新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月6日 その2 日本対アルゼンチンのラグビー

2016-11-06 10:25:23 | コラム
過剰な期待をせずに見た国際試合;

昨5日には新生日本代表テイームが新監督の下の初戦でアルゼンチン代表と対戦するというので、余り期待せずに観戦した。それが代表初選出(何でアナウンサーは嬉しそうに「キャップ」というカタカナ語を使うのだろう?知らない者には「帽子?」となるだけではないか)が数名いたと聞いた途端に「新監督は勝負は度外視しているのだな」と閃いた。

私は我が国の代表が出る国際試合でも何でも、どうしてもその試合における両テイームの出来というか技術というかスキルを評論家として見て楽しみたがる方なのであり、ファンやサッカーにおけるサポーターとやらのように熱烈に自国代表を応援している訳でもない事が多い、言うなれば「非国民」のようなものである。昨日も先のW杯で4位に入ったとかのアルゼンチンのラグビーとは如何なるものかと評論家として大いに関心があった。

我が国との大きな違いが幾つかあったが、最も目立ったのが白人の特徴と私が認識している「上半身人間」の特徴が良く現れていた点だった。それは解説に登場して欲しくなかった大畑が褒める我が代表の低いタックルにあっても上半身までが殺されていないので、倒された体勢でも周囲を見回してパスを繋ぐか綺麗にダウンボールしてみせる能力だった。即ち、欧米人が相手では上半身を押さえに行くことも考慮しないと、彼らを止めきれないということだ。

次は我が国のラグビーでは未だに「頭を下げて突進」的な、言うなれば古き悪しき故北島忠治監督の「前へ」の鉄則の如き習慣が残っていて、ボールを持った者の視野が狭窄気味であると見た。それに対して、アルゼンチンの連中はパスが来る前に周囲を見回してあるのか、あるいは走っている間も誰が何処についてきているかを極めて正確に認識出来ていて、パスが巧妙に広く深く繋がっていくのだと見えた。特に後半だったかに日本のゴール前で細かくパスを繋ぎ、最後は両手で頭の上から空いている者に回してトライに持ち込んだ辺りには、古くて陳腐な表現をお許し願えば「一日の長があった」と認めさせられた。

私は54対20という得点の差以上に開きがあったと見たが、その点は先ほど何を思ったかTBSの「喝」の時間にゲスト出演した大畑が懸命に援護していたように「新監督の下にこれから発展していく段階にあるテイーム」である以上、長年一緒になってやってきたと聞くアルゼンチン代表との間に大きな差があったのは当然だろうと思う。特にバックスに外国人を何名も使っていたので、彼らの「我こそは!」の頭脳構造では、これという時にパスが繋がらず、折角復帰した山田章仁にはほとんどチャンスが回っていなかったのは考えても良い問題点かと思って見ていた。

他にも「これでは?」と思わざるを得ない者はいたが、新監督が実際に指揮を執るのは初めてであるし、新参者を数多く入れていた以上、ここでこれ以上批判するのは無用かと思う。但し、相手方に奇妙な髪型をした者が極めて少なくまた刺青者を見かけなかった気がする時に、我が代表には如何に技術が優れていたにもせよ、一般的な社会にはいないような風体にしか見えない者がいるのは、少なくとも私の好みではないとだけ言っておきたい。

また、アナウンサーがこの局だけのことではないが、反則があると「~にペナルテイ-」と叫ぶのが気になって仕方がない。あれは「~に反則があったので、相手にペナルテイーキックが与えられました」が正確ではないかと何時も疑っている。”penalty”はOxfordには”disadvantage given to a player or a team when they break a rule”とあるので、せめて「ペナルテイーを課されました」と言って欲しい。

最後に解説者に一言。毎回言ってきたことだが、大畑大介は不適格である。彼は時偶技術的なことを言うが、ほとんどの場合我が代表の応援団的な解説か、あるいは希望的な観測を述べているに過ぎない。少なくとも、私にとっては「消音」にして見たくなるような存在。思うに、ラグビーはここ1~2年の間に急速に人気スポーツにのし上がってきたので、適切な解説者を準備するまでに至っていないのではないかと思っている。これまででも記憶にあるのが砂村と薫田くらいのもので、未だ発展途上であると思う。

過去には日比野のように教えられた解説者もいたが、兎に角大畑は協会で然るべく指導すべきではないか。以前にヴァレーボール界で今や女子の代表に就任した中田久美が解説すると大畑どころではない応援団長だったので批判した記憶があったが、解説するとは余程選手時代に経験があってその上に十分に勉強してこないと聞くに堪えない結果になってしまう。また、引退後にテレビ局に与えられた第二の人生などと心得ている者にも出てきて欲しくない。広岡達朗のように言うべきことを言い過ぎると、何処も使わなくなってしまうのも困ったことだが。


夢の中ではブログ更新

2016-11-06 07:48:39 | コラム
アイデイアは夢の中で閃く:

実は1990年4月の在職中から物書きの真似事を始めていた。編集長からは「エッセーで何を書いても結構」と言われていた。不思議なことに、その頃から今になっても発想というかアイデイアが枯渇して懊悩呻吟することはなかった。書き始めの頃は月2回発行の業界の専門誌に連載することだったが、年間に最低でもアメリカを6回も往復する忙しさの中で一度の原稿の締め切りに遅れることはなかった。決して自慢している訳ではないが、あの手書きの時代にそれほどの速度で書けていたのだった。

そのような頻度での連載は、1995年から加わった専門誌に英語での四半期毎の連載も含めて2000年の4月まで続けていたのだった。その後2003年の9月からはある偶然の切掛けでPCを導入せざるを得なくなった海外ニュースの英文和訳を引き受けることになり、それが2013年の9月に2度目の心筋梗塞で辞退せざるを得なくなるまで10年も続いたのだった。誤解なきよう申し上げておけば、ここまでは自慢話ではなく、単なる回顧談のつもりだ。

それほど書くことに馴れていたにも拘わらず、昨日から全くその気になれず(ならず)発想の如きものはあるのだが、PCに向かって書いてみようという意欲が湧いてこなかったのだ。前夜には良くあることで就寝中にと言うのか、夢の中で素晴らしいアイデイアが浮かんできて「では書いておこう」とばかりに具体的に文章の案まで思い浮かべながら、構成していったのだった。しかも夢の中ではブログを更新した後で「これは忘れないようにしよう」とまで自分に言い聞かせていたのだった。

大体からして、これまでの経験で何か「これ」というものを思い浮かべる時は、書けるような状態にはなく、発想をメモにする筆記用具も紙もないときなのだ。「夢の中とは最悪だが、今度こそ忘れないようにしよう」とまでは思ったのだ。だが、昨日起きてみれば何を主題に書こうと思ったかすらの記憶もなく、何とも対処できない状態だった。それだから残念だという訳でもないとは思うが、創作意欲すらも湧くことがなく「新宿区に人口」だけを前月分をなぞって仕上げるに止まった次第だった。

昨日も日本対アルゼンチンのラグビーを見ながら「この観戦記を纏めればkazkさんの評論もうかがえるだろう」とは考えていたが、遂に昨日中にはその気になれず、今に至ってしまった。そこで言い訳はこれくらいにして別途観戦記を何とか纏めてみようと考えている次第。しかし、何となく自信がないので不安な状態。