新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

本日も私事ですが

2019-07-12 15:30:27 | コラム
顎関節症と耳管開放症:

昨11日から病院通いが続いている。その結果判明したことは、今年の1月から苦しめられたというか悩まされていた病というか症状が、どのようにして起きていたかがほぼ(と言って良いのだろうと思う)判明したことだ。判明したからといって直ちに治る訳ではないが「人間の体(私だけではないと信じたいが)はそのように微妙に器官と器官が繋がっているのか」とあらためて認識出来たのだった。そこで、もしかして諸賢にご参考になるかと思って、ここ2日間に学んだことを紹介してみようと思うに至った。

顎関節症:
ここには昨11日顎関節症治療科に診て頂きに行った。教授の診察の前に診察された若い女医さんが最初にしたことは、顔中の筋肉を圧されて何処がどれほど痛みを感じるかという診察だった。意外だったのは顔中何処を触られても「痛い」か「圧されている感じが濃厚である」となる点だった。先生は更に首筋まで圧されて「感じますか」と尋ねられるのだが、その筋のほとんど全部が当方が気象病の為に痛むのだと思い込んでいた箇所だった。しかも、顔の筋肉のどれかが、睡眠中かPCを使っている時の歯を食いしばっていると判明すると診断されたのには驚きを禁じ得なかった。

要するに顎関節症の影響が顔(頭)から首筋にまで及んでいたということだと解った
。先生はその対策としては「なるべく痛みか圧されていると解った筋をこれまでの顎の運動に加えて、出来る限り頻繁にマッサージすること」を指示された。本来の主治医である菅沼教授は女医さんからその現報告を聞かれた後で「かなり良くなってきたから、次回の外来はこれまでの40日間隔ではなく2ヶ月先を予約しておくこと」と指示されて、次の患者さんに向かわれた。

3月から毎日開口と顎の運動を1セットとして3セット続けて来た効果が現れたと嬉しかったと同時に、教授の指示を信頼して顎と口の運動を続けてきたことが報われたと一安心だった。もう既にビーフステーキや苦手だった野菜サラダのような繊維質も克服したが、ビスケットや煎餅のような固い物には未だ挑戦していない。だが、そういう物以外は普通に噛んで食べられるようにまで回復はしているというのが現状。

耳管開放症:
本日は国立国際医療研究センター病院の泌尿器科(前立腺肥大の為)と耳鼻咽喉科での診察だった。耳鼻咽喉科での病名はこの表現で良いのだと思うのだが。実は3ヶ月ほど前だったろうか、突然右の耳が気圧が変わった時に(例えば高地から低地に降りた時)「ガーン」となってしまって自分の声の音量が解らなくなってしまうような現象が突発的に、しかも頻繁に起きるようになり、これにも悩まされていた。その件を5月末に受けた循環器内科の定期検診の際に主治医に訴えてみたところ、耳鼻咽喉科を紹介して頂いた次第だった。

耳鼻科の医師は先ず鼓膜の状態を検査されたが異常がなかったので「最近痩せませんでしたか」と訊かれた。そこで顎関節症で55~56 kgから約5 kg程体重が減少したと報告した。そこで先生は痩せた為に耳と喉を繋ぐ器官が解放されたので開いたままになっているようだと言われ、先ずは聴力の検査となった。結果は先生曰く「年齢相応に聞こえていて問題なし」だった。そして結論はその器官が開いたことだったが、病名は私が勝手に耳管開放症だと思ったので、念の為に検索してみると、

「耳管開放症とは耳と鼻・のどをつなぐ管(耳管)が開きっぱなしになるために起こる病気です。耳がふさがった感じがしたり(耳閉感)、自分の声・自分の呼吸音が耳に響いたり(自声強聴・自己呼吸音聴取)する病気です。不快な状態が続くと精神的にイライラしてきます。」とあった。自分が悩まされている症状が将にこれだった。即ち、顎関節症の影響で噛めなくなって食べられなくなり自然に小食となった結果で体重が約10%も減少したことが、耳に悪影響を与えていたのだと解った。

耳鼻咽喉科の医師の指示は極力食べられるだけ食べて体重を増やすことが治療法になるので、当分の間はそれ以外に通常は薦められていない間食までも敢えて実行しなさいというものだった。食欲増進の為には漢方薬を処方して1ヶ月経ったらまた診察しましょうとなった。このように、ここにも明らかに顎関節症の影響が現れていたのだった。本当に「なるほど、人体の中であらゆる器官(気管?)が繋がっており、どれか一つに変調を来すと「思わぬ所に影響が出るものだ」と解った次第だった。

このように非常に有意義な半日を国立国際医療研究センター病院で過ごしたのだったが、二つの科、それも耳鼻咽喉科が初診だった為に待ち時間が長くなり、他にも採血、採尿、心電図とあった為に、朝は8時半に入った病院を出たのは12時半だったし、それからまたバスに乗って我が家の近所の調剤薬局を出たのは1時半を回っていた。最早高齢化した私には1日に2箇所を回るのは限界だし、梅雨のせいか気温も低く、霧雨のような降り方にも往復と濡れてしまいかなり疲労困憊して帰宅した。