新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月1日 その2 侍ジャパンの壮行試合

2017-03-01 15:20:54 | コラム
弱将の下に勇卒なし:

2月28日の台湾選抜との試合は見るに堪えない惨状だった。試合開始前の得意の閃きではかなり暗雲が立ちこめていた。果たせるかな凡庸な監督小久保の指揮の下、WBCに参加する台湾の正式な代表でもない相手に17本だったかのヒットを打たれて8点も取られる情けない出来だった。監督はよせば良いのに「勝ちに行く」などと言ってしまったので、とても見ていられる野球ではなかったが、Prime Newsも敢えて犠牲にして最期まで見届けた。

精一杯同情して見れば「未だシーズンにも入っておらず、選ばれてきた全員が最善の状態ではない」とか「短期間の合宿では全員の和が整っていない」とか「あの試合は飽くまで調整であり、3月8日までに最善の状態に仕上げる過程である」等々があるかも知れない。だが、如何なる言い訳も通用しないような昨夜の惨敗だった。私は「果たして選ばれてきた連中があの監督を信頼しているのだろうか」という素朴な疑問すら抱いた始末だった。

昨夜の試合で体調も何も全て整ってチャンとした野球をして見せてくれたのは、昨年のセントラルリーグで最多安打を記録した広島の二塁手・菊地だけだったと言って誤りではあるまい。アナウンサーが「2年連続のトリプルクラウン」を枕詞にする山田は全く何の役にも立たない無様な仕上がりのDHでは、取り柄がなかった。筒香と4番を争うと騒がれる中田翔も散々な出来で、最後にセンターの頭を抜くヒットを打ったが、あれも調整中の為だからなのだろうか。

小久保監督の選手起用も疑問だらけだった。捕手に日ハムの大野を使ったのは解らないでもないが、入れ替わり立ち替わり出て来る投手が皆面白くないほど打たれているのを全く等閑にしていたのは解せなかったし、解説の古田が「国際試合ではもっとインコースを攻めねば」と繰り返し言っていたにも拘わらず、全く配球に何らの工夫がなく、打たれるがままだったのは小久保の責任のあるだろう。それのみならず、交替で出したのが昨シーズンの巨人の不成績の主犯格であると思う小林だったのでは救いがない。

私には何故経験豊かな嶋でなかったのか不思議でならなかった。もしも、大野を試して国際試合に馴れさせていたのだと言うのならば、「勝ちに行く」という意気込みと余りにも矛盾していたのではないか。因みに「インコース」という言い方は日本だけに通用する純粋のカタカナ語で、普通には「インサイド」が使われている。「アウトコース」も同様。

それにしても、何故台湾の代表ではないのかと思わせてくれた昨シーズン0.414という高い打率を残したという3番打者の王クンノバッテイングは素晴らしかった。則本が不用意に投げたのかも知れない低めの(変化球?)をものの見事にセンターバックスクリーンまで以て行ったのには驚かされた。しかしながら情けなかったのは、それほどの良い打者に何の工夫もなく後から出てきた投手たちが打たれ続けた工夫の無さだった。これもベンチと大野の責任か?

私は侍ジャパンなるテイームに多くを期待していないが、それにしても昨夜の出来は酷かった。凡監督は「気にしない」と負け惜しみとしか解釈できないことを言っていたが、あれほど打ち込まれた投手陣の立て直しもさることながら、テイーム全体の士気も阻喪するだろうと密かに案じている。あれに加わるのはアメリカからたった一人参加する青木だが、彼一人でどれほど全体の雰囲気が変わるかには余り期待せずに見守っていく。

今夜も台湾との試合があるようだが、先発するとか言われている菅野が余程シャッキリした投球をしてくれないことには、WBCの本番にバラバラのテイームが出場することになってしまうのではないか。その前に監督を替えるような極めつけの荒療治すら考えさせられた、昨夜の無様な試合だった。監督が野球をやる訳ではないのだから、山田や中田や松田といった「田」が付く連中の奮起を促したい気がする。ところで、何処の誰があの監督を選んだのだろうか。


Premium Friday

2017-03-01 08:03:53 | コラム
如何にも日本的なPremium Friday:

2月24日(金)からこのPremium Fridayなるものが実行され始めた。会社勤務とは無縁になって久しいものがある私には、言わば寝耳に水みたいなものだったし、しかも既に批判したように誤ったカタカナ表記なので一層違和感があった。世耕経産大臣だったかが推進の目的を語っていたので、政府が後押ししているのは解ったが、調べてみれば経団連も同様だった。

このニュースを聞いた途端に感じたことは、電通での長時間の時間外労働に端を発した過剰な残業を防止する対策かと思わせられた点だった。それはそれとして、報道では色々と解説されていたが、この方式に参加した企業が130社程度だったのは解らないでもない。一定以上の社員がいる会社組織なら兎も角、中小以下の企業や小売業や飲食店にはとても採用できない方式だなとも感じた。

その点よりも私が感じたことは「皆で一緒になって仕事をしよう。全員の和を尊ぼう」とする我が国の組織だからこそ出て来る発想であり、何処まで行っても個人が主体となって各人がそれぞれに割り当てられた仕事(job)を各人の力量と裁量で推し進めていくアメリカの企業では「全員が一緒になってその月の最終金曜日は午後3時で仕事を打ち切って退社する」という考えは出て来るはずもないと思う。

私のような本社の事業部を代表して東京に駐在する形の営業職では(20数年前は時差の関係もあって)毎日何時に出勤して何時に帰宅するというような形で仕事をする訳には行かなかったし、ましてや東京の土曜日はアメリカでは金曜日とあってはノンビリと休んでいる訳にも行かなかった。即ち、自分の責任範囲内にある仕事が終わらない限り、帰宅することなどは考えていなかったのである。

勿論、本部の上司である副社長兼事業部長には週末も祭日もなかった。休みたければ、自分で予め計画して取りたい時に休暇を取れば良いだけのことだった。即ち、何処かで誰かが決めたことに従って特定の金曜日を午後3時で閉店とするような発想はないと断言できるのがアメリカ式だと言える。お断りして置くが、私は日本式とアメリカ式の何れが良いと言っているのではない。企業社会における文化と発想の違いを指摘しただけのことだ。

アメリカ式の難しい点は「頼りに出来るのは後にも先にも自分だけしかいない点」である。何かがあっても同じ組織の中で助けてくれる者はいないし、誰の“job description”にも「他人の仕事の手助けをする」とは記載されていないし、秘書さんだってボスの不在中にその職務を代行する為の給料を貰ってないないのだから。

そのような飽くまでも個人が主体のアメリカ方式と、我が国の文化である「同じ課や部の中に同じような仕事をしている者がいて誰かの不在中にも助けてくれるようになっている、皆の和で行こう」とを比較してみても始まらないと思う。優劣ではなく、どちらが自分に合っているのかだけのことだと、私は考えているのだが。