新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月28日 その2 原子力規制委員会に思う

2019-11-28 15:14:48 | コラム
安倍内閣はトランプ大統領並みに前政権のレガシーは廃止したら如何か:

私は悪夢の民主党政権の紛う事なき負の遺産である原子力規制委員会などを、安倍内閣が何故存続させているかが解らないのだ。その委員会はこの度女川原発の第2号機を安全とあると決めたようだ。一見良い話のようだが、実態というか現実はそうではない雲行きではないかと危惧する。

私はこの委員会の判定以上に問題だと思うことがある。それは「地元民の再稼働賛成を得られるか」という難関が何時も残っているから言うのだ。確かに福島での前例を見れば「これが我が地元でも発生すれば大変な事態になる」と地元と首長が危惧するのは理解できないでもない。だが、現実では、かの委員会ですら安全と承認した原発を、原子力発電が如何なるものかを熟知している訳でもない地元民が、権威あるはずの規制委の決定に反抗するのは矛盾ではないかと思う。地元民には火力発電依存が地球温暖化の一因であることよりも、万が一の際の自分たちの安全を優先して考えているのだろうと思う。

それに反対の声を首長なり誰なりが上げる背景には、私が想像を逞しゅうすれば、反対する扇動役、即ち原発反対派の存在があるのだろうし、小泉純一郎元総理のような偉い方が「原発反対の旗を高く掲げておられる」というようなことの影響も出てくるだろう。何十年前だったか、アメリカのオレゴン州ではでは原子力発電所の導入反対派に「電気がなくなるのと、万一の災害の危険性の何れを採るか」との論旨で、地元を説得したそうだ。だが、何とこの原発は後に停止されていた。

だが、今やこのオレゴン州におけるような説得法は福島の現状を見れば、とても有効とは考えられなくなっているだろう。私は地元に言い聞かせるべき重要な点は「福島の例に懲りて、火力発電に過剰に依存するように変更した結果として、地球温暖化を促進したような形となった。そして、今年のように我が国を襲った台風が異常にまで増えて全国各地で大きな災害を被ることと、原発は温暖化を促進することがない事の何れを採るか」だと考えている。だが、地元民がこの論法を何処まで受け入れるかには疑問の余地は残る気がする。

私には原発の再稼働が小泉環境大臣の所管の件であるとは思えないのだ。経産省が推進すべき案件だと思っている。だが、ミーハーの範疇に入るような一般の地元民には、梶山経産相の一言よりも小泉環境相の発言の方が影響力がありそうで怖い。

私は電力供給事情を思う時に、非常に単純な考え方をすれば、都内を一寸移動すれば解ることで異常ではないかと思うほど所謂「タワーマンション」の新増築の数の多さに圧倒されるのだ。また、オフィスビルはと見れば、ここというビジネス街や中心地には、住友不動産は気が触れたかと思うほど大型の物件を建てまくっているのだ。私はこれらの建物は全て新規の電力需要者だろうと思って眺めている。私はこれらを手がけている不動産業者たちは電力の需要と供給をどう考えているのかなと、疑いたくなってしまう。それだけではなくて、上下水道の設備だけでも大変だろうなと思っている。

火力発電の燃料については化石燃料の代替に木質バイオマス燃料の電力会社向けの輸入も促進されていると聞かされている。これは確かに有効な対策の一つであると思う。ではあっても、その程度で我が国の火力発電依存による地球温暖化に歯止めがかかるとはとは、現時点では考えられないのだ。私が最後に問いかけたいことは「このままでは来年も再来年も大型台風が襲ってくる危険性を回避できないとしたら、貴方は如何に対応すれば良いと思いますか」である。だが、これとても即効性は余り期待できないのではないかな。


「閃き」を信じるべきだったと悔やむ

2019-11-28 08:34:33 | コラム
直感としても良いかも知れない:

私は去る22日の韓国の「GSOMIAが失効停止を条件付きで延期する」と発表する5時間ほど前に、「韓国は破棄するだろう」と仮定して論じていた。今になって繰り言を述べても詮ない事だが、この一文を書いている時には得意とする「閃き」というか直感的には「破棄はない」と出ていたのだった。だが、どう考えても文大統領のこれまでの徹底した反日的な振る舞いと南北統一による高麗連邦の創設の理想に燃えている実績を見れば、理論的には破棄しかないと考えるのが妥当であるとの考え方に自らが負けて「破棄」を選んでしまったのだった。

その何時間か後になって「破棄しないと記述しておけば、どれだけ格好良かったか」と悔やむことになってしまった。私は事がスポーツの勝ち負けを常に試合開始前の閃きで予測してほとんど外れたことがなかったという「確固」たる実績を誇ってきた。だが、この場合の閃きと韓国の国家としての方針というか態度を予測するのでは性質も重みも全く異なる。それ故に「閃き」よりも理屈を優先してしまったのは、残念なことだった。私はこういう優柔不断なところが自分の弱点だと以前から自覚している。

ということは「自分は二つに一つという決断を迫られた場合に、直感を捨ててどうしても理屈と理論と確率を優先して判断してしまう傾向がある」と承知していながら、「閃き」で人生の重要な決断までもしてきたことを忘れて、理屈にすがってしまうのだとの反省でもある。換言すれば、私にとっては選択肢が多い決断を迫られる方が容易であって、二者択一の決断の方が遙かに難しく、また往々にして「閃き」を軽視して読み損なってしまった実績もあったということ。一瞬、頭の中が真っ白になって、判断能力というか理性などが何処かに飛んでしまう状態になるようだ。

重大な物事というか事案の判断などということは、かくも難しいものだと思って事に当たってきた。1971年に全く予想も夢想もしていなかったアメリカの会社からの勧誘があった時などは、将にこれ以上はないという人生を賭けてしまうかも知れない難しい「二者択一の決断」だった。この際は、後になって思い当たったのは「30秒ほど考えて、自分の為になるなるという閃きを信じて、行きます」と答えたこと。「17年も育てて頂いた会社にどれほど迷惑をかけるかなどということよりも、自分の為と大変な挑戦を敢えて仕掛けよう」ということだけしか脳裏に浮かばなかった。

ここまでで何か言いたかったかと言えば「何か決断をする時には閃きという名の直感を採るか、理論・理屈・成功か不成功かの確率と周囲に与える影響等々を慎重に考えて時間をかけて決断するか」という点である。私は人生においては「自分の方に向かって流れてきた事の有り難さを尊重してして、これが自分の運命である。それを受けて未来を切り開けるかどうかは自分の能力次第」と割り切って、会社を変わるというようなこれ以上ないような重大な運命を受け入れてきた。

「その運命などは何時何処からどのような形で自分に向かってくるかの予測など出来る訳がないし、その運の是非や質をどのように判断するかが当人の実力次第である」と認識してきた。「予期していなかった方角から私に向かってきた運命には逆らえない」という閃きに従ってきたと言えるだろうか。

今回のGSOMIA云々の読みは人生の重大事では勿論なかったが、「閃き」を妙な理性と理屈が曇らせてしまったのだと反省している。事相手が韓国となると、この先には未だ鋭意交渉すべき難航が予測できる案件が山積している。ではそれらの諸問題がどのように進み、解決されるかされないかについては、何の閃きも来ていない。だが、韓国だけを相手として話し合って行きだけでは、事は捗らないとの予感がある。即ち、海外向け情報発信を強化して、諸国を味方につける努力をしないことには、先日のTIMEの記事のような基本的な誤解と誤認識が世界に蔓延しかねないと危惧する。