あらためて知る西洋との文化の違い:
何時放映されるのか正確に知らないNHKのBSの番組に「駅ピアノ」というのがある。大袈裟に言えば西欧諸国と我が国との文化と歴史の違いをあらためて認識させてくれるので、偶々チャンネルが合えば興味深く聞いている。如何なる番組がご存じない方もおられるかと思って簡単に説明すれば「欧米の主要な鉄道の駅や空港の広場のような場所に置いてある縦型のピアノを誰でも好きなように弾いて良い」というものである。この種のピアノは私が嘗て定宿にしていたシアトルのFour Seasons Hotelの正面にある商業兼オフィスビルの1階の広いホールにも置かれていた。
そのピアノには本当に様々な人たちが来て思い思いに弾いていくのだ。私が彼我の文化圏の違いを痛感させられる点は、音楽家でも何でもない「一般人」(“ordinary person”とでも言えば良いか)が華麗にジャズを演奏したり、ある時は本当に通りがかりの人がクラシカル音楽の定番のような名曲を、または即興でその日の気分を美しいメロディーにして弾いて聞かせたり、アメリカ人ではない人がアメリカの「峠の我が家」(“Home on the range“だったか)を弾き語りするかと思えば、時には東南アジア系の人も含めて思い出深い祖国の民謡を弾いて見せたりするのだ。
これを聞いてあらためて痛感させられることは「この種の西洋音楽は彼ら欧米人の日常の生活の中に深く広く根付いていて、音楽そのものが彼らの独自の文化・文明を形成している」ということと同時に「我々のものではなかった」点である。こう言えば語弊があるかも知れないが、我が国には彼らの世界的な水準を超えたかのような優れた音楽の奏者が沢山おられるし、世界的なオーケストラの指揮者もおられるが、私にはそれは我が国の才能ある方たちが懸命に努力されて他国の文化を自己薬籠中のものにされたのだと考えている。
その辺りは産業界では嘗て我が国がアメリカを追い越してアメリカのNBCが「日本に出来て何故アメリカに出来ないのか」」という高視聴率の番組を作ったし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛されるに至った流れにも似ているかなと考えるのだ。
私は大学在中に選択で確か「西洋文化史」という単位を取った記憶があるが、在学中もその後も全く何を勉強したかを覚えていないのだ。そして、大学卒業後17年も経ってからアメリカ人の中で仕事をするようになってから、あの科目をもっと真剣に学んでおくべきだったと後悔する局面に何度か出会ったのだった。アメリカにいてアッパーミドル乃至はそれに準ずるような人たちの家に呼ばれて家族と夕食取りながら団欒の一時を過ごすような場面になると、屡々クラシカル音楽家、(こちらから言えば)泰西名画や画家が話題に上るのだが、残念ながら素養がない私では会話の中に入っていけなくなり、惨めな思いをすることがあった。
80年代だったか、偶々何時もは意識して避けている感謝祭の時に、ご案内していたお客様の都合でサンフランシスコに滞在していたことがあった。そこで、サンフランシスコの営業所長の家に光栄にも感謝祭の一族のほぼ全員が集うパーティーに招待されたのだった。何も知らない私はnaïveにも喜んで参加したのだった。ローストターキーは聞き及んでいたように矢張りパサパサしてそれほど美味ではないとは解ったが、その夕食後が大変だった。全員が輪になって手を繋いで賛美歌を合唱する辺りまでは何とかついて行けた。そこから先が貴重な体験だった。
それは所長夫妻、双子の長男と次男、お嬢さんの全員がピアノ、トロンボーン、サキソフォーン、オルガン、ヴァイオリンを演奏してクラシカル音楽、ジャズ、アメリカ民謡等を演奏するくのだった。素晴らしい音楽会となった。それが終わると一同座り直して上記のような西洋美術や音楽が話題に上ってくるので、私にとっては余り居心地が良くなくなってきた。しかし、所長さんはサンフランシスコのキャンドルステイックパークに年間指定席を持っているような野球とフットボールファンなので、話題がそこに移った時には辛うじて参加出来たのだった。
だが、私は西洋の文化の話題に参加出来なかったことを恥じる必要はないと思っている。それは「そういうものは彼らのものであり、異文化の国から来た私が話の輪に入って行けない、何も語れないことが一大恥辱ではない」と思うようにしている。だが、洋の東西の違いを思い切り知らされたのは間違いないことだったし、貴重な経験をさせて貰えたと感謝していた。私はこれ以降「日本とアメリカの文化と思考体系の違い」と「我が国の企業社会における文化の違い」をハッキリと認識するようになって行った。
そういう懐かしい思い出までを掘り起こしてくれたのが、NHKの番組「駅ピアノ」だったのだ。
