新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月18日 その2 また今日も対韓国問題を

2019-07-18 14:56:27 | コラム
「あれは愚行だ」と決めつけた毎日新聞外報部長:

17日のTBSの「報道1930」は「文在寅“強硬”の裏側」という見出しだけに惹かれた訳ではないが、「ひるおび」では「手続きの変更」という表現を恵俊彰以下が使っていたのを聞いて「さしものTBSも前非を悔いて心を入れ替えたか」と思ったので、風邪で休んでいた松原耕二が何と言うかと半ば期待して見てしまった。「あれは愚行だ」の「あれ」は手続きの変更を指していて、愚行だと決めつけたのは毎日新聞外報部長の沢田克史氏だった。その言わんとするところは後刻触れるが、ここでは局内不一致で「規制強化」と呼んでいた。矢張り何処まで行ってもTBSはTBSだと痛感した。

他のゲストスピーカーは産経の黒田勝弘氏が当日ソウルから飛んできて参加したほかには、日大(危機管理学部だと思うが)の金恵京(キムヘギョン)准教授だった。別に他意はないが、黒田氏は永年ソウルに駐在しているだけあって現地の情報量は豊富だが、同じ会社の古森義久氏ほどの鋭い切れ味はないので、大きな期待はしていなかった。また、金准教授も多少自国の弁護的な発言が多いが、どちらかと言えば毒もなければ薬にもならない無難な発言が多いと評価している。

なお、、黒田氏はソウルからアシアナ航空で来られたそうだが満席だったそうで、日本に行く旅行者が減っているとは感じなかったと語っていたのも面白かった。

沢田外信部長の驚きの「愚行説」を松原が突っ込んだ結果では「世耕大臣のTwitterの3項目目の『徴用工問題への対応等によって信頼関係が損なわれたから手続きを変更』というのは言わずもがなであって愚かな発言だった」という意味の説明をしてだけであって、(期待した?)この時期にあっての手続きの変更を非難したとまでは話が進まなかった。これならば、細川昌彦氏が再三指摘されたことと同じだが、細川氏は「不味かった」とは指摘されたが「愚かだ」とまでは言及されていなかった。結局は私にはこの延世大学に留学されたという外信部長の真意は不明だった。

もう一件、興味を引かれたことは司会者ということになっている堤信輔氏の「安倍総理と文在寅大統領が相対で腹蔵なく双方の心中をぶつけ合う会談をすることを提案したい。その場所には竹島を推薦し、三泊四日ででも徹底的に意見交換をするのは如何か」という提起だった。方法論と場所は別にして、この直接対話は私が韓国との間がこじれ出した時から総理自らが踏み込まれて文大統領にその過ちというか誤りを真っ向から指摘される必要があると唱えてきたのと基本的に同じであると思う。

だが、私は文大統領が過ちを悟っても彼の立場からしたら「なるほど、我が方が間違っておりました。欠陥は是正しますから改めて首脳会談を開催いたしましょう」と前非を悔いて一歩も二歩も退いてくる訳はないと思っている。即ち、彼が支持者である所謂進歩派の面前で我が国に詫びを入れることは、大統領を辞めますと言うに等しい屈辱であるとしか思えないからだ。第一、進歩派が許容することなどあり得ないだろうと察しはつく。問題は「ではどのようにして文在寅大統領を落とすか」であろう。

「報道1930」で他にも気になったことも採り上げてみよう。それは我が国のテレビ局が再三再四採り上げてみせる韓国の小売業者(と見える職業的反日運動家たち)が演じてみせる「日本製品の不買運動」である。あれは「不売」とすべきではないのか。彼らテレビ局はあの運動が我が国に打撃になると言いたくて堪らないらしい。その点を沢田外信部長は今回は2,000店程度の参加では前回の数万店と比べれば小規模であり、何れ消滅するだろうと指摘したのも興味深かった。

