今更何を言うのかとの思いだ:
プラスティックスの公害が大きく採り上げられるようになってきた。即ち、地球温暖化の大いなる一因であろうし、勝手に捨てられたプラスティックスの製品が水中で分解されて海を汚染させ魚類に害を与えているとの問題を引き起こしているからだ。この件は既に指摘したが、プラスティックスの如何なる製品にも出来る便利さに惹かれて、この世の至る所にプラスティックスの製品で満たしてしまったのが我々人間がやったことだ。このような化学物質が何れかは劣化して、細かい形に壊れてしまうことなど全く忘れていたことのツケが来ただけのことだ。
それを綺麗サッパリと忘れて、勝手に海に捨ててしまう国があるとか、小売店のレジ袋に使えば貴重な天然資源を原料にする紙袋を排除できるなどと、何処かの環境保護論者の方々が騒ぎ立てて、スーパーマーケットやコンビニエンスストアではポリエチレン(だと思っているが)の袋に置き換えてしまったのだった。私見だが、この世に存在するプラステイックス製品の中に占めるレジ袋が大きな比率を占めているとはとても考えられないのだ。だが、有料化して消費者にエコバッグを使わせようと何処かで誰かが発案したようだ。私は今更この案の当否を論じる気はない。
だが、紙パルプ産業界の出身者としては「紙袋(業界の専門語では未晒しクラフト紙で出来ている)は海水中で細かく分解されて魚類が餌と誤認して食べてしまうようなことには、絶対ならないのである」と指摘したい。「紙とは木材の繊維を物理変化させただけである」から、例えば袋として使用した後で地上(山林でも良いが)に捨てられても、必ず土になってくれる性質なので公害を生じないのだ。そのくらいは有識者はご存じのはずだったと思うが、石油産業界の声の大きさに押し切られたと勝手に僻んでいる。
そこで、アメリかではどうなっているかだが、2012年以来行っていないので現状は知らない。だが、その頃でもプラスティックスのレジ袋は普及していた。それ以前の記憶では、Safewayでは未晒しクラフト紙(茶色の紙のこと)を使っていたし、重たい物には袋を二重にしてくれていた。アメリかでは手提げに出来ない袋が通用しているのは「駐車場内の車まで持って行ければ良いのだし、彼らは平気でカートに買い物を乗せて車まで持って行った後で放置して出ていってしまう」のだ。勿論、我が国では紙袋でも手提げに加工できるが、その分は余分なコストが生じるのは言うまでもない。
何が言いたいのかと言えば「ポリエチレンのレジ袋が駄目だというのならば、または有料化して使わせないようにするというのならば、いっその事紙の袋に戻したらどうか」なのである。だが、皮肉なことに、プラスティックスの製品に押されて市場というか需要を失った多くの未晒しクラフト紙のメーカーは、方向転換をしてしまっているのだ。即ち、今頃になって紙袋が良いと言われても、ある程度以上の需要を満たすだけの生産能力があるのかなと、私は疑ってしまう。実は、2000年になる前に既にこの種の紙は輸入に依存していたのだ。
「それでは、貴殿は何が言いたいのか」との疑問を呈されるだろう。私は確かに紙の袋に戻せばとも言っているが、恐らく紙にすればポリエチレンのレジ袋よりも高価になるのは明らかだ。その追加分のコストを誰が負担するかという問題も生じるだろう。だが、地球温暖化対策と海水の汚染を防ぐ対策を、どのような秤にかけるかという問題かと思っている。また視点を変えると「レジ袋を生ゴミを捨てる際の袋として再利用している人は多いと思うので、それが無くなれば困る場合もあるか」と思っている。
上記のように見てくれば、選択肢は有料化その他の考え得る手段でプラスティックスのレジ袋を限界まで減らして、一部には紙袋を採用するか、あるいはエコバッグでも何でも消費者が自前の買い物袋を持参されるよう周知徹底するかだろうと思う。現在まで私が知る限りでは「消費税率を10%に引き上げただけに飽き足らず、レジ袋まで有料にするのか」という不満の声は上がっていない様子だ。
