友人が悲しんでいる。でも、私にはかける言葉がなかった。共通の友人が、短期間で癌を宣告され、それも短期間でかなりの進行状況であることがわかり、アメリカで抱いていた夢を、一時断念して、治療のために日本に帰った。今年6月のことだった。彼女のためにできることは何か?きっと、皆一生懸命考えた。私の友人は、大好きな、歳の近いおばさんが、彼女の姪の為にヨーロッパ旅行の際に、ローマ法王に祈ってもらったロザリオ、「あなたが持っていてね」と渡されたそのロザリオを、帰っていく友にあげたらしい。クリスチャンの彼女にとってロザリオ、また法王がどういう存在なのかは、私には分からない。ただ、自分の大切なものを、生きていてほしい、という願いを込めて贈った事だけは理解できる。ところが、その大好きなおばさんが急逝したという知らせが彼女の元に届いた。知らせが届いた翌日、私達は食事の約束をしていた。その席で、彼女から、今までのイキサツを聞かされた。事実を淡々と話してくれていた彼女が最後に辛そうに、私がロザリオを手放したから・・・おばさんが、天国へ行ってしまったと、涙も見せずに話した。言葉が見つからない。ただ、おばさんがなくなったことはロザリオのせいじゃないって、分かってくれる?とだけ。彼女は力なく頷いた。きっと自分を責めているに違いなかった。彼女の目から見て、おばさんが決して幸せそうではなかったということが、追い討ちをかけているようでもあった。
私は、闘病の為に帰っていく友人に一冊の本を貸した。この本は、私の大好きな友人が、私に贈ってくれた本。とっても大事な本だから、あなたが返しに来てね、私はここで待ってるから・・・と、言って渡した。その本は、星の王子さま 大好きなTOMOちゃんが、私にプレゼントしてくれて、とっても大切にしている本だ。だからこそ、貸したかったし、それは、また会おうねの気持ちを込めている。TOMOちゃんは私を理解してくると思った。なんにも、無かった、自分のしてあげらることが。苦しいだろう彼女を前に、本当に何にもしてあげられなかった。だから、私の友人がロザリオをあげたことも、心から理解できる。友人が日本へ帰った後で、彼女の症状は非常に深刻で、アメリカの医者からは、生きることが非常に難しいと言われたことを知った。そのとき、私は、私から返してと本を渡された彼女は、どんな気持ちだったろうと、考え込んだ。いろいろなことが整理できないまま、頭の中でぐちゃぐちゃになっている。