新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月9日 その2 成人式って何だろう

2018-01-09 13:51:29 | コラム
成人式を経験していなかった世代は思う:

昨日から女性の(なのだろう)成人式用の晴れ着を貸し出して着付けまでやるという予約を取っていた業者が雲隠れしたと、大きく報道されている。なるほど、悪知恵が発達した業者もいるもだと、被害に遭った方々にはお気の毒だが、悪い奴がいるものだと怒ってみたり、妙に感心させられたりしている。

我が家では最早そういう年代の者がいないので全く実感がないのだが、この成人式なる催し(「イベント」ではない、念の為)は何時の頃からあのような女性は振り袖で男性は妙な仮装行列の如き衣装で参加する決まり(でもないかも知れぬが)になったのかと訝っている。まさか、主催者側が振り袖であの白いマフラーのような襟巻きを身に付けていないと入場を拒否するわけでもないだろうにと、密かに考えている。

思い起こせば、当方が満20歳に達したのは1953年1月で、未だ大学の2年生だった頃のことだ。当時は藤沢に住んでいて遙か彼方の東京の学校に通っていたし、アルバイトにも精を出していたのだった。従って家にいる時間も短かったので注意もしていなかったことあり、藤沢市役所から成人式に参加せよという案内が来たか否かの記憶もない。

いや、Wikipediaで見ても成人式なるものを祝うようになったのは昭和24年(1949年)に一部の都市でとあるが同年代の者たちと成人式なるものを話題にした記憶もない。私は旧制中学から新制高校の6年間を通じて修学旅行の経験もなかったし、給食なるものが実施されたのは社会人になってからだと思っている。男女共学だって経験していなかった。

要するに、戦後の混乱から抜けきっていない時代に学校教育を受けていた世代なので、現代の子供たちが経験している楽しみというか何と言うか、社会資本の充実(なのかな?)の恩恵に浴していなかったのだ。故に、成人式での一部の不埒な若者たちが騒ぎを起こす心理状態を理解することも不可能だし、何故騒ぐのかも全く解らないのだ。ましてや「一生に一度だから」と晴れ着を着る気持ちも、何か別世界の出来事のようにしか思えないのだ。

それにしても、あの「はれのひ」とやらいう誠に業者は怪しからん輩だとは思う。「一生に一度」が弱みであるかどうかは良く解らないが、そこに付け込んだ悪辣な商法というか手法は「世に盗人のタネは尽きまじ」を思わせてくれる。


高校サッカー決勝戦観戦記

2018-01-09 08:43:56 | コラム
前橋育英が勝って良かったが:

このところフットボールだのラグビーだのサッカーなどの観戦記ばかりで、一向に世の中を論じていないと反省はしている。恐らく昨日で全国大会の類いが終わったと思うので、本日の高校サッカーの決勝戦を論ずるので最後になると思う。ここでは「高校の指導者たちの理念」採り上げてみたい。

正直なところ、流通経済大学柏高には勝って貰いたくないと思っていた。それは、決勝戦に来るまでの間にアナウンサーも解説者も褒め称えていたが、私にはあの単なる蹴り合いだけとしか見えないサッカーの何処が良いのかサッパリ解らなかったのだった。いや、簡単に言えば私には「余りに能がない単純な古き良き時代に流行っていた『キックアンドラッシュ』の質の低い現代版」のようにしか見えなかったのだったのだから。

因みに、今を去ること60年も前のキックアンドラッシュ戦法では、最前線に素晴らしい俊足のFW、それも往年はWingと呼ばれた者が両端にいて「遙か前方に蹴り込まれたパスをバックスと競り合って追い抜いてシュートにまで持っていく」という単純明快な戦法だった。当時はそれを「ドッグレース」などと呼んでいた。

一方に前橋育英のサッカーは遙かに理論的で正攻法でパスを回して、綺麗な形で流れの中で点を取っていくサッカーで、私の好むスタイルだったのである。準決勝戦で5点を取ってしまった形が維持できれば、あの流径大柏との蹴り合いに巻き込まれなければ、育英に勝機が訪れると予測していた。

しかしながら、昨日は同時刻に東海大仰星対大阪桐蔭のラグビーの決勝戦が始まっていたので、そっちの成り行きも気懸かりで何度も繰り返してチャンネルを変えていた。幸いにしてラグビーは試合時間が短いので先に終わってくれたので、サッカーに集中できるようになった。矢張り、育英は流径大柏との蹴り合いに多少巻き込まれていた為に、後半のアデイショナル・タイムとやらまでに点が取れずに終わった。

目出度く育英が勝ったのは良かったのだが、この決勝戦には考えさせられる点が多々あった。それは、育英の言わば完成したかのようなパスサッカーは見事だが、問題は同じ監督さんが30数年も教えておられることが良いことかという問題にぶつかるのだ。即ち、高校の段階である程度以上纏まったサッカーをする高校生を育てられた為に(だと思うが)この学校からはJリーグや大学等で名を為して日本代表に選ばれてくる者が少ないのだ。

正直なところ、流径大柏のような荒削りな高校生を育成した場合に、上に行ってどれほど成長する「伸びしろ」が残っているかは知らないが、先日見る機会があった流通経済大学のサッカーも、依然として蹴り合いの域を出ておらず、あれでは日本代表にまでは選ばれる者は出ないだろうと思わせてくれた。

私が言いたいことは「高校の指導者の方々が何を、何処を目指して高校生を育てておられるのか」という問題である。高校で全国制覇を目指して日々これ精進するのもその子供たちの将来にとってまたとない経験となり、将来大いに役に立つことは自分の経験でも解っている。でも、「その勝ちたいという一点の為に小さく纏めた高校生を育ててどうする」とも言えるのではないか。

「いや、高校サッカーはJリーグの下部組織ではない、俺は俺で自分が立てた目標の全国制覇を目指す」と言われれば、それも立派な指導者の理念だろう。であれば、全日本代表入りを目指す者たちはJリーグの下部組織にお任せすれば良いと思う。

私は元日大高校フットボール部監督だった故清水之男の言われたことが忘れられない。「日大高校は日本大学フェニックスの篠竹監督の下で使えるようになる人材の育成を目指している。必ずしも高校フットボールの全国制覇を目指す為の育て方はしないとご理解願いたい」と親たちに向かって断言された。私はこれも高校の指導者としての優れた信念であると認識している。

将来、前橋育英高校と流通経済大学柏高の何れから全日本代表メンバーに選ばれる者が出てくるかを見守っていようではないか。