私は異なる見方をしている。それはあの小売業者たちは(本当の業者ならば)「販売して利益を出そうとした商品を棚から引き上げてしまえば、その分は行く先のない所謂デッドストックになってしまって、逸失利益も出るし在庫の金利負担や場合によっては倉庫代まで負担する状況に追い込まれてしまうことは想像に難くないのだ。しかも、現地生産ではない日本製品であれば輸入した事による色々な負担だって生じてしまう。テレビ局はそれくらいの簡単なことも解らないようで、ひたすら我が国を脅したいようだ。困った連中だと思う。

私は韓国と間に軋轢が生じた時から「韓国では製造出来ない原材料の輸出を制限すれば良い」と唱えたが、それが韓国に打撃となるのは明らかでも、輸出を手がけてきたメーカーや業者が返り血を浴びるのは避けられないとも指摘した。現在でもその危険はあると思っている。また、10年以上も前にYM氏が「韓国の大手電機メーカー(何処のことかはお察し願いたい)が我が国の大手メーカーの現職の技術者や定年退職者を高給で勧誘し、技術を学び終えたら遠慮会釈なく解雇しているし、中には土・日だけ韓国に出張して指導している技術者までいる」と聞いていると採り上げたこともあった。

そこまでしてもあの3品目は現地生産出来ていないし、製造しないように縛る法制度まで出来ていると、報道1930でも採り上げていたが、この点も細川氏は別の機会で述べておられた。何もTBSだけではあるまいが、こうした韓国のやり方(手口)を我が国の報道機関が把握していなかったとは思えないのだ。それを今頃になって事がここまで及んだ時に「こんな事もありました」とシレッとして伝える姿勢は疑問である。事実、私がYM氏の情報を採り上げた時にも、何処からも反響はなかった。言いたくはないが「韓国はそこまですばしこく狡賢いのだ」と知るべきだ。

私が危惧することは「我が国は非常に生真面目であり、良心的であり、如何なる場合でも天地神明に恥じないフェアープレーで事に臨んでいる立派な国なのである。だが、世界にはその生真面目さに付け込もうと虎視眈々としている連中が誠に多いのだと認識していても良いだろう。蛇足と思って付け加えれば「論争と対立を恐れずに、感情的になることなく、正々堂々と諸外国と渡り合おうべし」とあらためて提案したいのだ。


外国との交渉の心得

2019-07-18 08:18:35 | コラム
彼らの文化には「こちらの心の中を察する」という習慣はない:

これまでに何度か主張してきたことだが、中国や韓国も含めて外国及び外国人と交渉する場合に心すべき事を、永年アメリカ側の一員として対日交渉を経験してきたことに基づいて、改めて述べてみようと思うに至った。それは「対韓国というか対文在寅大統領との交渉が、如何にも我が国の奥床しい思考体系に基づき過ぎていて歯痒い」と感じていることもあるから。この点にここで触れておけば、私はこの韓国との間がこじれ出した頃に「官房長官の談話だけで反応するのでは手ぬるい。総理が直接青瓦台に乗り込んででも彼らの誤りを指摘すべきだ」と主張してきたのである。

細かいことや些末だと思っても報告せよ:
私が1975年3月にW社に転進した際に、副社長補佐だった日系人のJ氏に報告書の書き方で諭されたことは「これは言わなくても上司は察してくれるだろうなどと考えないこと。手間がかかることを恐れずに報告すべき内容を詳細に簡単な言葉を使って書くこと。それは、アメリカ人は行間を読んで察してくれるとか、紙の裏面まで見るようなことは絶対にしないから。報告すべきだと思ったことはどんなに些末な事だと思っても書き込みなさい。些末かどうかは上司が判断すること」だった。現代風に言えば「忖度」はしてくれないということになるか。

