新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

東京都新宿区百人町に住むこと28年

2016-11-01 08:14:15 | コラム
百人町・大久保界隈の国際化に思う:

1988年4月にここ百人町に転居してきた頃には単なる雑然とした下町の通りだった百人町と大久保通りは大きく変化してきました。当時は大久保通りと職安通りを結ぶ無数の路地に、新大久保駅に近いところには白人、遠ざかるにつれてアジア人の娼婦がうごめいており、ニューヨーク駐在の経験がある商社マンが「ニューヨークよりも凄い」と感心したほどの乱れ方でした。

その時期が何時の間にか去って訪れたのが、つい先頃まで流行っていた大規模な”Koreanaization”(私の造語で、韓国人の増加とKoreatownの誕生を言います)が瞬く間に進み、街の様相は一転しました。私は何時かは韓国化の勢いは終わっていくものと予想はしていましたが、現在のような東南アジア、北東アジア、中近東の諸国からあれほど多くの者たち(どれが合法か非合法か短期滞在の旅行者かの判別は出来ません)が集まってくるとは夢にも考えられませんでした。

中でも、顕著な傾向が韓国人の減少と入れ替わったように中国人が急増しつつある事でしょう。彼らは百人町、大久保、高田馬場一帯を恰も自分の国の街中を歩き回るかのように何らの警戒心も見せずに、スマートフォンで喚きながら動き回るのには恐れ入っています。私は一応世界で20ヶ国を訪れてきましたが、馴れたアメリカは言うに及ばす何処に行っても、それとは見せないまでも警戒心の塊の如くになって市中で行動していましたから、彼らの無警戒と傍若無人振りは信じられないのです。尤も、これが我が国の極めて安定した治安を示していると考えれば「我が国ほど優れた国はない」と思えるのですが。

俗称「イスラム横丁」の自然発生もアッという間の出来事でした。そのお陰で本場の?のカレー粉を低価格で買えるおまけはつきましたが、大勢の中近東の諸国の人たちを見るのは矢張り多少不気味なものがあります。私はそれまではサウジアラビア等の人たちのあの「頭に何と言うのか知らない輪を嵌めて白無地の長い服の裾を閃かせて歩く実物を初めて見る機会を得た」のも印象的以上の何かがありました。即ち、この界隈はアジア化どころか中近東化すらも進行しつつあるのです。

私はこの国際化現象が果たして我が国として歓迎すべきものか否かについては極めて疑問に感じております。それは極めて端的に言えば「彼らは我が国の法律も規制も知らず、文化の違いも弁えず、我が国の世界に希な安全さと整備されたインフラを目当てに一旗揚げようとしていいるか、自国では余り者であって我が国に逃避してきて我々の税金のただ食いをしているに過ぎない」と本気で疑っているからです。追い返すべき者は追い返す措置を講ずべきかと思っております。

大久保通りと我が家から高田馬場駅方面に向かう道路沿いにある日本語学校に通学する何処の国者かも不明な輩を「適正な旅券乃至は外国人登録証(今や「在留カード」と「特別永住者証明書」に変わったようですが)と労働許可証所持か否かの職務質問をかければ、恐らく大成果が挙がるでしょう。しかし、今や職務質問をかけているところをついぞ見かけなくなりました。矢張り警察と入管の人手不足かと。

これとは一寸実態も事情は違いますが、今やICT化が進み鉄道利用に際にはスイカとパスモとスマートフォンで改札口を通過するの時代となって、JRでも私鉄でも「乗車券拝見」がなくなったのと同じかも知れないと愚考します。

私は公的機関の方々は是非とも大久保通りと新宿に何百校?もあると聞く日本語学校を調査・監視すると不法滞在と就労者検挙の成果が挙がると思うのです。

もしも、中国語(北京語、広東語、台湾語等)、韓国語、ベトナム語、タイ語、マレーシア語、ミャンマー語、インドネシア語、フィリピン語、インドとバングラデシュとパキスタンの複数の言語、ネパール語、アラビア語、ペルシャ語等々を聞き分ける能力がある方がおられて、大久保通りに30分も立って見れば、この地区の負の国際化というか多国籍化を体感できるでしょう。ここには、英語とスペイン語も追加しておくのも良いかも知れません。

私は本気で言うのですが、何方でも一度は大久保通りに来て頂いて、イスラム横丁とともに視察されると、私が言っていることに実感が湧くと思うのです。恐らく想像された以上の酷さだと実感されるでしょう。そして、業務スーパー・河内屋で超廉売の酒類でも買いに入られれば、自分が少数民族だと痛感されると確信しております。