また1人、大好きな人が日本へ帰ることになった。昨日は送別会に美味しいと評判の中華料理を食べに行った。この国で、美味しいラーメンを食べられるのはニューヨークのみと聞いている。が、行っても食べなかった。ラーメンは中華料理ではない。あれは創作和食だ。中華のラーメンは・・・・・・と、思ったら、期待はずれで????とっても、美味しかった。 エッグヌードルという細くて、黄色がかった色をしていた。スープもさることながら、麺が美味しかった。早速、アジア向け食材店に行く。元韓国人の経営しているお店で、日本、韓国、中国、フィリピンの食材が置いてある。今はアメリカ人の経営者は自分ではあまり、食材をあれこれと試してみたりはしないらしい。韓国人は食べ物に関しては保守的なのか・・・・時に私がいろいろと挑戦しようとすると、止めといたら?みたいな、発言をする。ちょっと、私とは良い関係で、私のことを心配してくれているようだ。私はあれこれと試しては、美味しかったとか、ちょっとね、とか教えてあげる。でも、誰が仕入れてきたのよお・・・。エッグヌードルは?と、探してみる。もちろん経営者に聞いてもわからない。えいっと、中華系の乾麺を全て買うことにした。といっても、今まで食べたことがあるのは省くから、5種類の乾麺を買った。値段はお買い得価格なのよね。さて、今日から、お試しが始まる。
余談 金針菜 という、食材がある。日本では食材探し、それも乾燥させた他国の食材を探さなくても、店頭には旬のフレッシュな野菜がたくさんあるから、知らない人が多いかも。これは、とってもお薦め食材。栄養的には、精神を安定させたり、貧血防止になるらしい。
http://www.ne.jp/asahi/tattyan/kenkoukouza/Site/Kenshoku/Kinsinsai.htm
いろいろと、頭の中は錯綜しながらも、元気に太極拳四回目。先生も教える持ち駒が無くなってきたのか(失礼かしら)今日は、護身術にレッスンの半分の時間が遣われた。手を捕まれるから始まり、最後首を絞められる時には、私は「怖い!」と感じていた。先生も私の顔色に驚いたようで、ごめんねと謝ってくれ、強いてやれとは言わなかった。この辺のところは、アメリカ人の良いところかなあと感じる。とっても優しい。
太極拳というのは、もともと受身の武道(セルフ・プロテクト)だと最初に説明されたが、受身、護身というのは知っておくと大変ためになると感じた。腕を捕まれても、簡単にはずせる方法があった。相手の手の動きと、逆の動きをすれば良いようだ。面白いのは、離れようとするのではなく、相手に近づきながら、身を解いていくやり方だった。離れていこうとするもには、強く引張るし、逆に近づくものには警戒してしまうのかもしれない。しかりだなあと、感じる。色々と・・・。
空手を習っていたらしい、女性の動きは全く他の三人と違って興味を引かれた。彼女は、身を解いた後、逃げようとするのではなく、すぐに攻撃態勢に入る。先生も、ちょっと身構えていたような・・・。でも、逃げた方がいいのに・・・と、私は心配した。
友人が悲しんでいる。でも、私にはかける言葉がなかった。共通の友人が、短期間で癌を宣告され、それも短期間でかなりの進行状況であることがわかり、アメリカで抱いていた夢を、一時断念して、治療のために日本に帰った。今年6月のことだった。彼女のためにできることは何か?きっと、皆一生懸命考えた。私の友人は、大好きな、歳の近いおばさんが、彼女の姪の為にヨーロッパ旅行の際に、ローマ法王に祈ってもらったロザリオ、「あなたが持っていてね」と渡されたそのロザリオを、帰っていく友にあげたらしい。クリスチャンの彼女にとってロザリオ、また法王がどういう存在なのかは、私には分からない。ただ、自分の大切なものを、生きていてほしい、という願いを込めて贈った事だけは理解できる。ところが、その大好きなおばさんが急逝したという知らせが彼女の元に届いた。知らせが届いた翌日、私達は食事の約束をしていた。その席で、彼女から、今までのイキサツを聞かされた。事実を淡々と話してくれていた彼女が最後に辛そうに、私がロザリオを手放したから・・・おばさんが、天国へ行ってしまったと、涙も見せずに話した。言葉が見つからない。ただ、おばさんがなくなったことはロザリオのせいじゃないって、分かってくれる?とだけ。彼女は力なく頷いた。きっと自分を責めているに違いなかった。彼女の目から見て、おばさんが決して幸せそうではなかったということが、追い討ちをかけているようでもあった。
