新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高校サッカーに思う

2018-01-07 10:53:04 | コラム
準決勝戦までを見て思ったこと

意外なことが二つあった。それは戦後の(と言っても良いと思うが)高校サッカーを盛り上げてメデイアの重大な関心事とした功労者だと言って良いだろうお二方が、それぞれ長崎総合科学大学高校と矢板中央高校のベンチにおられたことだった。前者では国見高校の名監督だった小嶺忠敏氏が監督で、後者には帝京高校の同じく名監督だった小沼貞雄氏がアドヴァイザーだったかで座っておられたことに驚かされた。

小嶺監督は国見高校を何度の全国制覇させただけではなく、日本代表に高木琢也、路木竜次、三浦淳宏、大久保嘉人、平山相太等の優秀な選手を送り込まれた実績があった。また小沼監督も磯貝洋光、本田泰人、松波正信、中田浩二、田中達也等を育てて送り込んでおられた。

私はてっきりこのお二方は引退されたものと考えていたが、何と未だ未だご健在で小嶺氏に至っては長崎総合科学大学高校の現役の監督だったのだ。この高校は準々決勝で敗退したが、私には無名としか思えない高校をそこまで持ってこられていた。小沼氏が矢板中央高校を何処まで指導されたを知る術もないが、前年優勝校の流経大柏に1点を与えただけの惜敗にまで善戦させていた。

私は率直に言って、最早この元名監督が出てこられる時代は終わったと思っている。確かに両監督は上記のような全日本級の選手を育てられただけではなく、何度も高校選手権で優勝させるという輝かしき実績を誇っておられる。他にこれほどの凄い成果を挙げられた監督が他にいるのかという評価が出来るだろう。

だが、両監督とこの両校についての私の正直な評価を言えば、高校の全国大会での優勝に持っていく他に類を見ない指導法を確立され実績を残されたのは確かだが、甲子園の野球に勝つ為の技術と技巧(流行のカタカナ語で言えば「スキル」とでもなるか)を鍛え上げているのにも似た指導法ではなかったということだ。

確かに両校からというか両監督の下から全日本に選ばれた者が多数出た、だが、言うなれ場現在の本田、香川、岡崎、長友、長谷部といった中心選手がどれだけいたかという点を考えて欲しいのだ。もっと簡単に言えば「全国大会で優勝する為の水準(レベル)に纏めてしまっていて、将来Jリーグから全日本に行って大成する為の鍛え方をされたのかという疑問だ。

この点を別な視点から見れば、高校生たちを「何を目標とさせて練習をさせておられたのか」ということだ。私の記憶が間違っていればご免なさいだが、小沼監督はサッカー経験者ではなく、言わば経験と独学で帝京高校サッカー部を指導しておられたようだが、その目標が全国制覇にあったようだ。それは非常に立派なことだと評価されるべきだと思うが、小沼氏は全日本に将来選ばれるような有望な素材を養成することはお考えでなかったのだと思っている。

この点ではフットボール界にも似たような指導者がおられた。それは関東の強豪校で多くの大学に素晴らしい素材を送り込まれた日大三高の漆間健夫先生だ。イヤ漆間健夫監督だ。漆間監督もフットボール経験者ではないが、独特の指導法で優秀な素材を集めて指導されて、日本大学フェニックス以外にも所謂「アスリート」を数多く送り込んでおられた。

は持論として「朝日新聞が主催する甲子園野球等の高校の全国大会は出来る限り早期に廃止して、精々地方単位の大会にでも縮小すべきだ」と考えている。それは、どうしても全国での優勝を目指す場合に枝葉末節のと言えば語弊があるかも知れないが、そういうその為のレベルに纏める指導をする必要が生じるのだ。

解りやすく言えば、高校生の投手がプロ並みの多種多様な球種を操るようになってしまうし、打者もまるで小型イチローかさもなければ西武の秋山のような好打者ばかりが育ってしまうことになりかねないのだ。換言すれば「小成に甘んじよ」となる危険性があるのだ。大谷翔平は不幸にして甲子園に出なかっただけ大成できそうな素材としてプロに入ってきた。

サッカーに話を戻そう。現在の全日本代表の水準は世界的に見れば誠に心許ないところに止まっている。これを改善して水準を引き上げていく為には(カタカナ語では「レベルアップ」と言うが)高校大会で勝つ為の小技というかスキルを仕込まれた選手は不要なのだ。それは先日偶々見る機会があったJリーグの下部組織(ユースというのか)の試合では小技のサッカーではなかったので一寸安心できた。

後難を恐れて言えば、私が仄聞するところでは「今や高校でサッカーをやっている者たちはJリーグの下部組織に入らなかったかまたは選抜されなかったか子供たちが残っているので、そもそも有望な者は少数である」のだそうだ。更に怖いことを言えば、そういう時期にありながら、過去に全国大会に勝つ為の優れた指導者を監督やアドヴァイザーに頂くのは如何なものかという考え方である。

決勝戦に残った流経大柏も前橋育英も優秀なサッカーをやっていると見たが、(特に前橋育英は私の好むサッカーだったが)か寡聞にしてこの両校から全日本代表の中心になるような選手が数多く出ているとは未だ聞いていない。

参考資料:Wikipedia