新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月11日 その2 レジ袋有料化案に思う

2019-11-11 15:04:02 | コラム
今更何を言うのかとの思いだ:

プラスティックスの公害が大きく採り上げられるようになってきた。即ち、地球温暖化の大いなる一因であろうし、勝手に捨てられたプラスティックスの製品が水中で分解されて海を汚染させ魚類に害を与えているとの問題を引き起こしているからだ。この件は既に指摘したが、プラスティックスの如何なる製品にも出来る便利さに惹かれて、この世の至る所にプラスティックスの製品で満たしてしまったのが我々人間がやったことだ。このような化学物質が何れかは劣化して、細かい形に壊れてしまうことなど全く忘れていたことのツケが来ただけのことだ。

それを綺麗サッパリと忘れて、勝手に海に捨ててしまう国があるとか、小売店のレジ袋に使えば貴重な天然資源を原料にする紙袋を排除できるなどと、何処かの環境保護論者の方々が騒ぎ立てて、スーパーマーケットやコンビニエンスストアではポリエチレン(だと思っているが)の袋に置き換えてしまったのだった。私見だが、この世に存在するプラステイックス製品の中に占めるレジ袋が大きな比率を占めているとはとても考えられないのだ。だが、有料化して消費者にエコバッグを使わせようと何処かで誰かが発案したようだ。私は今更この案の当否を論じる気はない。

だが、紙パルプ産業界の出身者としては「紙袋(業界の専門語では未晒しクラフト紙で出来ている)は海水中で細かく分解されて魚類が餌と誤認して食べてしまうようなことには、絶対ならないのである」と指摘したい。「紙とは木材の繊維を物理変化させただけである」から、例えば袋として使用した後で地上(山林でも良いが)に捨てられても、必ず土になってくれる性質なので公害を生じないのだ。そのくらいは有識者はご存じのはずだったと思うが、石油産業界の声の大きさに押し切られたと勝手に僻んでいる。

そこで、アメリかではどうなっているかだが、2012年以来行っていないので現状は知らない。だが、その頃でもプラスティックスのレジ袋は普及していた。それ以前の記憶では、Safewayでは未晒しクラフト紙(茶色の紙のこと)を使っていたし、重たい物には袋を二重にしてくれていた。アメリかでは手提げに出来ない袋が通用しているのは「駐車場内の車まで持って行ければ良いのだし、彼らは平気でカートに買い物を乗せて車まで持って行った後で放置して出ていってしまう」のだ。勿論、我が国では紙袋でも手提げに加工できるが、その分は余分なコストが生じるのは言うまでもない。

何が言いたいのかと言えば「ポリエチレンのレジ袋が駄目だというのならば、または有料化して使わせないようにするというのならば、いっその事紙の袋に戻したらどうか」なのである。だが、皮肉なことに、プラスティックスの製品に押されて市場というか需要を失った多くの未晒しクラフト紙のメーカーは、方向転換をしてしまっているのだ。即ち、今頃になって紙袋が良いと言われても、ある程度以上の需要を満たすだけの生産能力があるのかなと、私は疑ってしまう。実は、2000年になる前に既にこの種の紙は輸入に依存していたのだ。

「それでは、貴殿は何が言いたいのか」との疑問を呈されるだろう。私は確かに紙の袋に戻せばとも言っているが、恐らく紙にすればポリエチレンのレジ袋よりも高価になるのは明らかだ。その追加分のコストを誰が負担するかという問題も生じるだろう。だが、地球温暖化対策と海水の汚染を防ぐ対策を、どのような秤にかけるかという問題かと思っている。また視点を変えると「レジ袋を生ゴミを捨てる際の袋として再利用している人は多いと思うので、それが無くなれば困る場合もあるか」と思っている。

上記のように見てくれば、選択肢は有料化その他の考え得る手段でプラスティックスのレジ袋を限界まで減らして、一部には紙袋を採用するか、あるいはエコバッグでも何でも消費者が自前の買い物袋を持参されるよう周知徹底するかだろうと思う。現在まで私が知る限りでは「消費税率を10%に引き上げただけに飽き足らず、レジ袋まで有料にするのか」という不満の声は上がっていない様子だ。


祝賀御列の儀のテレビ中継を拝見して

2019-11-11 13:58:44 | コラム
今昔の感に堪えない思いだった:

私が育った戦前というかその昔には小学校(あるいは既に国民学校に改称させられていたかも)で何か公式行事があれば、校長先生が厳重に格納されていたご真影を恭しく捧げ持って壇上に現れ、それを然るべき場所に掲示してから始まるのが当然の儀式だった。そして、これは中学に入ってからのことだったと思うが、校長先生の言葉の中に「天皇陛下」が入れば、その時にはキチンと靴の踵を合わせて「カツン」という音がしたのだった。我々生徒はご真影の前で頭を上げることが滅多にないので、私の記憶力でも直視できたかどうかは思い出せない。

そういう時代に育ってきた私には、昨日の祝賀御列の儀には「本当に時代が変わったものだ」と痛感させられていた。あの頃であれば、国旗の小旗を振ることは許されていたかも知れないが、立ち上がって写真を撮ろうなどとすることなどあり得なかったと思う。私は天皇皇后両陛下をお祝い申し上げるのは良いことだと思っているが、まるで何処かの役者か芸人が行進するのを見てスマートフォンであるとかカメラを掲げて撮影しようとする姿勢には、何となく違和感を覚えるのを禁じ得なかった。

私は上皇様と上皇后様がご在位中にあれほどご多忙でありながら、常に国民のことを第一義にお考えになってご公務に励んでおられる姿勢に対しては、心からご尊敬申し上げていたし、どれほど大変であろうかと密かに気にかけさせて頂いていた。即ち、両上皇様は常に国民の近くに立たれ(私は「寄り添う」という言葉の語感が好みではない)国民統合の象徴として振る舞われていたことに一国民として深甚なる敬意を表していた。今上天皇もそのお志を引き継がれておられると思って拝見している。

私は率直に言って「遠くから来たにも拘わらず見えなかった」であるとか「後方にいたので写真が撮れなかった」などと嘆く人たちの心情は解らないでもない。ではあっても、天皇皇后両陛下を御列を何と心得ていたのかなと疑いたくなってしまった。それに前夜の儀式でも誰が決めたのか知らないが、こともあろうにジャニーズの「嵐」なる集団に奉祝歌を歌わせた選択には大いに失望していた。我が国にはまともな声楽の訓練受けた立派なクラシカル音楽の歌手が数多くいたではないかと言いたかった。

実は、昨日テレビの中継を見ながら不思議なことに気が付いたのだった。それは私には上皇・上皇后様のご即位後の祝賀御列の儀を見た記憶が全くないことだった。そこで懸命に思い出してみたところ、ご即位された頃はかなり長期のアメリカ出張があったのではないと気が付いたのだった。自慢ではないが、私はこの年齢になっても記憶力だけは体力ほどには衰えていないので、もしもテレビ中継を見ていたのだったならば、このような行事を見たことが記憶から消え去ることはないと思っている。

何れにせよ、ご即位の儀式が滞りなく終了したことは誠に喜ばしく慶賀すべきことだったと受け止めている。皇后様があのように生き生きとしてお振る舞いなのも誠に嬉しいことだと感じている次第だ。