新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月20日 その2 日本大学フェニックスの問題について思うこと

2018-05-20 16:28:29 | コラム
私にはこの辺りまでは言えるが:

戦後間もなくからの長い間のフットボールの愛好者であり、40年以上も日大フェニックスの支持者であるものとして、ここに申し上げることが限度だろうかと思っています。彼らが何とかこの危機を切り抜けて貰いたいと思うのですが、現状では不備な事柄が多過ぎて、如何ともしがたいと言わざるを得ないのです。

体育会という厳格な年功序列がありながら、実力主義もまかり通っている世界にいれば、そこの文化(言語・風俗・習慣)に従順に従っていなければならないのです。その運動部の歴史と仕来りによって違いはありますが、監督とコーチは絶対的な権威ある存在であるのは普通でしょう。部員(学生)にとっては彼らの指示と命令には(従順にと言うか盲従的近く)に従わないと、その部は成り立たないでしょう。その世界は中に入ってみないことには、その仕来りの権威は解らないかも知れません。

相撲界ほど世間の常識からかけ離れてはいないでしょうが、そこの文化と仕来りを外部から云々されても如何ともしがたい面があると思います。とまでは言いますが、あの#91を付けた選手が犯した反則と日本大学としての手の打ち方の遅さは擁護しようもないと思うのです。何故、あのような反則をしたかについてはある程度の情報は聞き及びましたが、私はここに伝聞を書き記す立場にはありません。フェニックスの歴史とその在り方をある程度は承知しているので、唯々「何と言うことか」と遺憾に思うだけです。

大体からして大学の運動部を「教育の一環だ」と言う人が大学の内外に多いのは良く理解できません。その運動部が強ければ強いほど独特の歴史と文化がありますから、部員ともなればそれらにどれほど順応していけるかというだけでしょう。ある強豪校ではコーチたちが「我々の仕事とは部員たちに『授業にはキチンと出ろ。出もせずに学業成績が下がるようではレギュラーから外す』と四六時中督励するのが仕事だ」と言っているほどです。この点はアメリカの強豪乃至は有名校でも全く同じだそうです。

アメリカの話ですが、西海岸のハーバードとも言われているカリフォルニア州のスタンフォード大学では一切所謂「運動部推薦」はなく、運動選手たちは普通の一般受験で入学してくるのだそうです。この大学のフットボール部は中々の強豪で、NFL(プロフットボール・リーグ)に数多くの選手を送り込んでいます。因みに、ゴルフのタイガー・ウッズもスタンフォード大学出身です。即ち、学業優先は当然のことです

以上は、直接に今回の日本大学フェニックスの一件とどれほど関連するかは解りませんが、ご参考までに述べてみました。後難を少し恐れて言えば「強豪校における運動部の実態を深く極めておられない部外の方には、今回の事件が何故起きたかと、その真相は簡単には解り難いだろうかと危惧する」と思うのです。とは言いますが、あらためて申し上げれば「私には内田監督が辞意を表明されただけの時点では、日本大学を擁護しようがない」と言うしかありません。


日本大学フェニックス

2018-05-20 10:47:26 | コラム
気懸かりな話題である:

事は遂にというか、漸くというか知らないが、この全テレビ局と新聞を挙げての日本大学フェニックス批判と非難の問題は、内田正人監督の辞意表明にまで立ち至った。これに対しては既に何名かの評論家は「遅きに失した」と評しておられた。日本大学の部外者でありながら長年のフェニックスの支持者としては実に心が痛む話題である。先日は「危機管理学部があるではないか」と指摘したが、如何にも打つ手打つ手が遅く、また関西学院大学側を納得させていないのも問題を必要以上に悪化させた気がする。

だが、部外者の私にも気になることがある。それは事がここまで大きくなってしまうと、インターネットと言うべきかSNSの時代と言うべきか知らないが、出来事の真実が何であったかとか、体育会とは如何なる存在であるかとか、(アメリカン)フットボールとは如何なるルール、があって試合が展開されているのか、監督(英語では head coach と言われるが)や攻と守のコーチたちが果たす役割がどうなっているか等々の細部をご存じでない方たちが論評されるようになってしまったので、誰が何を論評しているのかに混乱さえ見えるような気がしている点だ。

そうは言いたいのだが、何れにせよあの関学のQBに対するタックルは許されるべきことではなく、如何に私でも擁護などとてもできる性質ではない。内田監督は「何故あのようなことになったか」と「壊してこいとの指示を本当にしたのか」等々の回答については書面で為されると記者会見でも語られた。だが、事が起きた6日から本日で2週間では如何にも遅すぎるという批判は免れないだろう。だが、密かに語られていると聞く「あそこまでに至った事情」は、誰も黙して語らないようだ。

内田監督のあの空港での記者会見について何処の局だったか、危機管理の専門家の意見として「あの日大カラーのネクタイの色は良くない」と「監督が3度も『カンサイ学院』(正しくはローマ字でもKWANSEI と表記される「カンセイ学院」である)と言われた」と報道していた。私もこの関学の正式名称の誤りは気になったが、事ここに至っていれば不注意の誹りも免れまいと思った。

なお、内田監督の為に一寸擁護しておくと「ビジネスマンの服装学では『赤は先方を刺激する色であり、難しい交渉事の席につく場合は避けるべきである』とされているし、これは常識である」のだ。私はあのネクタイの色は「赤」ではないが、多少刺激的になりはしないかとは一目見て感じた。だが、日本大学の色であり、それ故に見逃しても良いかと判断した。私は在職中にクレームの補償問題の交渉の場合などにはスーツまで茶系統にして何とか穏便に済まそうとしていたものだった。

私は一刻も早く日本大学がこの問題を関西学院大学ファイターズのみならず、マスコミが創り出した世論をも満足させるような解決策を打ち出して欲しいと希望している。そうでもないと、一部のマスコミ論調では「廃部」などという極端な説もあるのだから。私は既に、処置としては最低でも「今年の秋からのリーグ戦の出場禁止で2部リーグに落とす」を予測している。

私は戦後間もなくからの70年以上のフットボールのファンとしては、矢張りフェニックスは監督とコーチの顔触れを一新してでも、喩え2部落ちであろうと何だろうと存続して、捲土重来を期して貰いたいものだと望んでいる。