新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月20日 その3 私は一寸不安になった

2019-07-20 14:27:05 | コラム
トランプ大統領が仲介するご意向を示されたとか:

報道によれば「トランプ大統領は文在寅大統領の切なるお願いを受けて、我が国と韓国の間の揉め事(カタカナ語にすれば「トラブル」とでもなるか)の仲介をなさっても良いとの意向を示されたようである。Twitterのようだが、「両国の首脳とは親しいから」と言われたとか。

私はこれを聞いて単純に心配になった。それは「またもや、予測可能が事だったが、文在寅大統領は告げ口外交に出たのではないのか」という点だ。彼がトランプ大統領とどれほど親密かは知らないが、彼というか、かの国独特の手法でトランプ大統領を動かしたのであれば、unpredictableなトランプ大統領である以上、妙な結果になりはしないかと危惧するものである。

そこで、願わくは安倍総理が間髪を入れずにトランプ大統領と電話会談されて「我が国が如何に正当なことをしているのかと、韓国の安全保障の危機になりかねない今日までの行為をあらためてトランプ氏に再確認して頂きたい」のである。私は最早文在寅大統領は形振り構わぬ行動に出てきたと看做しているし、トランプ大統領が我が国に分がある判定を下される保証はないと恐れている。この点は20年以上もアメリカ人の中で働いてきた経験から懸念するのだ。

事ここに至れば、WTOにも備える意味で我が国が働きかけるべき先はアメリカだけではなく、他の欧米の諸国や東南アジアの中国の影響下にあるかも知れない諸々の国でもあると思っている。それも文在寅大統領のトランプ大統領への働きかけがあっては、一刻の猶予もならないのだ。韓国の大使を「無礼だ」と一喝して済む事態ではないと思う。

7月20日 その2 余りに非道な京都アニメーションの放火殺人事件

2019-07-20 13:57:41 | コラム
余りにも非道且つ残虐だと思う:

京都アニメーションのスタジオに放火して、この時点で34人の死者と35人の負傷者がでという事件は、余りにも酷すぎると痛感している。犠牲者のご冥福をお祈りすると共に青葉某の行為はいくら責めても責めきれない程残虐且つ非道だと思う。しかも念入りに準備していたと報じられているのにも驚かされる。青葉某は京都の病院から大阪にドクターヘリで転送されたとも報じられたが私は報道による限り、生命の危機にある火傷だと思っている。如何に悪逆非道な者であっても治療しないことには動機も何も解らないのではそうする以外なかったのだろうと推察している。

実は、私は当初この事件の報道に接してお恥ずかしながら「京都アニメーション」という会社が存在することも、通称「京アニ」としてファンに親しまれていることなどは全く知る由もなかった。もっと正直に言えば、この歳になるまでアニメーションなるものをテレビででも、勿論劇場ででも見たことがなかったのである。言い方を変えれば、古き良き昭和一桁生まれとしては、漫画と言えば田河水疱の「のらくろ」か横山隆一の「ふくちゃん」くらいしか読んだことがないので、現在のような漫画本の大流行などは見向きもしようとは思わなかった。

ましてやアニメーションとやらになれば、宮崎駿が一時代を時代を築いているようだが、見ようとは思わなかったところに、彼が原発反対の運動の先頭に立っているとか聞いたので、益々食わず嫌いというか、見ようという考えにはならなかった。ところが、この放火事件で初めてジブリ何とか以外にも京都アニメーションがあるのだと知らされたのだった。そこで半ば真剣に悩んだことは「俺は果たして無知だったのか、それとも時代に痛烈に遅れているのか」だったし、「京アニ」とやらの存在を知らなかったのは大恥辱なのかということだった。

しかも、その大事件が起きて海外でも大きく報道され、弔問の為に外国から京都の現場まで来て下さっている人たちがいるとの報道にも「無知か、時代に遅れか」という感覚に苛まれてしまっている。一言だけ弁解をすれば、2006年に1回目の心筋梗塞に襲われてからは所謂「一病息災」とやらに徹しているので、閉ざされた空間の人混みの中に長時間いることを極力避けるように努めている。そこで、映画館の中で映画を見たのは心筋梗塞以降では付き合いで一度だけあっただけなのだ。それは医師に「ウッカリ風邪でも引いて肺炎になったら終わりだ」と厳しく警告されたからでもある。

そういう「御身大事」の大原則を慎重に守って来た為に、京都アニメーションの存在すらも知らない時代遅れの後期高齢者になってしまったのも仕方があるまいと割り切ろうと考えている。終わりに、重ねて犠牲者のご冥福をお祈りする次第だ。


世の中あれやこれや

2019-07-20 08:42:54 | コラム
あれやこれやと気付いたこと:

自動運転:

