描くことにも、孤高の気高さが要求される。 厳しいものである。
堂々とした人でした。
潔いショートカットとミニスカートが、小気味好い女性でした。
堂々とした姿に、彼女のすべてが語られているように思えた。 『堂々』を描き出したかった私でした。
壁にかけられた『3人の女性』は、画いた『私自身』が描がかれているのかもしれない。と思ってみたり。
そして。
今日は9月17日。年間第二十四主日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『ペトロがイエスのところに来て言った。
使徒ペトロの肖像画
「主よ、兄弟たちがわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」』
マタイ福音書 18章21-35節
お人を赦すことは、どうして、難しいのでしょう。
傷つけられたことを許せないということは、自分のプライドが邪魔するからでしょうか?
使徒ペトロは、
”人はきっと、2~3回しか許せないでしょう。”
でも、私は、”寛大に、7回までは赦すことにしましょう。” と考えたのかもしれません。
イエスは、
”私は、今まで、あなたたちを七の七十倍までも赦しているのですよ。 私に倣う者になりなさい。” とお考えだったのでしょう。
神は、
その独り子・イエスを、私たちの罪の『贖罪』としてお与えくださるほどに、無限の回数で、私たちを赦してくださるのです。
お人を赦すことは、どうして、難しいのでしょう。
私たちは、
『神の慈悲』=私たちの罪を無限に許す慈悲=を理解した時に、
お人に対して慈悲深い人になれるのです。 七の七十倍までも赦せる者になれるのです。
何事も、人との比較で決めるのではなく、神と私の対峙で決めるのです。
まず、赦してみる!
赦すことで、自分の内面に、『心の充実感』を味わうのではないでしょうか?
『神の慈悲』 や 『心の充実感』の体験が、私たちを『赦す人』に変えて下さるはずです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様のお住まいのところの台風状態はいかがでしょうか? ご安全に! 被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
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9月17日。今日の走距離 15㎞。
5時。ラン開始。 台風前の静けさ。21度。雨無し。風強く、向かい風はしんどい。ひたすら前進あるのみ。
9月の運動: ランニング142㎞(今週:15㎞。今週目標:63㎞) 階段上り下り 0回 登山 0回
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