新嘗祭だった:
午前中は寒空をものともせずに、十分に厚着をして家内とともに散歩をかねて高田馬場駅前方面に出かけた。目的の一つには駅前の西武のビッグボックス内のUNIQLOの安売りのチラシに釣られて、”HEATTECH”の「極暖」のアンダーシャツを買おうというのがあった。店中には何時もの数倍のお客の入りだったが、考えてみれば「勤労感謝の日」とかの休日だったようだ。その昔は「新嘗祭」だった日だ。最早感謝すべき対象となる勤労とも縁が薄れたが、その祭日を利用しようとした次第。
この「極暖」はUNIQLOの数ある商品の中でも傑作の部類だと思っているので、これから本格的な寒さが襲ってくるのに備えて去年に引き続き在庫を補強しようとした次第。無事に買い物を終えて午後からはサッカーのJリーグのチャンピオンシップ戦の第一段階である鹿島アントラーズ対川崎フロンターレの試合をさしたる期待も興味もないままに観戦した。実は、近頃はJリーグのサッカーは余りテレビ観戦をしていなかったので、顔と名前が一致する選手が少なくなったという不真面目な評論家なのだ。
何故興味を失ったかと言えば、矢張り偶にニュースで見るヨーロッパのサッカーと比べて余りにもスピード感に乏しく、余計なパス回しばかりに終始し、カタカナ語にすれば「スリルがない」のである。しかし、通年でリーグ戦の勝ち点が2位対3位の決戦である以上、何らかの見所がありはしないかとのほのかな期待感はあった。試合開始前の閃きでは上位のはずの川崎には勝ち目がないと出ていた。結果も遺憾ながら勝たせたかった川崎の敗戦だった。
私が見るJリーグというか日本のサッカーの数ある問題点の中でも先ず気にかかるのが、後陣でも何処でも誰かがフリーでボールを持った時に幾ら周りを見渡しても誰も動いてるフリーになろうという努力を怠る点だ。これでは攻め込む切っ掛けが作れず、ただ単に味方同士で無駄な横パスか後ろへのパス交換で時間を空費するだけだ。この点が欧州勢の無駄走りを含めての積極的な動きとの大いなる違いである。物足りない。子供の頃の育て方に欠陥があるのかと疑っている。
次に気になるのが、パスの出し方と受け手の動きだ。昭和20年に湘南中学の蹴球部に入って以来「大原則」として教えられたことが「受け手の動きを止めるようなパスを出すな。常に前進を図れ」だった。現在の選手たちの球慣れと扱いの上手さは我々の時代の比ではないが、彼らは何を思ったのか常に受け手の足下にピタリと入るパスを正確に出すように仕込まれてきているのだ。即ち、受け手の前進乃至は動きを阻むパスしか出せないのだ。
要するにお互いに静止している同士でのパスしか出せないのだ。更に動きの中というか流れるように前進(時には局面での必要に応じて後退する場合もあるが)しながらのパスを続けられないのだ。これでは相手の守りを切り崩す形にはならないのは当然だろう。それだけではない。何時だったか木村和司が批判していたことで、私が賛成したことで「ゴール前へのクロスなるものを外側から上げる際に、中に入っている(待っている?)FWその他の者が上がり過ぎている為に、表現が難しいのだが、上手く対応する時間的且つ場所的に余裕がなく、デイフェンダーなる者たちとの競り合いで負けてしまうことが多過ぎるのだ。
この点もその昔に教えられた原則とは大いに異なっているのが気になるのだ。即ち、「クロスの標的となるべき逆サイドを走ってくる者の前を狙って上げるべきで、(フットボールでいう「リード」をつけたパスを上げろという意味)デイフェンダーと並んでクロスが入ってくるのを待つような形にするな」と教え込まれていたのだった。思うに、時移り、人が変わり、サッカーも進歩し、フォーメーションも戦術も変化して、昔の大原則が通用しない時代になってしまったのかと解釈するようにして諦めている。
ところで試合だが、そういう動きの点では約半日ほどの長があった鹿島アントラーズの金崎なる私の好みではない者が、難しい左からのクロスに、川崎のデイフェンダーと競り合いながらヘデイングを決めた1点で逃げ切ってしまった。解説の山本昌邦は非常に緊張感がある良い試合だったと絶賛していたが、テレビ観戦した者の目には両方が懸命にやっているのは伝わってきたが、スピード感と欧州のような動きの中での流れるようなパス交換が出来ていない辺りがもどかしく、折角の熱戦も中途半端な印象に終わったのは残念だった。さて、次なる浦和レッズが鹿島ととどのように戦うのかには少しは興味も関心もある。
さて、kazkさんはこの試合を見ておられただろうか。もしかして、裏番組の慶応と早稲田のラグビーだったか。
