新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月27日 その3 ローマ教皇の来日に思う

2019-11-27 14:12:42 | コラム
教皇様は言わばカトリックの総本山の最高権威者であらせられる:

私にはあの教皇が通過される沿道に群衆が集い、スマートフォンなどで写真を撮ることに狂奔している光景には限りない違和感を覚えていた。あの人々は果たしてカトリックの信者なのだろうかと疑ったという意味だ。彼らは教皇のファンなのであろうか。教皇自身はの歓迎振りどのように感じておられたのだろうかとすら考えていた。

教皇は各地で核兵器の廃絶を説かれた。これは持論であり、何ら反対することがない正論であるとは思う。だが、畏メル友のO氏は「ローマ教皇はそれを仰るのであれば、中国に向かってこそ仰って欲しい。」との主張しておられたが、私は大賛成であるし、少なくも我が国に向かって仰せになることではないのではないかと受け止めていた。それを如何にも重大な発言の如くに伝えるマスコミは、キリスト教というかカトリックが何であるか解っていないようだと感じていた。

私は教皇が所属しておられたイエズス会が運営する学校に4年も通っていたので、一般の方々よりも神父様たちが何をどう考えておられるかは少しは承知していると自負している。神に身を捧げた神父様たちとは如何なる方たちかを知らずして、気安く報道するなと言いたくなる。後難を恐れずに言えば神父様たちは「神に全てを委ねた非常に屈託がない生活をしておられる、純粋で純真な方たち」なのだ。神を信じない人たちは哀れだと思っておられるのではとすら感じたこともあった。即ち、俗世界の風に当たられる機会は少ない日常を過ごしておられると思う。神学生の人たちも同様に生真面目で純粋な学生だった。

私は教皇を尊敬するのは本来はカトリックの信者の人たちだけだとすら信じている。キリスト教の信者であるのかどうかも疑問に思える人たちが、教皇の通過を沿道でスマートフォンで写真を撮って騒ぐのには限りない違和感しかなかった。カトリックが何たるかも知らず、教義を承知しているとは思えない人々が騒ぎ立てるのには、私には異常だとしか見えなかった。カトリックでは「神は厳然として存在するだけではなく偏在され、誰の頭と心の中にもおられるのであり、その神に心を上げて語り合のが祈りであり、人々は死ぬまで完成を目指して努力するのだ」辺りが最低限の知識として心得ている人たちがどれほどいたのだろうか。

私はキリスト教の信者ではないので、お出でになったことは非常に有り難いことだろうとは思っていたが、それ以上でも以下でもない思いであの過密ではないかと思わせられたスケジュールで駆け巡られた教皇を尊敬申し上げていた。マスコミはあれほど過剰に報道するのであれば、少しは「カトリックとプロテスタントの違いくらいを専門家を呼んで解説して貰えば良いのに」と考えていた。あれではプロ野球の優勝テイームや相撲の優勝力士のパレードと同じのミーハー向けの騒ぎと同じだ。教皇を何と心得ているのかな。

何処の局だったか「信者の数が今や南米が最大で、ヨーロッパでは減少しつつある」と指摘していたのは意外であり興味深い数字だったが、その程度では何の解説にもなっていない。この機会にせめて世界の三大宗教の違いでも解説するくらいの啓蒙活動をしても良いのではないか。野党の後押しをして「桜を見る会」報道で浮かれているよりも、この方が余程知的ではないのか。尤も、マスコミに知性を求めるのは「木に登って魚を求める」ようなものか。


11月27日 その2 野党議員は盛大なる国費の無駄遣い

2019-11-27 08:01:10 | コラム
今更ながら野党議員どもの間抜け振りに呆れる:

彼らの「桜を見る会」に関する空騒ぎ振りには最早いうべき言葉は残っていない。福山哲郎は「これを以て倒閣しよう」と息巻いていた。冗談にしても見当違いすぎる。それが遂には一度門前払いを食った内閣府のシュレッダーを約束を取り付けた上で視察に出掛けて、破棄したといわれた名簿と同じ枚数を処理して34秒で終わったと息巻いて、国会で内閣府に迫った。その答弁が「ファイルから抜き出したり、ホッチキスを外すのでそれよりも時間がかかった」となっていたが、この問答が膨大な歳費を貰っている国会議員が時間を使ってすることか。呆れる前に情けなくなる。

彼ら野党のアホどもの真の狙いは、精一杯の善意で考えて「国民投票法」をなき物にする為の手段かも知れないが、余りにも馬鹿丸出しで国民を愚弄している。安倍総理にもやや処理の不手際があったような気もするが、そんなことよりも真剣に国会の場で論争すべき重大な議題は山積していないか。彼らは沖縄の基地問題や被災地の処理問題等々を少しでも論議の対象にしたか。韓国の言いがかりと虚言問題に少しでも関心を示したか。習近平主席を国賓で招待する件を採り上げたか。矢張り、彼ら野党議員を選んだのは国民側の過失であろうと思う。

野党には救いがないと思うが、安倍総理も長期政権は結構だと思うが、もう少しまともな議員を選んで内閣改造をして頂きたいと願いたいのだ。何も知らずに唯々大臣になりたいような連中を選ぶのを、もう好い加減に考え直して頂きたい。ろくでもない者を選ばれるから、野党に揚げ足を取られて、国会を空転させられる責任をお考え願いたいのは誤りだろうか。

その昔はストローはstrawだった

2019-11-27 07:30:06 | コラム
スターバックスは紙製のストローに変えるそうだ:

この件が如何にも重大なニューであるかの如くに報じられている。年間何億本だったかが節約されるのだそうだ。そのテレビニュースの画面に出ていたのがプラスティックス製のカップにストローが差し込んである絵だった。第一、その昔にはストローは藁が使われていた。この絵には矛盾がありはしないか。私はあの手のカップは何年か前までは紙製でアメリカのInternational Paper(IP)製品であったように記憶している。それが何時の間にか、PETか何か知らないがプラスティックスの製品に置き換えられていた。スターバックスは環境保護問題に貢献する為に紙製に置き換えるというのだろう。

私はおかしな理屈ではないかと思うのだ。それは、ストローとカップでは何れがプラステイックスが多く使われているかは明白ではないのか。その少ない方を紙に置き換えてどうする。それに「今頃になって言い出すのか」とも言いたくなる。それともメディアは相手がスターバックスでは、この程度のお追従的な報道しかできないのかとも言いたくなる。本気だったならば、紙カップを採用せよとでも言ったらどうか。小なりと雖も「ペッパーランチ」では2ヶ月ほど前に紙製のストローも変えていたが、そこに触れたメディアがあったとは記憶していない。片手落ちだ。

私の記憶が正しくて、IP製(というかアメリカ製)の紙カップと胴体に巻く未晒しクラフト板紙の帯を再度アメリカから輸入すれば、トランプ大統領が「対日貿易赤字削減に貢献する」と大いにお喜びになるのではないか。私は最早現場を離れて20数年になるので、我が国の紙製のストローや紙カップ用の原紙の供給体制が十分に残っているか否かは知らない。だが、需要の衰退に悩まされている業界にとっては、この分野の需要が回復すれば好材料の一つとなるのは間違いないだろう。メディアにはその辺りに気を配る神経の持ち合わせはないのかと尋ねたくなる。