新宿の街は寒かったし、百人町は異邦人に占拠されていた:
10時過ぎだっただろうか、2台ある電子辞書がともに電池が切れかかっていると知らせてきた。これには弱った。電子辞書が使いないとなると、丁度更新中だったブログがお手上げになるからだ。電池は単4なので何処ででも買えるが、他にも延び延びになっていた用事があるので、未だに気象病(=自律神経失調症)を抱えた身ながら敢えて新宿駅西口に出掛ける決断をした。外は確かに天気予報通りに寒かったが、ポロのシャツの上にコットンセーター、更にその上に厚手のジャンパーで何とか防げたと思っていた。
電池はわざわざビックカメラに買いに行ったのだがその理由は簡単で、少しだけ溜めてあったポイントで何とか賄えると思ったからだ。久し振りに出掛けた西口の辺りは何時も通りの人出だったし、通り抜けただけの京王デパートの中では相変わらず方々から中国語が聞こえてきていた。12時過ぎには買い物も用事も昼食も終えてバスで大久保通りに向かったが、昨日とは打って変わった気温の変動には何とか耐え切れていたと思っている。
そこで、大久保通りに戻れば西口駅付近とは全く状態が変わっていて、我々夫婦は明らかに少数民族で、行き交う人々は皆何処の国の言葉かも解らない言語で喚いているのだ。その中でたった一人スマートフォンで韓国語の会話をしている背広姿の者が通り過ぎていったのは、寧ろ珍しいというか、懐かしささえ感じさせてくれたのも印象的だった。大久保通りではつい先日まで外国人がリサイクルショップを営んでいたところが、何時の間にかハラルフードの食料品店に変わっていたのは「またイスラム教徒の需要が増えたのか」と痛感させられた。
2~3日前だったか、我が家に最も近いところで営業しているバングラデシュ人がやっているハラルフード兼八百屋では、その彼が店を閉めずに礼拝している場面に遭遇した。その敷物が指している方角は西の方だったので、今まで意識したことなど無かったが、彼らの聖地は西の方にあるのだと知ったのだった。このバングラデシュ人は時が経つにつれて日本語が上手くなっていくのが印象的だが、英語の理解力はかなり高いようだ。
大久保通りには気が付けばネパール料理の店も増えてきたし、イスラム教徒向けの店も着実に増えている。だが、不思議な現象があって、あれほどの数の中国人の若者が動き回っている割りには中国人専用の店も出来ないし、中国料理店もほとんど見かけない。彼らは何処で何をして生活費を稼ぎ出し、食事をしているのだろうか。今日も欲しいものがあったので、何時も採り上げる業務スーパーには入ったが、そのレジに並んだ列の余りの長さに辟易となって買い物を諦めた。酷いことになってしまったと、家内と嘆き合って帰宅した。
10時過ぎだっただろうか、2台ある電子辞書がともに電池が切れかかっていると知らせてきた。これには弱った。電子辞書が使いないとなると、丁度更新中だったブログがお手上げになるからだ。電池は単4なので何処ででも買えるが、他にも延び延びになっていた用事があるので、未だに気象病(=自律神経失調症)を抱えた身ながら敢えて新宿駅西口に出掛ける決断をした。外は確かに天気予報通りに寒かったが、ポロのシャツの上にコットンセーター、更にその上に厚手のジャンパーで何とか防げたと思っていた。
電池はわざわざビックカメラに買いに行ったのだがその理由は簡単で、少しだけ溜めてあったポイントで何とか賄えると思ったからだ。久し振りに出掛けた西口の辺りは何時も通りの人出だったし、通り抜けただけの京王デパートの中では相変わらず方々から中国語が聞こえてきていた。12時過ぎには買い物も用事も昼食も終えてバスで大久保通りに向かったが、昨日とは打って変わった気温の変動には何とか耐え切れていたと思っている。
そこで、大久保通りに戻れば西口駅付近とは全く状態が変わっていて、我々夫婦は明らかに少数民族で、行き交う人々は皆何処の国の言葉かも解らない言語で喚いているのだ。その中でたった一人スマートフォンで韓国語の会話をしている背広姿の者が通り過ぎていったのは、寧ろ珍しいというか、懐かしささえ感じさせてくれたのも印象的だった。大久保通りではつい先日まで外国人がリサイクルショップを営んでいたところが、何時の間にかハラルフードの食料品店に変わっていたのは「またイスラム教徒の需要が増えたのか」と痛感させられた。
2~3日前だったか、我が家に最も近いところで営業しているバングラデシュ人がやっているハラルフード兼八百屋では、その彼が店を閉めずに礼拝している場面に遭遇した。その敷物が指している方角は西の方だったので、今まで意識したことなど無かったが、彼らの聖地は西の方にあるのだと知ったのだった。このバングラデシュ人は時が経つにつれて日本語が上手くなっていくのが印象的だが、英語の理解力はかなり高いようだ。
大久保通りには気が付けばネパール料理の店も増えてきたし、イスラム教徒向けの店も着実に増えている。だが、不思議な現象があって、あれほどの数の中国人の若者が動き回っている割りには中国人専用の店も出来ないし、中国料理店もほとんど見かけない。彼らは何処で何をして生活費を稼ぎ出し、食事をしているのだろうか。今日も欲しいものがあったので、何時も採り上げる業務スーパーには入ったが、そのレジに並んだ列の余りの長さに辟易となって買い物を諦めた。酷いことになってしまったと、家内と嘆き合って帰宅した。