今や各自動車メーカーは如何にして自動車を自動で運転出来るようにするかと懸命のようである。私は既にコンピュータ化しようと何だろうと機械がやることは当てにならないのではないかという懸念を、PCの経験から表明した。横浜の無人運転のモノレールでも逆走の事故が発生した。だが、今回はそれを言いたいのではない。そもそも自動車と銘打っていながら「自動運転」にしようという発想というのか名前の付けたが面白いと言いたいだけなのだ。自動車をまた自動化しようというのだが、英語でもautomobileだから「その昔に自動車」と訳したのは責められまいと思う。

1999年にミラノで乗ったタクシーがFIATだったので、素直にFabric Italiano Auto Mobile(イタリア語は知らないので記憶から起こした)と表記してあったのを声を出して読んで見たら、運転手さんが「違う、違う」とばかりにFabric Italiano Imobileだと再三再四強調したのだ。そこでイタリア語は理解出来ないままに察したのが「ちっとも動かない車だ」と言いたいのだろうと解釈して、そのユーモアを評価することにした。即ち、余計なお世話だが、これだとFIIATになってしまうのだ。

この世に歌舞伎役者は海老蔵だけか:
テレビの扱いを見ていると、恰も歌舞伎役者は海老蔵しかいないかの如きであるのが、如何にもテレビ局らしい偏り過ぎだと思っている。私流の極論を言えば、海老蔵は奥方が乳がんに冒される悲運で早く失ったが、その悲しさにもめげずに小さな子供2人を立派に育てて舞台にまで立たせていることを常に称え、こちらにもその偉業を共に称えよとでも言いたいような姿勢である。しかも、彼が咽頭炎で声が出なくなったといっては、勧玄君とやらが単独で舞台に立ったことまで称えるのだ。病気になったのは不摂生だと責めないのが彼らの特性だ。私は「無事これ名馬」論者だ。

それはそれで結構だが、そこまでやるのだったら、他の歌舞伎役者の動静も少しは採り上げたらどうかと言いたくなる時もある。彼らの扱いだと海老蔵君は如何にも歌舞伎を背負って立っているかの如き大名優のような扱いだ。だが、誰だったか記憶は定かではないが、歌舞伎評論の専門家が「彼は役者としては未だもう一つ」と言っていたのを聞いた。ま、テレビ局がやることだからここで何のかのと言っても仕方がないか。

大谷翔平君の過剰報道:
兎に角、何処の局でも連日大谷君がヒットを打ったの打たなかったの、ホームランが何本になったのと親切に報じてくれている。私はあそこまで騒ぎ立てる必要があるのかなと疑問に思っている。私は彼は何十年かに一人の逸材である事はズーッと前に認めてあったので、バッター一本に絞らざるを得なかった今シーズンではあれくらい出来ても、カタカナ語にすれば「ニュースバリュー」などないと思っている。張本勲は3割を越えた程度の打率やホームランが10本台では何でもないと決めつけていたではないか。

私は彼らが松井秀喜の活躍を騒いでいた際には「彼は日本を捨てて出ていったのである」との張本の酷評を支持していた。大谷君も自分の職場にアメリカを選んだだけなのである。私は大谷君がホームランが30本で3割5分でも打ったら褒め称えようと思っている。

コンプライアンス、ガバナンス、ガナバビリテイー等々:
カタカナ語排斥論者としては誠に腹立たしいカタカナ語の乱用され方である。だが、最近は少し見方を変えようかとも考えるようになった。それは「法令順守」乃至は「法令遵守」や「統治」か「制御」とか「被統治性」という漢字の熟語が難しすぎて「書けず、読めず」か「理解不能」な連中が増えたという国語教育の至らなさの表れだと解釈するようにしたからだ。何れにせよ、情けない話で、こういうカタカナ語を偉い方まで使われると、聞かされた方はそれを真似てしまうのだと思って見ている。先日も吉本興業の会長は「当社はコンプライアンを重視してきた」と言っていたが、その割には違反者が出た。

宮迫博之が引退:
度重なる写真週刊誌の報道もあって吉本興業が宮迫博之との契約を解除したと報じた際に、多くのスポーツ新聞が「宮迫博之が引退」と報じたのには違和感があった。それは当方の「引退」の受け止め方は「功成り名遂げて身を引く」だったからである。その例としては先日40歳だったかで引退を表明した安美錦が、実に晴れ晴れとした表情で「素晴らしい力士人生だった」だったかとインタビューに答えていたことからも言えると思ったからだ。

「引退」を広辞苑で見れば「官職・地位から退くこと。また現役から退くこと」となっている。宮迫が不祥事を起こして芸人の世界から退くことの何処が引退という表現に値するのかと、スポーツ新聞のデスクに訊いてみたい。彼らは芸人に甘過ぎはしないのかと言いたい。見出しに文字数を節約した気持ちは解らないでもないが、「業界から身を引く」くらいの表現を使うべきだろう。イチロー君や安美錦の引退とはまるで性質が異なるのだから。