午前中は寒空をものともせずに、十分に厚着をして家内とともに散歩をかねて高田馬場駅前方面に出かけた。目的の一つには駅前の西武のビッグボックス内のUNIQLOの安売りのチラシに釣られて、”HEATTECH”の「極暖」のアンダーシャツを買おうというのがあった。店中には何時もの数倍のお客の入りだったが、考えてみれば「勤労感謝の日」とかの休日だったようだ。その昔は「新嘗祭」だった日だ。最早感謝すべき対象となる勤労とも縁が薄れたが、その祭日を利用しようとした次第。
この「極暖」はUNIQLOの数ある商品の中でも傑作の部類だと思っているので、これから本格的な寒さが襲ってくるのに備えて去年に引き続き在庫を補強しようとした次第。無事に買い物を終えて午後からはサッカーのJリーグのチャンピオンシップ戦の第一段階である鹿島アントラーズ対川崎フロンターレの試合をさしたる期待も興味もないままに観戦した。実は、近頃はJリーグのサッカーは余りテレビ観戦をしていなかったので、顔と名前が一致する選手が少なくなったという不真面目な評論家なのだ。
何故興味を失ったかと言えば、矢張り偶にニュースで見るヨーロッパのサッカーと比べて余りにもスピード感に乏しく、余計なパス回しばかりに終始し、カタカナ語にすれば「スリルがない」のである。しかし、通年でリーグ戦の勝ち点が2位対3位の決戦である以上、何らかの見所がありはしないかとのほのかな期待感はあった。試合開始前の閃きでは上位のはずの川崎には勝ち目がないと出ていた。結果も遺憾ながら勝たせたかった川崎の敗戦だった。
私が見るJリーグというか日本のサッカーの数ある問題点の中でも先ず気にかかるのが、後陣でも何処でも誰かがフリーでボールを持った時に幾ら周りを見渡しても誰も動いてるフリーになろうという努力を怠る点だ。これでは攻め込む切っ掛けが作れず、ただ単に味方同士で無駄な横パスか後ろへのパス交換で時間を空費するだけだ。この点が欧州勢の無駄走りを含めての積極的な動きとの大いなる違いである。物足りない。子供の頃の育て方に欠陥があるのかと疑っている。
次に気になるのが、パスの出し方と受け手の動きだ。昭和20年に湘南中学の蹴球部に入って以来「大原則」として教えられたことが「受け手の動きを止めるようなパスを出すな。常に前進を図れ」だった。現在の選手たちの球慣れと扱いの上手さは我々の時代の比ではないが、彼らは何を思ったのか常に受け手の足下にピタリと入るパスを正確に出すように仕込まれてきているのだ。即ち、受け手の前進乃至は動きを阻むパスしか出せないのだ。
要するにお互いに静止している同士でのパスしか出せないのだ。更に動きの中というか流れるように前進(時には局面での必要に応じて後退する場合もあるが)しながらのパスを続けられないのだ。これでは相手の守りを切り崩す形にはならないのは当然だろう。それだけではない。何時だったか木村和司が批判していたことで、私が賛成したことで「ゴール前へのクロスなるものを外側から上げる際に、中に入っている(待っている?)FWその他の者が上がり過ぎている為に、表現が難しいのだが、上手く対応する時間的且つ場所的に余裕がなく、デイフェンダーなる者たちとの競り合いで負けてしまうことが多過ぎるのだ。
この点もその昔に教えられた原則とは大いに異なっているのが気になるのだ。即ち、「クロスの標的となるべき逆サイドを走ってくる者の前を狙って上げるべきで、(フットボールでいう「リード」をつけたパスを上げろという意味)デイフェンダーと並んでクロスが入ってくるのを待つような形にするな」と教え込まれていたのだった。思うに、時移り、人が変わり、サッカーも進歩し、フォーメーションも戦術も変化して、昔の大原則が通用しない時代になってしまったのかと解釈するようにして諦めている。
ところで試合だが、そういう動きの点では約半日ほどの長があった鹿島アントラーズの金崎なる私の好みではない者が、難しい左からのクロスに、川崎のデイフェンダーと競り合いながらヘデイングを決めた1点で逃げ切ってしまった。解説の山本昌邦は非常に緊張感がある良い試合だったと絶賛していたが、テレビ観戦した者の目には両方が懸命にやっているのは伝わってきたが、スピード感と欧州のような動きの中での流れるようなパス交換が出来ていない辺りがもどかしく、折角の熱戦も中途半端な印象に終わったのは残念だった。さて、次なる浦和レッズが鹿島ととどのように戦うのかには少しは興味も関心もある。
さて、kazkさんはこの試合を見ておられただろうか。もしかして、裏番組の慶応と早稲田のラグビーだったか。