新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月3日 その2 清宮幸太郎

2018-05-03 09:41:14 | コラム
未だ評価するのは早いか:

昨2日は偶然に日本ハムの試合にチャンネルを合わせてしまった。私はまさか栗山監督が一軍に上げたばかりの清宮幸太郎を使うとは予期していなかったので、5番でDH出だしてきたのには驚かされた。しかも、相手になる投手は楽天に移ってきてから余り冴えていない岸ではあっても、我が国では一流の部類に入るのだから、打てるかなと思っていた。しかも、岸は珍しく好調だった。

第一打席では岸と捕手の嶋は何を思ったのか、3球目にアウトサイド(アウトコースという野球用語は英語ではない)の高めに言わば「訊いてみる」とでも言いたいような「手を出すかな」というか探りを入れるかのような投球をしてしまった。そこを清宮君は迷わず手を出して「あわやホームランか」と、一瞬私が思ったほどの良い当たりをされてしまった。嶋は試合後に「舐めてかかったら」などと言ったそうだだが、明らかに作戦の誤り。

それに懲りたか、次の2打席は何れも落ちる球(=チェンジアップ)で三振に仕留めたが、私は明らかに岸も嶋も軽率だったと思っている。と言うのは、私は清宮は確かに優れた素質の持ち主ではあるが、未だ高校の頃から変化球には対応が不十分だったし、左投手のスライダー、特にボールになる投球には明らかに弱点があるので、プロの世界で打ちまくれるまでには多少時間がかかるだろうと見ていたからだ。

最後にサッカー出身者としては残念なことがある。それは清宮もそうだが、大谷翔平もサッカー界にはむざむざと野球に取られてしまったことだ。遺憾ながらサッカー界にはあの両名のような大型の素材が未だに見当たらないのだ。いや、釜本以来出現しないと言っても良いかも知れない。清宮克幸氏は「ラグビーは金にならない」と言って幸太郎に野球をやらせたそうだが、サッカーは金にならないのだろうか。

それも兎も角、未だに欧州に行って本当の一本目になれた者がいないのは、矢張り野球(とラグビー?)に素材を持って行かれているのではと疑わせてくれた清宮の登場だった。私はサッカーの日本代表の発展のもどかしさは何も選んできた監督のせいではなく、人材の発掘に問題があるのではないかとすら思う今日この頃だ。「サッカーは金にならないのでしょうか」とあらためて清宮克幸氏に尋ねてみたい気もするのだが。


山口達也なる者

2018-05-03 09:05:38 | コラム
TOKIOの事件がそれほど重大事なのか:

山口メンバーとやらが不起訴に終わった途端にテレビ局は一斉に「山口達也」と呼び捨てに変更した。現金なものであると笑いたい。だが、何処の局もそうだが、産経新聞までが一面に大きな写真入りで残党の謝罪会見を載せていたのは「お前までもか」とウンザリだった。私はこのような取るに足らぬ案件が休日中で開催されていないとはいえ、国会の審議空転や来たるべきトランプ大統領と金正恩委員長の会談等に優先する話題ではあり得ないと思っている。言うなれば三面記事だろう。

だが、嘗て大宅壮一がテレビを「一億総HAKUCHI化」と評したのと同様に、低俗極まりないジャニーズのガキどもとその成れの果てがあれほど日本中のミーハーに人気を得ていることが、我が国の民度を引き下げることに大いなる負の貢献をしているとずっと憂いてきた。山口達也なる46歳にも達したいい大人が犯したことは確かに怪しからんとは思うが、野党の連中の常套句を借りれば「あんな奴を育てて使って我が国の若者に害毒を流してきたジャニー喜多川とやらに起用責任があるだろう」と言いたいのだ。

喜多川なる者に如何なる性癖があるのかなどは知らぬが、全国から年端もゆかぬ男のみを集めては、妙な衣装を着せて「口パク」だと疑う他ない奇妙な歌と踊りを混合させてはミーハーとなる青少年のファンを創り上げてきたのは、私は極言すれば犯罪的であるとすら思っている。その彼の積年の努力が実を結んだのか(?)瓦解寸前と見えるTOKIOを惜しむファンが多いのは、将に我が国民の低民度化への絶大なる貢献であろう。私はTOKIOなる集団が音楽をやっていることすら知らなかった。

山口達也なる者は辞表を出したが、それをリーダーなる城島茂が預かったと報じられていた。だが、そんなことよりもジャニー喜多川こそが責任を痛感して退任し、妻だか娘にでも後事を託すのが先決だろう。何れにせよ、彼ら一族は我が国の罪なき国民の低民度化進行の責任を自覚すべきだ。特にジャニーズの者を重用する日テレにも反省を求めたいし、あんな連中を使ってCMを作る宣伝広告会社も困ったものだと思うのだ。