新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

年賀葉書の枚数と訃報

2019-11-26 14:44:10 | コラム
毎年のように枚数を減らして買っている:


これから取りかかるだろう年賀葉書の枚数は迷った末に、最も多かった頃よりも30%減らして近所の郵便局に、言うなれば発注した。何故それほど減らしたかについては想像願えるだろうが、毎年のように11月辺りから「年賀欠礼」の葉書が来るからである。以前はご当人ではなく親御さんやご親族の不幸での欠礼のお知らせが多かったが、ここ数年は永年お付き合い願っていた上司や同僚や私の好みではない言葉である後輩といった方々の訃報が増えたのだった。



去る15日に主治医の許可を得て体調を整えて藤沢まで昭和20年の湘南中学以来の仲間のクラス会に出掛けた。高校の卒業時点では36人だった級友は今や生存者が行方不明者1名を加えても16名だった。先週も毎年一度は会って旧交を温めていた日本の会社時代の3期後だった人から誘いが来ないので、念の為に電話をしてみると奥方が出られて「7月に亡くなりました」と知らされて愕然となった。その頃に湘南高校サッカー部のマネージャーを永年勤めた頂き、昨年までお世話になっていた2年上の方の奥方から欠礼の葉書が来て、何とも言えない寂しさを感じさせられた。



その「年賀欠礼」の葉書は本日も2枚到着した。お一方は永年の交流があった88歳の我が国の紙流通業界の大御所だった。巨星落つとまでは言わないが、惜しい方が亡くなられたと、時代の変化がここにも現れたかと思わずにはいられなかった。こういうお知らせ以外にも「もう今年からは年賀状を止めます」という挨拶の葉書も来ている。かく申す私も「何時になったら止めようか」と毎年のように悩んでいる。今年も未だ11月であるから、未だ欠礼の葉書が来るやも知れないので、着手できずにいる。悩ましいことだ。



PCのご機嫌が悪く、何故か改行が出来ませんので、このまま掲載します。何卒悪しからず。

バス停懇談会

2019-11-26 08:28:33 | コラム
昔はボケ老人がいなかった説:

私は以前にも述べたことがあったが、何故かバス停での待ち時間に高齢のご婦人方に話しかけられるのだ。昨25日も高田馬場駅前で2人に話しかけられた。切っ掛けは2人分しかないベンチの席を譲って下さった後で、毎度のことだが「若く見えますね」と語りかけられたのだった。その方々の意見が面白かったので紹介しようと思う次第。

その方は自分から80歳だと名乗られたが「自分たちの親の世代というか時代には、皆長生きせず精々60歳台で亡くなっているのが普通だった。それだから、その頃には先ずボケてしまった人など見かけなかった。皆がボケる前になくなってしまっていたのではないでしょうか」という説を展開された。なるほど、そう言われて見れば、往年には本当に今で言う認知症の老人の話などは余り聞いたことがなかったので、素直に賛成した。尤も1人のご婦人は「家の人が外に出さなかっただけかも知れない」とも言われたが。

その後ではお定まりの「戦時中や戦後間もなくはろくに食べるものがなかったのに、私たちは時代が変わって食べるものが沢山あるようになったので、多くの人たちが自分たちの親よりもずっと長生きしている」という話になった。そこで、私も87歳の貫禄を示すべく、中学の1年生の頃には軍事教練もあったし、農村動員にも行かされて、ご褒美にお米や薩摩芋を貰って感激して帰って来たものだ」と回顧して見せた。すると、その方は「少しばかりのお金も貰えたでしょう」と言うのだ。その通りであり、良くあの時代のことをご存じだと感心した。

この辺りまででバスが入ってきて興味深い懇談会は終了した。それにしても、何故私は高齢のご婦人方に屡々話しかけられるのだろう。余程人畜無害のように見えるのだろうか。