記憶力で語るな:
「証拠を見せろ」と言うこと。実は私は(良く言われることだが)記憶力が良い方なのである。日本の会社の頃でも上司への報告や報告書も全て記憶に基づいて行ってきた。それは如何なる場合でもメモを取るとか会談の場にノート等を持ち込むことなく、何時の間にか気が付けば全て記憶力に頼って勝負していたのだった。それで通用していた。であったから、アメリカの会社に転進しても上司への口頭の報告等々を全て記憶に基づいて続けてきた。

だが、これはアメリカ人の世界では通用しなかった。初期の上司だった本部のマネージャーは私の記憶力依存に不信感を持ったようだった。そして、ある時「今後は記憶だけから語ることをしないで貰いたい。仮令白紙だけでも良いからファイルホールダーを開いて見せて、それを読む振りでも良いからその報告をする証拠を見せながら語ってくれ。我々は根拠がないと思えることは信じないのだ」と厳しい顔で要求された。即ち、「勧進帳」でも良いという意味だった。その点は上記のJ氏にも訊いて確認した。文化の違いを痛感させられた。

この件があった後に本部に出張すると、上司が私にW社のカラーである緑色で私のイニシャルを入れたブリーフケースを厳かに手渡して「今後はこの中に常に必要な事項を記載した報告書等のファイルを入れて持ち歩き、それを読みながら報告すること」と笑いながら言われた。このことを以てしても、アメリカ人が如何に根拠となる資料を重要視していて、記憶力に依存することを嫌って(不安視して)いるかが解ると思う。換言すれば「何かを主張したいのならば、確たる論拠を示せ」という彼らの思考体系がイヤと言うほど表れているのだと思う。

だからこそ、現在ではパワーポイント(Power point)に取って代わられたようだが、彼らはプレゼンテーションでは語りの根拠であるスライドというかフィルムをオーバーヘッドプロジェクター(OHPというのは日本語だと思うが)を使って聴衆に何を言いたいかを見せつつ、それに基づいて語るのだと思っている。と言うことは「外国との交渉や話し合いにおいては確たる根拠となる資料を展示しなければならないという言うことだ。彼らはオーバーヘッドプロジェクターで見せた資料を打ち出してハードコピーを手渡すことまでやっているし、語りの部分の原稿のコピーも「ハンドアウト」として用意している。

「言わなくても察してくれるだろう」は通用しない:
これを最後に出すべきではないと思うほど重要だ。「仮令言わなくても、相手側はこちらの心中を察して全て理解してくれるだろう」というのは我が国の人たちの間だけで通用する我が国独自の文化である。一般的に外国人たちはそこまで頭脳が明晰ではなく、そういう風には考えてはくれないと思うべきなのだ。これは決して彼が石頭だということではなく。既に指摘したように彼らは証拠か根拠か論拠に乏しいことは理解しようとしないのである。

例えば、「戦時中の韓半島からの労働者訴訟の件で韓国の大法院が下した判決が我が国には通用しないと彼ら認識しているだろうから、何時かは韓国側と言うか文在寅大統領が譲歩するのでは」などと思い込んではならないということだ。彼らは我が国が仲裁委員会を開催しようとか言う真っ当なこといくら言って聞かせても「はい、そうですか」と応じるとは思えないのだ。何度か言ったように、強烈に最高責任者である総理が文在寅大統領に真っ向から指摘しても理解を示さないかも知れないのだ。強硬に言わねば「日本側は我が方の言い分を認めた」と勝手に解釈する連中だと思うべきだ。

私は「忖度はしてくれないだろうという点では安倍総理とトランプ大統領の親密な間柄でも同じではないか」と危惧している。言い方を変えれば「親しい間柄の相手が嫌がるだろうと事か聞きたくないと思う事柄でも明確に言っておかないことには通じないことなのである。私は日本側との厳しい交渉の中で「これは言わなくても日本を良く理解している副社長は我々の心中を察してくれるだろうと思って交渉しておられるようだ」という例に何度も出会ってきた。我が副社長には通じたこともあったが、一般論としてはと言うか結論としては飽くまで「忖度」は避けるべきである。