新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

性善説信奉の是非を検討すべきではないか

2019-11-08 15:07:00 | コラム
我が国は性善説を信奉する世界にも希な存在:

渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」第5222号に加瀬英明氏が「無防備でお人好しのままで」と題して投稿してこの点についても言及しておられるので一部を引用してみよう。

>引用開始
無防備でお人好しのままでは日本の独立と安全は守れない
「オレオレ詐欺」をはじめとして、電話を使って高齢者を騙す詐欺が、あ とを絶たない。
あれほどテレビが注意を促しているというのに、詐欺犯から電話がかかる と、警戒心をいだくことがなく、罠にはまってしまう。
これは日本が諸外国と異なって、人々が信用しあう“和の社会”であって、 人に対する性善説をとっているからだ。
日本は人口が1億2000万人もあるのに、国民が同質だと信じている国 は、他にない。
日本のように外国について、性善説をとっている国も、他にない。
(以下略)

<引用終わる

この加瀬氏の指摘は私が長年主張してきたこと同じ意味だと思って読んだ。それは、我が国では多くの人々が言わば純真無垢に過ぎて外国人(中でも白人)は優れており、非常に善意に溢れた存在の如くに尊敬する傾向があることを、余り好ましくない思い込みに過ぎないと思っているからである。私は単に22年以上にも及んだアメリカ人の会社に勤務した経験だけのみからだけではなく、我が国以外の国には性善説は通用しないという例を数多く見てきたから、外国人を見ればその性は悪ではないかと疑うべきではないかと看做すようになったのだった。

我が国と同様に外国人にも悪い人はいないと見ることを必ずしも悪いとは断言できないが、加瀬氏が指摘されたような視点で外国人を見る必要があると思っている。我が国では性善説を無邪気に信ずるが故に「外国からの観光客を3,000万人では飽き足らず4,000万人も誘致しよう」などという方針を政府が打ち出しているのは、誠に危険だとしか思えないのだ。手近な例では京都における韓国客の傍若無人な振る舞いなどは未だ未だ生易しいことで、我が国の近隣だけを見ても我が国の安全保障に対してどれほど危険な国があるかを考えて見れば直ちに解ることだ。

それのみならず、常に指摘し続けてきた例にはここ新宿区百人町に巣食う我が国をカモにしているといえば語弊があるかも知れないが、少なくとも食い物にしているアジアやイスラム教圏の諸国の連中を見れば「彼らが我が国の性善説信奉を良いことにして付け込んでいる」のは自明の理ではないのか。あの偏向気味のTBSの「報道1930」でさえ、7日には習近平主席を国賓として迎えることの是非を採り上げていたではないか。10数名もの同胞が有罪宣告されたり、如何なる理由かも告げずに拘束されている事実を指摘していたではないか。

私は我々国民のみならず、マスコミのこの辺りで一度立ち止まって「性善説信奉」の是非というか損得をジックリと見直しても良い頃だと主張したいのだ。恐らく、多くの我が同胞は自分たちが性善説信奉者だとは自覚していないだろうし、外国人を見たら「その性悪なりと思うべきだ」などとは考えられないだろう。私流に言えば「そのような綺麗さというかフェアープレー尊重の姿勢というコインの裏側には、予期せざる危険も害毒もある」ということだ。崇高な存在の如くだと見ていたIOCは、アッサリとマラソンと競歩を札幌に移せと抜き打ち的に通告したではないか。