プラスティックスの公害が大きく採り上げられるようになってきた。即ち、地球温暖化の大いなる一因であろうし、勝手に捨てられたプラスティックスの製品が水中で分解されて海を汚染させ魚類に害を与えているとの問題を引き起こしているからだ。この件は既に指摘したが、プラスティックスの如何なる製品にも出来る便利さに惹かれて、この世の至る所にプラスティックスの製品で満たしてしまったのが我々人間がやったことだ。このような化学物質が何れかは劣化して、細かい形に壊れてしまうことなど全く忘れていたことのツケが来ただけのことだ。
それを綺麗サッパリと忘れて、勝手に海に捨ててしまう国があるとか、小売店のレジ袋に使えば貴重な天然資源を原料にする紙袋を排除できるなどと、何処かの環境保護論者の方々が騒ぎ立てて、スーパーマーケットやコンビニエンスストアではポリエチレン(だと思っているが)の袋に置き換えてしまったのだった。私見だが、この世に存在するプラステイックス製品の中に占めるレジ袋が大きな比率を占めているとはとても考えられないのだ。だが、有料化して消費者にエコバッグを使わせようと何処かで誰かが発案したようだ。私は今更この案の当否を論じる気はない。
だが、紙パルプ産業界の出身者としては「紙袋(業界の専門語では未晒しクラフト紙で出来ている)は海水中で細かく分解されて魚類が餌と誤認して食べてしまうようなことには、絶対ならないのである」と指摘したい。「紙とは木材の繊維を物理変化させただけである」から、例えば袋として使用した後で地上(山林でも良いが)に捨てられても、必ず土になってくれる性質なので公害を生じないのだ。そのくらいは有識者はご存じのはずだったと思うが、石油産業界の声の大きさに押し切られたと勝手に僻んでいる。
そこで、アメリかではどうなっているかだが、2012年以来行っていないので現状は知らない。だが、その頃でもプラスティックスのレジ袋は普及していた。それ以前の記憶では、Safewayでは未晒しクラフト紙(茶色の紙のこと)を使っていたし、重たい物には袋を二重にしてくれていた。アメリかでは手提げに出来ない袋が通用しているのは「駐車場内の車まで持って行ければ良いのだし、彼らは平気でカートに買い物を乗せて車まで持って行った後で放置して出ていってしまう」のだ。勿論、我が国では紙袋でも手提げに加工できるが、その分は余分なコストが生じるのは言うまでもない。
何が言いたいのかと言えば「ポリエチレンのレジ袋が駄目だというのならば、または有料化して使わせないようにするというのならば、いっその事紙の袋に戻したらどうか」なのである。だが、皮肉なことに、プラスティックスの製品に押されて市場というか需要を失った多くの未晒しクラフト紙のメーカーは、方向転換をしてしまっているのだ。即ち、今頃になって紙袋が良いと言われても、ある程度以上の需要を満たすだけの生産能力があるのかなと、私は疑ってしまう。実は、2000年になる前に既にこの種の紙は輸入に依存していたのだ。
「それでは、貴殿は何が言いたいのか」との疑問を呈されるだろう。私は確かに紙の袋に戻せばとも言っているが、恐らく紙にすればポリエチレンのレジ袋よりも高価になるのは明らかだ。その追加分のコストを誰が負担するかという問題も生じるだろう。だが、地球温暖化対策と海水の汚染を防ぐ対策を、どのような秤にかけるかという問題かと思っている。また視点を変えると「レジ袋を生ゴミを捨てる際の袋として再利用している人は多いと思うので、それが無くなれば困る場合もあるか」と思っている。
上記のように見てくれば、選択肢は有料化その他の考え得る手段でプラスティックスのレジ袋を限界まで減らして、一部には紙袋を採用するか、あるいはエコバッグでも何でも消費者が自前の買い物袋を持参されるよう周知徹底するかだろうと思う。現在まで私が知る限りでは「消費税率を10%に引き上げただけに飽き足らず、レジ袋まで有料にするのか」という不満の声は上がっていない様子だ。