新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月4日 その2 またバス停で話しかけられた

2017-03-04 14:07:23 | コラム
昭和6年生まれの人が「戦争は正気の沙汰ではない」と言った:

また寒風吹きすさぶバス停で話しかけられた。私は実に良く話しかけられる。だが、今回は残念ながら女性ではなかった。「寒いですな」と言われたので正直に「その通りです。もう3月に入ったのですから好い加減にして欲しいです」と答えた。すると「暑さ寒さも彼岸までだから、もう少しの辛抱だ」と切り返された。私が若く見えると言われるので「昭和20年に中学に入り、軍事教練も勤労動員も農村動員も経験していた歳です」と言えば「昭和6年生まれで少年兵に志願したのだ」と名乗られた。

更に言葉を継いで「戦争はイヤです。人と人を殺し合うなんて正気の沙汰ではありません。もう二度とやりたくありませんな。だが、近頃の世の中を見れば、あの様な規律正しく長幼の序を守る世界を、若者たちに経験させても良いと思うのだが」と言われた。私は「誠にご尤もですが、最近までは大学まで体育会が言わば往年の軍隊に少し近い役割を果たし、礼儀と規律を守ることを教えてきました。だが、そこでは迂闊に生徒や学生に手を挙げるような教え方をすると、暴力という烙印を押される社会的な問題となる時代になってしまったので」と言うと、「そこは微妙な問題だが、往年は当たり前だった」と回顧された。

生憎と、ここまででバスが来て車内では離ればなれになって、折角の言うなれば回顧談的な現代の風潮に一言申す会話が終わってしまった。私は軍隊も陸軍幼年学校も経験出来る年齢ではなかったので、軍隊の規律が如何なるものかについて語る資格はない。だが、街に出てスマートホンの時代の「近頃の若者」を見ていると、我々が子供だった頃の大人のようなビシッとしたところが感じられないと言うか、背筋がピンと伸びていないなと思わせられるのだ。そんなことを思うのは、矢張り私が老化したということか。

石原慎太郎君の記者会見

2017-03-04 09:22:02 | コラム
旗色が悪かったようだ:

世間には意外なほど「石原慎太郎嫌い」が多いのだと、最近あらためて認識するようになった。そう思うようになった訳は、世間には私を(有り難いことに)実年齢よりも遙かに若く見て下さる方が多いので、年齢を言う際に「石原慎太郎と昭和20年に同じ中学に入った」と言っていた為か、豊洲の件で彼が曖昧なことを言っていると小池都知事の標的にされマスコミの批判された為か、「お友達の石原さんにしっかりしろと言っておけよ」と言ってくる人が急増したからだ。中には明らかに彼の金銭感覚を取り上げて批判する方も何人かおられた。

何はともあれ、同期の英雄であり「石原は良い奴です」と言ってきた私は、出来る限り彼を擁護したいのであの記者会見を振り返ってみる。そこで、3月3日の記者会見である。運悪く丁度あるクリニックの予約時刻とぶつかったので、悪意ある解説付きもあった録画でしか見ることが出来なかった。

結論めいたことを先に言えば、石原君自身が認めていたような五分五分だったら良かったなという程度の結果だったと聞こえた。「各部署の司司が認めて上がってきた案件で、現代の科学なら問題なしと専門家が保証されたのだから裁可した。故にその責任は自分にあると認める」と言ったのは最低限のことだが、それを言う際にも脳梗塞の影響が残った為か、彼らしい歯切れがなかった。何れにせよ、認めたことは“Better late than never”だった。

私には小さいようで大失敗乃至は大失言に聞こえたのが、瑕疵担保責任の件で「下からの報告の有無」を突っ込まれて「一々小さな事にかまっていられない」とぶっきらぼうに答えたことだ。これは得策ではなかったと思う。彼は「自分で商売したことはない」と認めていたが、彼自身は大きな組織で一歯車として働いた経験がないからあの様な言い方しか出来なかったのか、あるいは彼独特の尊大さ?が現れたのだと思う。

私ならば「大組織の長ともあろう者が、進行中の大案件の外部との交渉の進行状態を事細かに担当者から聞いておく必要があるのか。私はその案件は副知事に全てを任せていたのだ。彼からは結果だけを聞けば良いと判断していた」と言っただろうし、現実問題としても、我が国の組織では権限を委譲した偉い人の性格にもよるが、社長まで事細かに毎日進行状況を報告に行くことがあるのかだろうかと思ってしまう。

彼が「安全と安心を混同した小池都知事が豊洲移転の時期の決断を遅らせている」と小池都知事の責任を指摘した点は、昨日の彼の発言の中で唯一と言って良いほど明解で、また間違っていないと思って聞いた。ベンゼンだの何のの基準値の異常と表現された高さは確かに安全ではないかも知れない。だが、何名かの専門家は「毎日そういう水を飲む訳ではないからと安心せよ」と言ったし、築地の業者の中にも「マスコミが繰り返し79倍と報じれば、それ即ち風評被害を生み出す報道だ」とテレビ番組で指摘した者もいたではないか。

確かに、彼が「知らない」、「知らなかった」、「聞いていない」等を連発した感があったのは否めないし、マスコミからすれば責任逃れだろうし、彼らが目指した方向に彼を追い込んだのだと思う。これも不味かった。小池都知事に「石原さんらしくない曖昧さ」と言わせるもととなったのだろう。それらの曖昧さが彼の記憶がなかった為か責任回避の為かは、それこそ百条委員会辺りで追求したければ、すれば良いこと。しかし「裁可」の責任を認めた彼が、敢えてここで責任逃れをする必要があるのだろうか。彼は「裁可の責任」を認めたことが究極の責任を認めたことであり、その上で他に何を追求する気かとの苛立ちを見せていたようにも見えた。

以上を総括すると、四分六分で石原君に不利な結果に終わったかのように聞こえた。だが、彼は五分五分だったと見なしていたのは「究極の責任」を認めたからだと思う。小池都知事は石原元都知事を屈服させることにより、豊洲のように科学的に安全ではない土地に移転することを裁可した人がいた為に、今日の移転の遅延や築地の業者に要らざる不安感を覚えさせ還らざる投資をさせた責任の所在を明らかにする気だと見える。

昨夜BSフジのPrime Newsに登場したマスコミ出身の解説者・鈴木哲夫氏は再三の反町の質問と言うべきか念押しに答えて「小池都知事には来たるべき都議会選挙対策の香りがする」と述べたし、一部には「小池さんはあの選挙が終わるまで豊洲問題の結論を出さないだろう」という意見もある。石原君よりも小池都知事の方が遙かに老獪で、争い方が巧妙だと思う。石原君は直球勝負で玉砕戦法に出たとしか思えないのだが。