太陽の位置が下がってきていた:
今年は夏から初秋にかけて国の内外で余りにも大小取り混ぜて出来事が多かったし、異常気象とやらのせいで10月末になっても空調をかけて冷やしているような状態だったので、つい季節が移ろうのに気が付かなかった。と言うのも、この6年前までは仕事部屋だったこの南向きのPCの部屋には、昼間では太陽の位置が下がり、その光が真正面から入ってくるので眩しくてカーテンを閉めねばならなくなっていたのだった。これが秋が去りつつあり、冬が直ぐそこまで迫っていると示す毎年の現象だ。
去る2日(土)には10数年振りになるだろうか、駒沢公園内の第2競技場にフットボールの関東大学リーグ戦、日本大学フェニックス対東海大学トライトンズの試合を観に行った。この年齢になっても何とか年に1試合はフェニックスの試合を見るよう心掛けるというか、何とか観に行けるように衰えた体調を整えているのだ。今年はもう一昨年のことになってしまった、あの関学との定期戦での監督かコーチの誤った指示で関学のQBを負傷させた為に、フェニックスはリーグ戦に出場停止で、昔で言えば2部に降格となっていたのだ。すなわち、2年振りの観戦となった次第。
その駒沢公園だが、以前にこの第2競技場にフットボールを観に来たのが何年前かの記憶もなかった。その頃の記憶で駒澤大学前駅から歩いて行けば良いと思っていたが、愚息がそれは無理だと言うので、敢えて彼の車で行くことにした。ところが、駒澤大学駅前から曲がった辺りから先は全く知らない光景で、もしも電車で来て歩いたならば確実に目標を失って道に迷っていただろうと痛感させられた。それどころか、公園内の建物も以前にはなかったものばかりで、何処をどう歩けば第2に到着できるのか全く解らなかった。
何もここだけのことではないが、都内では久しぶりに出向く先では先ず今浦島状態になってしまうのだ。帰路にその前を通過した駒澤大学も大きく変貌していて、徒歩だった場合にはとても道標にはならなかっただろうと思う。都内を車で移動する度に思うことは「これほど中層から高層のオフィスビルとアパートを建てまくっていれば、何時かは東京都全体が地盤沈下してしまうのではないか」なのである。
特に渋谷などは変化が激しく、後から後から高層ビルが建っていくが、あそこならばそもそも谷底のような所だから、あれ以上は沈むまいなど無駄なことを考えながら通過している。だが、あの急速な変化には到底着いていけないだろうから、極力敬遠するようにしている。何年前だったか、地下から地上に出るだけでも迷いに迷って、そこかしこにいる駅員に聞きながら長い時間をかけて空が見えた時には万歳を叫びたくなったほど。
我が国の四季は時とともに変化してきたのだが、近頃は11月になっても東京では気温が20度台だったりするので、極めて季節感が乏しくなってきた。2日のフットボール観戦の時は天気予報は20度となっていたが、超後期高齢者に寒さは禁物と自覚しているので、ユニクロのヒートテックの極暖の下着を引っ張り出して着用していった。それで、午後も3時を過ぎて日陰となるとこの極暖で丁度良い防寒下着だったというか、何とか冷え込まずに済むようになった次第だった。
先ほども大久保通りまで買い物に出て、その帰り道に100円ショップの前を通ってふと中を覗くと、そこにはもう既に2020年のカレンダーが出品されていた。そうだ、来月で今年は終わりなのだと時の過ぎるのの速さをあらためて痛感させられたし、これからやってくる季節は冬だったのだと思い知らされたのだった。古人は「歳月人を待たず」とはよくも言ったものだと思う。
今年は夏から初秋にかけて国の内外で余りにも大小取り混ぜて出来事が多かったし、異常気象とやらのせいで10月末になっても空調をかけて冷やしているような状態だったので、つい季節が移ろうのに気が付かなかった。と言うのも、この6年前までは仕事部屋だったこの南向きのPCの部屋には、昼間では太陽の位置が下がり、その光が真正面から入ってくるので眩しくてカーテンを閉めねばならなくなっていたのだった。これが秋が去りつつあり、冬が直ぐそこまで迫っていると示す毎年の現象だ。
去る2日(土)には10数年振りになるだろうか、駒沢公園内の第2競技場にフットボールの関東大学リーグ戦、日本大学フェニックス対東海大学トライトンズの試合を観に行った。この年齢になっても何とか年に1試合はフェニックスの試合を見るよう心掛けるというか、何とか観に行けるように衰えた体調を整えているのだ。今年はもう一昨年のことになってしまった、あの関学との定期戦での監督かコーチの誤った指示で関学のQBを負傷させた為に、フェニックスはリーグ戦に出場停止で、昔で言えば2部に降格となっていたのだ。すなわち、2年振りの観戦となった次第。
その駒沢公園だが、以前にこの第2競技場にフットボールを観に来たのが何年前かの記憶もなかった。その頃の記憶で駒澤大学前駅から歩いて行けば良いと思っていたが、愚息がそれは無理だと言うので、敢えて彼の車で行くことにした。ところが、駒澤大学駅前から曲がった辺りから先は全く知らない光景で、もしも電車で来て歩いたならば確実に目標を失って道に迷っていただろうと痛感させられた。それどころか、公園内の建物も以前にはなかったものばかりで、何処をどう歩けば第2に到着できるのか全く解らなかった。
何もここだけのことではないが、都内では久しぶりに出向く先では先ず今浦島状態になってしまうのだ。帰路にその前を通過した駒澤大学も大きく変貌していて、徒歩だった場合にはとても道標にはならなかっただろうと思う。都内を車で移動する度に思うことは「これほど中層から高層のオフィスビルとアパートを建てまくっていれば、何時かは東京都全体が地盤沈下してしまうのではないか」なのである。
特に渋谷などは変化が激しく、後から後から高層ビルが建っていくが、あそこならばそもそも谷底のような所だから、あれ以上は沈むまいなど無駄なことを考えながら通過している。だが、あの急速な変化には到底着いていけないだろうから、極力敬遠するようにしている。何年前だったか、地下から地上に出るだけでも迷いに迷って、そこかしこにいる駅員に聞きながら長い時間をかけて空が見えた時には万歳を叫びたくなったほど。
我が国の四季は時とともに変化してきたのだが、近頃は11月になっても東京では気温が20度台だったりするので、極めて季節感が乏しくなってきた。2日のフットボール観戦の時は天気予報は20度となっていたが、超後期高齢者に寒さは禁物と自覚しているので、ユニクロのヒートテックの極暖の下着を引っ張り出して着用していった。それで、午後も3時を過ぎて日陰となるとこの極暖で丁度良い防寒下着だったというか、何とか冷え込まずに済むようになった次第だった。
先ほども大久保通りまで買い物に出て、その帰り道に100円ショップの前を通ってふと中を覗くと、そこにはもう既に2020年のカレンダーが出品されていた。そうだ、来月で今年は終わりなのだと時の過ぎるのの速さをあらためて痛感させられたし、これからやってくる季節は冬だったのだと思い知らされたのだった。古人は「歳月人を待たず」とはよくも言ったものだと思う。