何時放映されるのか正確に知らないNHKのBSの番組に「駅ピアノ」というのがある。大袈裟に言えば西欧諸国と我が国との文化と歴史の違いをあらためて認識させてくれるので、偶々チャンネルが合えば興味深く聞いている。如何なる番組がご存じない方もおられるかと思って簡単に説明すれば「欧米の主要な鉄道の駅や空港の広場のような場所に置いてある縦型のピアノを誰でも好きなように弾いて良い」というものである。この種のピアノは私が嘗て定宿にしていたシアトルのFour Seasons Hotelの正面にある商業兼オフィスビルの1階の広いホールにも置かれていた。
そのピアノには本当に様々な人たちが来て思い思いに弾いていくのだ。私が彼我の文化圏の違いを痛感させられる点は、音楽家でも何でもない「一般人」(“ordinary person”とでも言えば良いか)が華麗にジャズを演奏したり、ある時は本当に通りがかりの人がクラシカル音楽の定番のような名曲を、または即興でその日の気分を美しいメロディーにして弾いて聞かせたり、アメリカ人ではない人がアメリカの「峠の我が家」(“Home on the range“だったか)を弾き語りするかと思えば、時には東南アジア系の人も含めて思い出深い祖国の民謡を弾いて見せたりするのだ。
これを聞いてあらためて痛感させられることは「この種の西洋音楽は彼ら欧米人の日常の生活の中に深く広く根付いていて、音楽そのものが彼らの独自の文化・文明を形成している」ということと同時に「我々のものではなかった」点である。こう言えば語弊があるかも知れないが、我が国には彼らの世界的な水準を超えたかのような優れた音楽の奏者が沢山おられるし、世界的なオーケストラの指揮者もおられるが、私にはそれは我が国の才能ある方たちが懸命に努力されて他国の文化を自己薬籠中のものにされたのだと考えている。
その辺りは産業界では嘗て我が国がアメリカを追い越してアメリカのNBCが「日本に出来て何故アメリカに出来ないのか」」という高視聴率の番組を作ったし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛されるに至った流れにも似ているかなと考えるのだ。
私は大学在中に選択で確か「西洋文化史」という単位を取った記憶があるが、在学中もその後も全く何を勉強したかを覚えていないのだ。そして、大学卒業後17年も経ってからアメリカ人の中で仕事をするようになってから、あの科目をもっと真剣に学んでおくべきだったと後悔する局面に何度か出会ったのだった。アメリカにいてアッパーミドル乃至はそれに準ずるような人たちの家に呼ばれて家族と夕食取りながら団欒の一時を過ごすような場面になると、屡々クラシカル音楽家、(こちらから言えば)泰西名画や画家が話題に上るのだが、残念ながら素養がない私では会話の中に入っていけなくなり、惨めな思いをすることがあった。
80年代だったか、偶々何時もは意識して避けている感謝祭の時に、ご案内していたお客様の都合でサンフランシスコに滞在していたことがあった。そこで、サンフランシスコの営業所長の家に光栄にも感謝祭の一族のほぼ全員が集うパーティーに招待されたのだった。何も知らない私はnaïveにも喜んで参加したのだった。ローストターキーは聞き及んでいたように矢張りパサパサしてそれほど美味ではないとは解ったが、その夕食後が大変だった。全員が輪になって手を繋いで賛美歌を合唱する辺りまでは何とかついて行けた。そこから先が貴重な体験だった。
それは所長夫妻、双子の長男と次男、お嬢さんの全員がピアノ、トロンボーン、サキソフォーン、オルガン、ヴァイオリンを演奏してクラシカル音楽、ジャズ、アメリカ民謡等を演奏するくのだった。素晴らしい音楽会となった。それが終わると一同座り直して上記のような西洋美術や音楽が話題に上ってくるので、私にとっては余り居心地が良くなくなってきた。しかし、所長さんはサンフランシスコのキャンドルステイックパークに年間指定席を持っているような野球とフットボールファンなので、話題がそこに移った時には辛うじて参加出来たのだった。
だが、私は西洋の文化の話題に参加出来なかったことを恥じる必要はないと思っている。それは「そういうものは彼らのものであり、異文化の国から来た私が話の輪に入って行けない、何も語れないことが一大恥辱ではない」と思うようにしている。だが、洋の東西の違いを思い切り知らされたのは間違いないことだったし、貴重な経験をさせて貰えたと感謝していた。私はこれ以降「日本とアメリカの文化と思考体系の違い」と「我が国の企業社会における文化の違い」をハッキリと認識するようになって行った。
そういう懐かしい思い出までを掘り起こしてくれたのが、NHKの番組「駅ピアノ」だったのだ。