私は、闘病の為に帰っていく友人に一冊の本を貸した。この本は、私の大好きな友人が、私に贈ってくれた本。とっても大事な本だから、あなたが返しに来てね、私はここで待ってるから・・・と、言って渡した。その本は、星の王子さま 大好きなTOMOちゃんが、私にプレゼントしてくれて、とっても大切にしている本だ。だからこそ、貸したかったし、それは、また会おうねの気持ちを込めている。TOMOちゃんは私を理解してくると思った。なんにも、無かった、自分のしてあげらることが。苦しいだろう彼女を前に、本当に何にもしてあげられなかった。だから、私の友人がロザリオをあげたことも、心から理解できる。友人が日本へ帰った後で、彼女の症状は非常に深刻で、アメリカの医者からは、生きることが非常に難しいと言われたことを知った。そのとき、私は、私から返してと本を渡された彼女は、どんな気持ちだったろうと、考え込んだ。いろいろなことが整理できないまま、頭の中でぐちゃぐちゃになっている。
11月に母の七回忌があって、帰国する。たった一週間だけの帰国になる。虫が知らせてくれたのか、高校や小学校の同窓生が「元気?」と、メールをくれた。話は進んで、どうも懐かしい面々に会えそうだ。母が連絡をとってくれたかのようだ。実は私には気になっていることがあった。もう長い間気になっていた。それは、中学校、高校と一緒の学校だった、Fさんのこと。彼女は自殺してしまった。同窓会名簿が届いて、それを知ったとき、一番近くに住んでいた彼女の幼馴染に電話で、その真偽と理由を聞いたのを覚えている。自殺は本当だった。そして、理由は回りに聞いてもショウガナカッタ。彼女にしか分らないことだろうから。私の中で彼女は今でも高校生のまんまだ。私と対照的で、利発そうで、小さくて、いつもはずんでいるような子だった。笑顔が可愛くて、優しくて・・・・一緒に何かをした覚えはないが、大好きだった。その彼女のお墓を尋ねてみようと思う。
母が亡くなった後に、母を尋ねてきた友人がいたと、父から聞いた。その人は、昔、母と交友が有った人で、自分や家族の生活が落ち着き、母に会って当時世話になったお礼を言いたかったと、所在を探し来てくれたらしい。もう亡くなっていたとは知らなかったその人は、母の墓石を抱いて泣いて、そして帰っていかれたそうだ。その話を聞いて、私は母の知らない面を見たようで、また新たに涙が出た。そう、母の死はいつまでたっても癒える事はない、深い悲しみである。
長い間気になっていた友のお墓に参れるだろうか。私は、どんなに、彼女のことを私が好きだったかを、語りかけようと思っている。
カーディオテニスなるものをやってみた。音楽付、エアロビクスのようなテニスかな。心拍数を科学的に管理しながら、脂肪が燃焼しやすい状態に考えられてあるはずと参加した。参加者が4人以上いないと開催されないので、4人でツルンで参加した。そう考えていたグループがもうひとつあったようで、都合8人になってしまった。これは、テニスなので、あくまでも同じようなレベルの参加者にしないといけないらしい。クラスの選り好みは許してはもらえない。地肌に心拍数を計る器具とそれをキャッチする時計を装着し、時計の方に体重、身長、年齢、といった個人情報を入力した。そして、スタート。どんなものかというと、のりのり気分で、楽チンテニスをした感じ。お楽しみの測定値の結果は、平均心拍数105で、消費カロリーは、なんと 2 カロリー。時計がおかしいと言う人、心拍数が上がっていないから、カロリーを消費してないと言う人。どっちだろう。とにかく、楽チンだったのは、事実だ。でも、汗はかいていた。ちなみに、同類の参加者の面々は、1人は遅れてきて器具の装着なし、あとのふたりは 0 と 5 。同じようなもんだった。はて、またやる価値があるのかなあと考える。
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日本語の授業は、ひとり増えて6人になった。今回は小さな積み重ねが大きな力となることを、逆の立場で体験できた。今日で4回目の授業。素人の講師に力もスキルもない。でも、確信できた。みんな日本語を身に着けてくれていると。今日から入ってくれた人、その前の回から入ってくれた人、最初から来てくれている人、なんとレベルの違いがはっきりわかるではないか。思わず、今日から入った人に補習授業をしたくなってしまった。追いつきましょうねなんて。毎回の質問は素晴らしい。’お’と;を’の違いは、文法の迷路にはまってしまうようだから、避けて通ろうとしても、使ってるはしから、あれ!と、質問が出てくる。’ください’もしかり。私の英語を理解するだけでも大変だろうと思うのに・・・。そして、同時に、私もこんなに、英語をまともに話したいと思ったことはない。帰り際、二人のキャロルが駐車場まで歩こうと待ってくれていた。今日は、そこに一組の親子が現れた。息子さんを日本語授業に入れて欲しいと言われた。明らかにアメリカ人のお母さんは、この子のおばあちゃんが、日本人だから日本語を習わせたいという。もちろん大歓迎ですよ。同時に、私は是非その方に(おばちゃん)に、お会いしたいですと申し出た。ほんとに自然な会話だった。そして、そのこともとっても喜ばれた。加えて私は言った。是非私に英語を教えて欲しいです、と。