新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米間の思考体系の違いを考えると

2016-11-26 14:04:44 | コラム
アメリカには謙りの文化はない:

アメリカの民主党クリントン政権時代に、我が国の紙パルプ業界を名指しで「ウッドチップやパルプ等の原料ばかりを輸入して、世界最高の品質であるアメリカ産の紙・板紙の輸入を促進しないのは不当である」と、強硬且つ高圧的に迫ってきたことがあった。そのこと自体が不当であったかどうかの議論はさて措いて、我が国のように謙譲の美徳がある商法から考えれば売り込みをかける方が自らの製品が「世界最高である」と臆面もなく謳ってくるのには些か違和感を覚えたものだった。

しかしながら、この程度の売り込みのかけ方は未だ控えめな方で、アメリカ人の思考体系では自社の製品を「最高」だの「最善」と言うのはごく当たり前のことななのだ。これ即ち、私が指摘してきた「彼らには謙る」という考え方はないのだということ。故に、我が国の方が土産物なり何なりを渡される際に「詰まらないものですが」と謙遜されたり、食事でおもてなしをする際に「何にもありませんが」などと控えめなことを言われるのを、寧ろ腹立たしく思う人たちもいるのだ。「詰まらないものを何でくれるのか」という考え方になってしまうことは、古くから言い慣わされていた思う。

少し極端な表現でアメリカ式売り込みというか「セールス・トーク」を紹介してみよう。それは自社の製品の見本なりスペックシートを提出して「我が社の製品は我が社の最新式工場の設備を、優れた技術陣の指導の下に基練達熟練した現場の作業員が作り出したもので、その優れた製品は全米の市場で最高の評価を得ております。これが必ずや御社の需要を満足されることを保証します。それ故に御社がこの製品をこの価格で買わないならば、それは大きな誤りとなると保証する」というような具合で、真っ向から自社製品が如何に優れているかを強調し、”It will be a mistake, if you don’t buy from us.”と堂々と断言するのだ。

私はこのように自社製品に誇りを持って堂々とその自信を披瀝するのは決して誤ったことでもないと思うし、自社の製品を売ろうとする際にこのくらいの自信を持って事に当たるのは不思議ではないのだろうと言いたい。だが、我が国では営業マンがこのようなセールストークをして、お客様に「貴方が言うことは誠に尤もである。その自信を評価して早速購入しよう」となることは先ず起こり得ないだろう。

上記の例え話はやや大袈裟ですが、アメリカの営業マンは多かれ少なかれこのような台詞で売り込みを欠けていくものと思って頂いて誤りではないと思う。私は恐らく彼らは政治的な交渉の場においても、このような自信過剰とも思わせてくれるような表現で臨んでいくのだろうと考えている。それは、彼らの思考体系の中には「謙る」というか「謙譲の美徳」的な回路が設定されていないと、長年の経験で思い知らされてきたから得るからだ。

換言すれば、彼らの自信過剰的(と言うか「井の中の蛙的な視野の狭さ」とでも言えるかも知れない)な表現を額面通りに受け取ることなく、十分にテストをしてから買い入れるような慎重さが必要であると同時に、彼らに売り込みをかける際に迂闊に謙譲の美徳を発揮しないよう注意することが肝要だろう。即ち、「我が社の技術は未熟で未だにこの程度の製品しか出来ませんが、何卒ご参考までに先ずはテスト用のご購入を」などと言えば「そんな未完成品をテストせよとは何事」と突っ返されることだろう。要するに、相手の思考回路を知ってから、然るべき手法で売り込みをかるべきだと言いたいのだ。

尤も、成功するか否かは両国の営業担当者が「相互の文化と思考体系の相違点を何処まで弁えているか」にも懸かっているのだ、もしもその製品が本当に世界中の何処に行っても一流品として通用するような優れた物であれば。